真っ白な二枚舌
フォマルハウトが自身の衣服の襟を掴み、強く引く。布はぴしりと整えられ、他の伸ばせる皺もどんどん綺麗に伸びていった。
「して、腹を割ってまで話したいこととは何でしょうか」
声もはっきりとしている。
一音ずつ途切れてなどいないが、言葉が惰性で繋がることの無いと言うべきしゃべり方だ。
「ユリアンナが、カナロイアの王族はカナロイアを宗教的要地にすることも狙っている、と言っていましてね」
腹を割って話すことと本題に最短距離で行くことは等号で結ばれてはいない。
屁理屈だと言われようと、配慮であると押し通すつもりだ。
「マフソレイオと組みエスピラ様の神格化を推し進めることはカナロイアが宗教的な権威を握ることにも繋がりますから。何より、此処までアレッシアの者を宗教会議に招き、エリポス国家間で影響力を増してきたのに全てを横取りされるなんて口惜しいではないですか」
本音だろう。
全てを話している訳では無いが。
「私が嫌だと言っても?」
「ユリアンナは喜びますよ」
「父上は人です」
「ええ。人ですから、愛娘が喜ぶことはしてあげたいと思うのではありませんか?」
効果的な反論は、無い。
父ならそうすると言う認識もあるし、マシディリの中のエスピラ像と他の者が抱くエスピラ像に違いがあると明確にしすぎるのは、不利益なのだ。
少なくとも、マシディリはそう判断している。
「フォマルハウト様は、父上の神格化に賛成の立場で?」
フォマルハウトの口がやや伸びる。舌が頬の裏側を押した。下から、上へ。
数秒の間は、如実な言葉と一緒だ。
「反対はしませんよ」
「理由まで、お願いします」
「手厳しいですね」
ぽん、とフォマルハウトが両手を合わせるように叩いた。
マシディリは、フォマルハウトと言う男とは知り合いである。戦陣を共にしたこともあった。
でも、今のフォマルハウトとはほぼ初対面に近い。いわば、人伝手に聞いていた話と目の前の男を照らし合わせているようなモノだ。
その状態で、しっかりと、ユリアンナにも有益な情報を持ち帰らないと会談は失敗と言って差し支えないのである。
「アレッシアの国力に敵う国など、もうありません。まともにやっても勝てないでしょう。勝つとすれば、アレッシアの勢力圏を突き破って連絡を取り合う大同盟を結ぶか、おおよその人が想像する戦いとは別の戦いを仕掛けるか。
そうなった時に、アレッシアでも意見が分かれているモノに対して私まで意見を鮮明にする必要はありません。放っておいてもユリアンナが進めようとします。そして、母上が反対します。私はその間をほどほどに泳ぐのみ。
マフソレイオ、東方諸部族、ドーリス、アフロポリネイオ、ジャンドゥール、メガロバシラス。
彼らの動向を中心に他の国々との関係も考え、ひとまずは父上が何かしらを宣言されるでしょう。私は、その後を見ながらではどうするか、王家としての存続を考えるだけ。
これで、よろしいですか?」
「アレッシアと仲良くしていく意思があると」
「はい」
即答だ。
少しは迷うのかと思ったが、これでは逆にマシディリが色々考えなければならなくなる。
「では、妃殿下を除く意思があると」
「いいえ」
こちらも即答。
腹を割って、と言わんばかりに、フォマルハウトが両手の平をマシディリに見せるようにして広げ、正中線を大きく開けてくる。
「ユリアンナの敵対勢力である以上、大きく力が制限された方が私としては嬉しいですね」
こだわらず、マシディリは答えた。
「でしょうね」
フォマルハウトの言葉は、やはり間が短くやってくる。
「母上の考えは時代遅れの考えです。アレッシアに敵愾心をむき出しにするだけで、エリポスの力で勝てると思っている。母上の生まれた時代で見ても、もしかしたら時代遅れなのかもしれません。
ですが、それがエリポスの標準。多くの者の意見。カナロイアの貴族平民の言葉。
母上の考えに賛同する者も重用しなくては、おおよそ国は回りませんよ」
ならばこちらから人を貸しましょうか。
そんな声が、マシディリの脳の奥底から聞こえて来た。
「ユリアンナは?」
だが、マシディリはまったく別のことを口にする。
「非常に賢い人です。瞬く間に独力で母上の派閥に対抗できるだけの派閥を作ってしまうのですから。繋ぎ止めておかねばならないでしょう」
「そうですね。私もそう思います」
目を閉じて賛同し。
「両者の天秤は非常に重要でしょう。しかしながら、寛容性と厳罰の天秤も重要です。同盟国の最高神祇官に対しての暗殺の企てを放置することは、如何なモノでしょうか」
目を開けて、詰問する。
「守られているのはアレッシアの法に依ってであれば、カナロイアでどれほどの意味がありましょうか?」
「宗教の権威者を暗殺しようとした。そして、アフロポリネイオから宗教的中心の地位を奪おうとしている。十分に、良い物語を紡げる状態にあると思いますよ」
「でも私の母上です。カナロイアも、親を大事にする国なのですが」
「王妃の傍仕えで構いませんよ」
「では、トロピナで」
昔の話では無いですか、と切り返すか。
尤もらしく受け止めるか。
(後者はありませんね)
マシディリは、そこまではすぐに決断した。
「流石に暗殺に関係なさすぎますね」
「アレッシアがカナロイアに直接干渉してきたことを不問に付すと言っているのですよ?」
「そもそもが裏切り行為ではありませんか?」
マシディリは、人差し指の爪で机を二度叩いた。
力強く。爪先だけではなく、第二関節でも振動を感じ取れるほどに力を込めて。
「子を望もうともせず、子がいないからと愛人をあてがう。しかもこちらに事前の通達も無く、発覚後の通達も無しに。最初から婚姻関係を維持する気が無かった、と言われてもおかしくはありません。そのつもりが無いのなら、婚姻を政治と結び付けられていない時点で妃殿下にもフォマルハウト殿下にも王族の資格はない。
そう、なりますよ?」
「殺しまでする必要が?」
「守れなかったのは貴方だ」
拒絶の言葉を叩きつける。
無論、声は荒げない。静かに。しかしはっきりと大きく。
「手をかけたのは、エリポスにとって蛮族と言える者達。別にアレッシアと繋がりがある訳でも無い国です。カナロイアなら、十分に守り切れるだけの力があったはず。
その昔、父上は母上を守るために公務を放棄してまで駆け付けたことがありました。私はその時に授かった子らしいです。
フォマルハウト様。貴方が本当にトロピナを愛していて、それが元でアレッシアを恨んでいるのなら、貴方も王太子と言う地位を投げ捨てる決断をするべきだった。ユリアンナに打ち明け、善後策を練るべきだった。それをしなかったのは、そこまで愛していなかったからか、王太子と言う地位に未練があったからか、公人として国家を優先したからか。
いずれにせよ、貴方にトロピナのことで文句を言う資格はありません。
貴方が拾わなかった果実が流れ、滝に落ち、潰れたと言う話です。掴めたのは貴方だ。そして、別のことを優先して見殺しにしたのも貴方。
トロピナトロピナトロピナトロピナ。
大いに結構。
幾らでもお恨みください。
この件に関しまして、私の言葉が変わることはありません」
フォマルハウトの口は閉じたまま。
眼光も鋭い。でも、突き刺すモノでは無い。思考中のモノであり、思考経過を読ませないモノだ。
トロピナの話は、トロピナの件を糾弾するモノに非ず。
アレッシアによる干渉を図るための方便だったのかもしれない。
そうであれば、立派な王族だ。ああはなりたくないと、強く思う姿である。




