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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
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音楽の都 Ⅲ

「フロン・ティリド北東部の部族は東側が広大な地帯に獣を放ち、生業としています。西側は巨大な川を障壁とし、基本は守りの姿勢を敷いていると。時には川を使い、交易も行っていますが、積極攻勢には入りません。


 そして、中央部の部族はそんな彼らを交易によって豊かになり、弱くなったと見ています。それでいながら、クイリッタの言葉を借りると「下の者は恐ろしく無知」だそうで。


 クイリッタの知る言葉での意思疎通に問題はなかったそうなので上層部は情報に触れているようですが、余程統制が上手く行っているのでしょうね。


 また、北東部の部族の東側、フロン・ティリドを抜けた先の部族は農耕民族ではありません。どちらかというと狩猟民族。財は欲を生み、土地に居座ることも欲を生む。故に移動を繰り返し、余計な財を持たず、移動を繰り返しているそうです。


 いわば、海賊のような部族。

 彼らとの大規模で不幸な接触を避けるためには、彼らの流儀に従い接触面の木々を切り倒しておけばしばらくは問題ないでしょう」


「中央部をいかに黙らせられるかが遠征を短期で終わらせる鍵と言う訳ですね」

「そう見ています」


 あとは、どこまで下の者の無知に付け込めるか。

 無知、とクイリッタは言っているが、要するに、彼らにとって彼らが生活できることが大事なのであり、今の生活の知恵こそが大切な財産なのだ。


 ならば、そこを脅かせばよい。


 大衆が動くのは、自らの生活が危機に陥っていから。

 その上でこちらに味方すれば、と唆すこともできる。


 畑の働き手を減らす戦争か。働き手を残す恭順か。

 その二択にしてやれば、良い。



「スィーパスは、一定の安定地帯を手に入れることが出来たようで、この夏にようやく動きを止めました。帰りたがっていた現地兵も帰し、鎧も脱いだそうです。


 動乱の果てにしばらくぶりに手に入れた安寧の地を手放したくは無いでしょう。スィーパスの下に逃れてきたフラシ騎兵もグライオ様の力を良く知っています。

 グライオ様が西で尾を踏み、テラノイズ様が東で頭を抑え、第三軍団が喉笛に槍先を向け続ける。これでスィーパスは止まります。


 ジャンパオロ様。

 ノルドロ様を始めとするナレティクスの者をフロン・ティリド遠征に、と考えているのなら、喜んで受け入れましょう。代わりと言っては何ですが、第三軍団の休息地の一つとしてテュッレニアを使ってもよろしいでしょうか。


 彼らは戦い続き。疲弊も大きいでしょうから。

 待機と言うだけでは疲れは取れませんので、せめて休暇としてやりたいのです」


「代わりも何も。喜んでお受けいたしましょう」

「ありがとうございます」


 同時に、第三軍団の者に信頼に応えるようにとも言っておかねば、とも思う。

 第三軍団が規律を取れると信じているからこそ、無条件に近い受け入れをしてくれたのだ。多少の阻喪ならばジャンパオロも許してくれるかもしれない。でも、悪く思われれば今後に響く。軍団の駐屯もまた、政治なのだ。


 例え、基本は高官の滞在に留めるとしても。

 彼らの一挙手一投足が、第三軍団の、ひいてはマシディリ・ウェラテヌスの威信と連動している。


「ディファ・マルティーマの方が良かったと言われぬよう、気合を入れていきます」

 マシディリは、一つ、苦笑した。


「此処も素晴らしい場所ですよ。

 音楽があって、絵画も発展している。古代文化の研究も進んでいますし、港もまたディファ・マルティーマとは違った良さがありますから。

 それに、此処はディファ・マルティーマから遠いにも関わらず、陰口がありませんからね」


 ただの一敗だ。

 そう思っていた。

 そう思っていたのに、その一敗こそをマシディリは嫌というほどこすられている。


 酒場での争論もあった。流石に武器屋で喧嘩になっていたことは無いが、代理戦争と言わんばかりに畑の水で、昔エスピラが決着させたにも関わらず蒸し返されたこともある。


 一敗はただの一敗では無い。

 アレッシアに帰還してなおマシディリの時間を奪う一敗だったのだ。


「父上ならば負けなかったと、言いたいのでしょうかね」


 父だって常勝では無い。

 アリオバルザネスには終ぞ勝てず、マールバラに対しても有望な人材を失っている。


「マシディリ様」

「申し訳ありません」


 忘れてください、と言わんばかりに、マシディリは右手を振った。

 視線を感じれば、じ、とセアデラがこちらを見てきている。ラエテルは、まだアウセレネと何かを話しているようだ。アウセレネも楽しそうである。


「マシディリ様。私は、ウェラテヌスの方々程言葉選びが上手くないと自負しております」


 私も上手だと思ったことはありませんよ、とは、話の腰を折る行為にしかならない。


「ですが、敢えて言わせていただくのであれば、最初からかけられていた期待が違います。

 エスピラ様は、タイリー様から期待こそされていましたがアレッシア全体で見ればまだまだ最後のウェラテヌスとしての希少性が勝っておりました。組織としても大きな物ではありません。奇特の目で見て、遠くから見ているだけの者が多く、損得に直結する者はほとんどおりませんでした。


 しかし、マシディリ様は違います。


 エスピラ様の子として生を受け、早々に嫡男に指定されると数多の実績を積んで参られました。密接に関わった者も数多くおります。積み上げた功は数知れず、財にも恵まれだし、それでいて父親からの愛情も深く、両翼たる伴侶も得て欠けるところはありません。


 だからこそ、一つの過失を叩いて安心したいのです。


 それほど優れたマシディリ様であっても、人間だと。あの失敗の一点に於いて、自分達の方が優れているのだと。その場にいない、後出しの卑怯な考えでも、そう思いたいのが人間なのです。


 気にする必要はありません。

 そうは言っても、難しいことだとは思いますが」


 頬を人差し指でかく。

 そのような動作があってもおかしくはない終わり方であったが、ジャンパオロの背筋はしっかりと伸びている。


「時に、マシディリ様。最大の敵とは何だと思いますか?」

「最大の敵、ですか?」


 この流れで名詞を持つ外敵が出てくることは、そうそう無い。

 ジャンパオロが言いたいのは内側から出てくる何かだろう。



「私は、驕りだと思います。どのような名将でも勝つことは非常に難しい病です。


 インツィーアでの大勝により、マールバラの軍団は驕りと言う病にかかってしまった。故にマールバラの意見を聞かず、マルテレス様に自信を与え、遂には互角の名将へ進化させてしまいました。


 その名将マルテレス様も、マルテレス様ならば勝てると言う兵の驕りによって突き上げられ、非業の死を遂げております。イフェメラ様も同じ。イフェメラ様ならば勝てると言う周囲の者の驕りにより、最大の敗北を喫してしまいました。


 驕りは、高官が幾ら気を付けていても防ぎきれるものではありません。


 戦闘経験が豊富とは言えず、頭も私でしかないテュッレニア兵が精強として知られ始めたのは、驕りが無いからでもあります。


 マシディリ様。非常に言い難い恥部ですので他の方には言わないで欲しいのですが、私は、エスピラ様のエリポス遠征の結果を誇れません。あの遠征で、私は高官を外された三人の一人なのです。戻るのにも時を要しました。悔しくなかったと言えば嘘になります。恨まなかったとは言えるのですが、悪く思ったことが無いかと言えば胸を張れません。


 しかし、この鬱屈した思いは一度たりとも出すことができませんでした。


 皆は喜んでいるのです。最大の成果であると。最高の結果をもたらしたエリポス遠征こそが最高であると。誰もが信じて疑わず、私も結果だけを見ればエリポス遠征こそが素晴らしいと言えるでしょう。


 それでも、私にとっては、私の転機となったのはヴィンド様もネーレ様も亡くなった後のマールバラとの戦いなのです。私にとっての成功はそこ。ですが、他の者にとっては苦い記憶とも連動した結果。共有など、できやしません。怖くてできません。口にすらしてきませんでした。


 この思いは、今も変わりません。

 エスピラ様にも、他の皆さんにも、言うことは無いでしょう。言えるはずが無いのです。


 悔しさも孤独も悲しみも全てを抱えて生きて行くと決めたのです。


 ですが、この鬱屈とした私の弱い心はテュッレニア兵に伝えています。故に、彼らは驕らず、一つ一つしっかりと行ってくれるのです。


 多くの者が言う通り、マシディリ様とアフロポリネイオでは、マシディリ様が負ける方が難しい戦いだったでしょう。ですが、その戦いで負けてしまった。それは、変えようがありません。同時に、驕ることも無くなりました。


 マシディリ様は亡くなった十六名のために心を痛めることのできるお方。多くの兵もそれを知り、自らの死後も祈ってくれる存在として頼り、以後は悲しませないようにと気持ちを新たにしたことでしょう。


 第三軍団はまた一つ、難敵を乗り越えた。

 そう思えば、アフロポリネイオの敗戦も悪いことではありません。


 それに、エスピラ様だって、多くの成功に拍手を送らず、一つの失敗に野次を送るような方ではありませんよ。むしろ真逆です。そして、マシディリ様が苦悩されている現状に心を痛めているとも思います」



 言うまでも無かったですね、とジャンパオロが前を向く。


「寝ない男と呼ばれていた姿まで真似する必要は無いのではありませんか?」


 やさしい一言。

 次いで、セアデラがこちらにやってきた。ラエテルとアウセレネは何かをささやきあって、笑い合っている。


「ラエテルが。兄上に贈りたい曲があると言っています」


 セアデラが言い、マシディリの横に立った。

 ラエテルに目をやれば、ラエテルが大きく手を振る。


 そうして始まったのは二人の演奏会。ラエテルがふいごを踏み、アウセレネが水オルガンを奏でる。その曲は、先ほどの曲よりもずっとゆったりとした、やさしい曲であった。

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