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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
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婚姻こもごも

 兄さん、とはパラティゾのことでは無い。ティツィアーノのことだ。


 そもそも、東方諸部族との交渉にあたっているパラティゾに帰ってくるだけの時間は無い。正確には帰ってくることは可能なのだが、往復にかかる時間が膨大過ぎるのだ。だからこそ、軍団を派遣せずに済むようにパラティゾの役割が重要なのもある。


「どれが、原因ですか?」

 目の前を開け、マシディリとべルティーナとの間に置いてある物は机以外何も無くする。


「どれも、よ」

「宗教会議でしたら、エリポスとの折衝には必要なことです。婚姻関係も、分からない話ではありませんよ」

「そうね」


 愛妻の相槌は素っ気ない。

 理由は、マシディリも良く分かっている。


「マシディリさんは本当にそう思っているのかしら?」


 この部屋には、マシディリとべルティーナしかいない。

 二秒だけ、口を閉じたまま目を合わせると、マシディリは尻の位置を前方に変えた。


「まるでべルティーナとの婚姻やアビィティロとリリアントの婚姻など無効だと言わんばかりの婚姻政策だとは思っているよ。闇雲に結びつきをすれば良いものでもないしね。

 もしも結びつきを、と強く主張されたのなら、主張する方の狙いはティツィアーノ様をアスピデアウスの次期当主に、と言うことかな」


 パラティゾが継ぐと言う基本線をひっくり返して、である。


「前者は、特に、不快だよ。

 ティツィアーノ様の考えでは無いだろうと言うところが、余計にね」


 エスピラが「不快」との言葉を用いて表明した気持ちは、普通の言葉以上に強い嫌悪感を含んでいる。故に、マシディリも真似した言い回しを使うことにしているのだ。


「でも、判断するのはフィチリタかな。フィチリタがそこまで考えてティツィアーノ様の出席を拒否するかどうかだよ。クーシフォスの意見は、まあ、検討はしますかね」


「マシディリさんらしいわ」

 手のひらを肩の高さまで小さく上げ、愛妻が二度首を横に振る。

 やれやれ、と言った言葉が似あう仕草だ。


 婚姻は、家と家の結びつき。政治である。したがって、マシディリが判断すればそれが決定事項となるのが普通だ。それでも、マシディリはフィチリタを尊重したのである。


 無論、託す判断に完全に政治が無い訳でも無い。

 断るのなら、それはそれでアスピデアウスの後継者争いに絡むことを示している。受け入れるのなら、アスピデアウスとの良好な関係を、とも示せる。


 どちらも、パラティゾとの関係こそを、と銘打って。


「マシディリ様」

 部屋の外の、それも少し遠くからの声。

 べルティーナが横に退けてから、マシディリは少々声を張って入室を許可した。


「失礼いたします」

 レグラーレが頭を下げて入ってくる。


 本当に失礼します、とべルティーナをちらりと見ながら続けた言葉が続いた。言うほど恐縮していない足運びのままである。


「コクウィウム様、ルベルクス様が誓紙を出されるようです」

「誓紙?」


 コクウィウムは、今やディアクロスの当主だ。

 無論、トリンクイタの意見を完全に無視できるような立場では無く、クロッチェの意見も色濃く反映されてしまう状態ではある。

 それでも、異母弟まで連れての誓紙は、並大抵の宣誓では無い。


「セルクラウスの後見について、ディアクロスからの介入を無くす、という宣誓です。助けを請われれば力は貸しますが、ディアクロスから積極的に働きかけることは無い。スペランツァ・ウェラテヌス・セルクエリは一人前だと言う宣誓になります」


 ふむ、とマシディリは少し深く腰掛けた。

 どちらの意味か。ウェラテヌスも干渉を控えろと言う表明か、それともウェラテヌスに従うと言う間接的な宣言か。


「誓紙の一文には、ディアクロスは従兄の関係となり、後見であり続けるには差が広がったから、との文言が織り込まれているそうです」


 後者だ。

 今一度、ウェラテヌスとの関係について強固にしようとしているのである。

 逆に言えば、それだけぐらつきかけたとも言うことだ。



「あの男も愚図か」

 クイリッタがそう言いながら入ってきたのは、その日の夕方。

 リクレスもヘリアンテも寝かしつけた後のことである。


「あの男、じゃあ分からないよ」

「ティツィアーノ・アスピデアウスです。まさか政治のできないアグニッシモ型の人間だったとは」


「周りに押し切られただけだよ。私も、ウェラテヌス派と呼ばれる全ての人に対して自分の意見を貫き通せる訳では無いしね」

「ウェラテヌスの当主たる兄上との結びつきを強くし、次期当主か当主を支える家門に於けるアスピデアウスの血を濃くする。これが喧嘩でなくて何と言うのですか。パラティゾに対しても挑戦状を叩きつけたようなモノではありませんか」


「ティツィアーノ様も分かっているさ」

「分かっているのなら、宗教会議は欠席するべきでは?」

「エリポスの担当者だからね。そう言う訳にもいかないよ」

「誰の分権で?」


「元老院以外あり得ないよ」

「兄上の、です」


 ば、とクイリッタが両手を広げる。


「父上の軍事命令権を引き継いだのは兄上です。これは、神々が認め元老院が認可を下した正当な権利。それを言を翻すようにして、神々の意思を捻じ曲げたのは元老院であり、受け容れたのはティツィアーノ・アスピデアウスです。

 それを反故にするなど、明確な神々への挑戦であり、最高神祇官である兄上を愚弄する行いに他なりません」


「そう言う演説は、元老院で行って欲しいかな」

 苦笑しながら、マシディリは両手のひらをクイリッタに向ける。


「私の軍事命令権は反乱者に対するモノ。マルテレス様からスィーパスへと対象が変わっただけで、全部の敵に対してでは無いよ。だから、元老院の判断は正しいさ。むしろこれまでの軍事行動を認めてくれた寛容性にこそ感謝するべきじゃないかな」


「軍事命令権に含まれていると判断したのは元老院も同じこと。感謝など不要です。そもそも、ティツィアーノも兄上の指揮下にあるならば、これは引き抜きか混乱をもたらす行為。

 第二次フラシ戦争時、インツィーアの大敗へと進んでいったのは、第二次フラシ戦争で独裁官が二人も並び立ったから。当事者であるアスピデアウスが学んでいないとは片腹痛いことこの上ありません」


「手厳しいね」

「普通のことです」


 見方の違いではあるが、強引だとも思っている。


「兄上。私の子との婚姻ならばと機先を制されては?」


 サテレスでは無く、カッサリアに連なる子の方だ。

 茶化せる話題では無いため、マシディリも聞き返したりはしない。


「カッサリアとアスピデアウスの繋がりを取り戻し、カッサリアを通じてトーハ族を抑えることでエリポスの安定を図る。良い言い訳にはなると思います」


 朗々とクイリッタが言い切る。

 ティツィアーノにとっては結婚相手の家格が下がるが、悪くはない話であろう。サルトゥーラの妻もアスピデアウスの娘であるのだから、ティツィアーノが当主とならなくともアスピデアウスにカッサリアを引き戻すこともできるのだ。


「そうだね。ありがたく受け取っておこうかな」


 クイリッタとティツィアーノの関係改善のためにも。


 二人の不仲は、仕方がない背景は互いにあるにせよ良いことでは無い。マシディリにとっては二人とも信頼できる人間なのだ。


 特にクイリッタは、現時点では取りまとめ役として代理を頼める人物であり、ティツィアーノは軍事的に別動隊を預けられる人物。

 いざという時のためにも繋ぎは必要である。


「お言葉ですが兄上。これでティツィアーノが対等な関係を築けるのは私まで、という形を作るためであることもお忘れないよう願います」

「手厳しいね」


 マシディリが上。

 ティツィアーノが下。


 その提案は、おそらく真正面から提示しても否定されて終わるだろう。

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