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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
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今ならば、戦わずとも

「トロピナの件でアレッシアに敵愾心を持っているのは事実ですが、トロピナを勧めてきた母上に対して内心鬱陶しいと思っていたのもまた事実。トロピナを通じて母上からの干渉を感じ取り、何時の日か手を打たねばならないと思っていたのも本当のことではありますので」


 都合が悪い、と判断したらしい。

 ご機嫌取りにならないとはフォマルハウトも分かっているだろう。それでもこの言葉を使ってきたのは、きっと、フォマルハウトの目的にはアレッシアの力が必要だから。あるいは、それを知らせるため。


「ところで、マシディリ様はマフソレイオに軍事高官の地位を要求したらしいですね。エスピラ様の持っていた地位を全て集めるつもりですか?」


(さて)

 真意まで知っているのかどうかを考えつつ、マシディリも口を開く。


「父上が手にしていたモノを全て取り返したいのは事実ですね」

「広大な干渉権も?」

「干渉とは。人聞きが悪くはありませんか?」


「事実、エスピラ様は意外と多くの国の人事に影響を与えていました。マシディリ様も、それを目指すと」

「例えば王位継承権に口を出すなどは、戦争を起こしたいがための口実です。家門の当主もそう。私からの口出しは避けたいと思っていますが、助言ぐらいであれば。父上も、良く相談に乗っていましたので」


 マシディリが要求した目的には気づいていないらしい。

 エスピラの神格化を巡る攻防だとも、分かっていないようだ。


「今のマシディリ様に相談が来ますかね」

「調停しているのは誰でしょうか」


「それを言われれば」

「父上も、最初はエリポス諸国家にあまり相手にされていませんでしたよ。その代わり、周囲から切り崩していっていましたが、ね」


 エスピラのエリポス遠征は、海賊退治から始まっているのだ。

 動かした兵数も少なく、目に見える成果もその後の成果にかすむため語られることは少ないが、大事な一歩である。


「さりとて、マシディリ様にはエスピラ様からの積み重ねがあったはず。それを無駄にしたのは、はっきり言ってありえないほどの失態でしょう」


「クイリッタにも叱られましたよ」

 肩を竦め、一切の負の感情を見せない。

 フォマルハウトとしても、怒らせるために選んだ言葉では無かったようだ。


「ただ、これで色づけはしやすくなったので、感謝は伝えておきます」

「色づけ」

「ええ。色づけ」


 今度は口にはしない。

 視線で、思考を表明してください、と訴える。


「アフロポリネイオではマシディリ様は自身の栄誉を泥に塗れさせました。

 さりながら、兵力は温存されたまま。歴戦の兵もその結束力も翳りは無く、たった一日で砦と見間違うほどの防塁を建設してしまうほどの力を有しております。


 微塵も衰えていない。


 アフロポリネイオの失敗で衰えた、弱体化したと思い行動に移せば、死ぬのはその油断した者達だ。


 そのような泥船と艦隊を組まなくて良くなるのは、非常に良いことですから」


(温存ですか)

 怒りは覚えてしまう。当然だ。アフロポリネイオでは余計な死人がでた。殺してしまったも同然なのだ。


 それでも、周囲から見れば少ないのは分かる。たった十六人。そう言われるのが目に見えている。多く者が言う。余程マシディリと親しくない限りは言う。言わなかった者も、どこかではたった十六人と割り切る者がほとんどだ。


 間違ってはいない。

 それで良い。

 でも、憤りは覚えてしまう。


 ぐ、と。拳を唇に押し当てて。

 マシディリは、強引に思考を一つ先に進めた。


(歴戦の兵こそを恐れている)


 それは、そうだ。

 多くの経験は貴重なモノであり、失った古参兵は戻ってこない。エスピラの死によって第一軍団が実質的に使えなくなったのも、第二軍団の取り扱いを慎重にならざるを得ないのも事実だ。


 マシディリには、一人でも多くの熟練兵が必要なのである。

 その点、第三軍団と言う働き盛りの年齢ながら非常に経験豊富な兵の損失が少なかったのは良い点だ。


 そして、そう言った兵を増やさないともいけない。


(フロン・ティリド遠征は第七軍団と、第二軍団も後ろに? その状態で新しい軍団を組織して、経験を積ませるしか無いですかね)


 ヴィルフェットとパライナを四個大隊を率いる高官にして、バゲータも引き上げざるを得ないだろう。実力としては他にもと思う者も居るが、バゲータの父ネーレ・ナザイタレは父の信任厚かった父の恩人だ。その息子にも目をかけつづけたのなら、そろそろ引き上げねばマシディリが狭量であるとの印象がつけられてしまう。


「お気に障ったのなら謝りますが、どこが障ったのか、マシディリ様の口からきいても?」


 微塵も申し訳ないと思っていなさそうな声でフォマルハウトが言う。

 マシディリは、此処でようやく口元から右手を離した。


「兵力が温存されたまま、のところで、犠牲者を思い怒りがこみあげてきてしまっただけです。フォマルハウト様には一切の非はありませんから、謝らなくて結構ですよ」


「余計な言葉は、止めておきましょう」


 今後は気を付けると言うことか。

 それとも、心にもない謝罪は言いません、ということか。

 どちらもの可能性が最も高いだろうか、などとも、思う。


「別に、先の言葉で妃殿下の派閥に対して求める処罰を強めることはありませんよ」

「頼もしいのやら、情けないのやら」


 フォマルハウトが首を横に振る。

 合わせて髪の毛も暴れた。


「ユリアンナに素っ気ない態度を取れば攻撃の口実を与えるとは誰でも分かることのはず。それなのに母上は。本当に困ったものです。さりあんがら、だからこそ忘れずに済むとも言うもの。母上の態度はまさにエリポス人の意識、エリポス人の考え、エリポス人の常識。


 今や誰もが敵わぬアレッシアに対しても見下す、無自覚の増長そのもの。


 アレッシア人を排除しようなどと言う者も居るが、何も分かっていない。無論、エリポス人はアレッシア人を野蛮人と言い続ける。そろそろ追い抜かれそうだと思うからこそ平等を謳い、自分達が時代を先んじていると傲岸に胸を張り、文化的に劣る者達を導いてやっているのだと嘯いている。


 歴史も、己も知らずに。それが今のエリポス。腐った世界の腐った果実。


 腹を割って答えてください。

 マシディリ様は、そうは思いませんか?」


 なるほど。フォマルハウトが生まれた時は、それこそカクラティスが改革を始めた時。

 フォマルハウトが物心ついた時は、カクラティスがエスピラを通じてアレッシアの力も借り、王家に権力を取り戻していった時。

 フォマルハウトが後継者として目された時は、アレッシアが覇権国として君臨し始めた時。


 エリポスの貴人の下で世界を考えずに過ごしている者達ならともかく、アレッシアとの最前線にいて育てば、こうもなるのだろうか。


「どのような国家にも敬意は必要だと思っています。ですが、舐められるのなら叩き潰すまで。ビュザノンテン、ディティキ。両地域を手放すつもりは毛頭ありませんし、手を伸ばしていく意思は変わりません。

 そして、エリポス人の特権意識でユリアンナが傷つくのなら、私もエリポス人を腐った果実だと思ってしまう日が来るかもしれませんね」


「ふふ。エリポスが、欲しいですか?」


「要らないと言えば嘘になり、欲しいと言っても嘘になる。求めている答えとは違うかも知れませんが、これが本心ですね」


 何と曖昧な、とはマシディリも思う。

 本心であるのだが、疑われても仕方がないとも思ってしまった。


「カナロイアはエリポスの覇権を狙っています。未だ、変わらずに」


「そう言えば、陛下は父上に打ち明けたらしいですね。尤も、父上は王になることを望んでいなかったので断っていますが」


 無論、理由は他にもあるが。


「神はおろか、と」

 フォマルハウトが静かに言う。


「神格化を推し進めるつもりで?」


「マシディリ様が領有を認めたリントヘノス島は、マフソレイオとの係争地にもなり得る島。それも海上交易に於いて重要な島ですよ。そして、アレッシア軍が東方遠征する時にもエリポス遠征を行う時にも重要な補給路に位置しています」


「脅しますか」


「とんでもない。カナロイアが戦って、アレッシアに勝てるはずが無い。いえ、一度や二度ならうまくやれば勝てるでしょうが、その内負けるのは歴史が証明している。アレッシアは、勝つまでやる、と。

 なら戦わない。戦えない。

 今ならば、戦わずとも良い」


 フォマルハウトが、す、と目を細めた。

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