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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
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シンセイ

「このような世で、再び無事に両陛下ならびに殿下に会えたこと、誠に嬉しく思います」


 まだまだ青年とも言えないラエテルの身長に合わせたトガに、声変わりもまだな幼い声。

 それでも所作には一切の瑕疵が無く、指先のさらに先、爪の端に至るまで洗練された動きは、まさに名門の貴息そのものである。


「おお」

 と、フォマルハウトが感動の声を模した音を発したのは、恐らくその所作にではなく真っ先に王族にあいさつした姿勢に対してだろう。


 ラエテルの洗練された動きにやられたのは、王妃の方。エスピラの葬儀の時はほとんどマシディリが応対し、人も多く意識が回らなかったのだろうが、ラエテルの所作はとても『野蛮人』と決めつけられるモノでは無い。そんなことを言えば、口の持ち主の格が大きく落ちる。目が腐っていると評価される。それほどの所作だ。


「先に軍団に会っているから私達を優先した訳じゃない」


 カクラティスが小声でフォマルハウトを窘めるように言う。

 その実、ラエテルに向けられた言葉だ。


「お爺様の誇りの一つは戦友でもある第一軍団でした。当然、第三軍団は父上の誇りでしょう。私にとっては尊敬するお二人の誇りこそがアレッシアでもあるのです」


 ラエテルが微笑む。

 カクラティスも、子供に向ける笑みを浮かべて来た。無論、目は言うほど笑っていない。


「では、此処ではアレッシアが恋しいのではないかな?」


「その昔、テュッレニアの民は空洞を得た木材に秋口の虫の音を見出しました。此処には父上も母上もおられますし、立派な海軍もございます。何より、陛下はアレッシア語が堪能だとお聞きしました。

 お爺様のご学友でもあると聞いておりますので、もしもの折は頼りたく思っております」


 背筋を伸ばしたまま、ラエテルが朗々と言い終える。

 楽しそうに肩を揺らしたのはカクラティス。王妃の顎は引かれている。フォマルハウトのつま先は完全にラエテルに向いていた。


「私の機嫌次第かな」

 カクラティスが言う。


「それは困りました。私は人の顔色をうかがうのが大の苦手なのです」

 ラエテルが大げさに肩を落とした。子供らしい可愛い仕草である。


 配慮はする。でも、誰の機嫌も取らない。

 そんな傲慢で豪胆な真意であったとしても、多くの者が許してしまいそうな愛らしさがあった。



「本当に仲がよろしいですね」


 フォマルハウトがそんなことを言ってきたのは、それから三日後のこと。

 マシディリが家族を連れて水遊びに、もといリクレスに泳ぎを教えていた時のことである。


 本当はラエテルとリクレスだけの予定だったのだが、ヘリアンテが行きたいと駄々をこねたのだ、ソルディアンナもそれならと乗っかり、結局べルティーナも含めて全員で行くことになったのである。


「あ、でも今は手の届かない距離にいるんですね」


 フォマルハウトが「どうもー」とべルティーナに挨拶をする。

 そのべルティーナの膝の上では、遊び疲れたヘリアンテがぐっすりと眠っていた。母親の服を握りしめ、顔は幼子とは言え女性がして良いのかというほどにだらけ切った顔である。


「政務の時もそうですよ」

「ああ。そう言えば」


 うんうん、とフォマルハウトが顔を上下に動かす。

 彼の後ろにいるのは護衛だけだ。その護衛がマシディリの護衛でもあるフィロラードの警戒心を高めている。アルビタはいつも通りの顔であるが、何時でもべルティーナとフォマルハウトの間に入れる場所を維持し続けていた。


 そして、マシディリの足元、川の中にも手ごろな石がある。いざという時は投石を行い、剣を取るまでの時間は十分に得ることができるのだ。


「宮廷ではマシディリ様と半ば合一であるかのようにべルティーナ様が居ると話題になっていましたので、忘れてしまっていました」


「義叔父上は叔母上とあまり一緒にいないものね」


 仲良くしないとだめだよ、とソルディアンナが結ぶ。それから、ヘリアンテの顔を隠すように布をかけた。息苦しいでしょ、とべルティーナがヘリアンテの口元の布を摘まみ上げる。


「仲は良いですよ」

「叔母上が近い時、義叔父上の指はたいてい曲がっているのに?」


 微妙にね、叔母上側の指の方が曲がっているの、とソルディアンナが実演する。

 フォマルハウトの瞬きの回数は少しばかり減った。視線も完全にソルディアンナに。


「エスピラ様もメルア様と仲が良かったと聞いていますからねー」


 じ、とソルディアンナが丸い目でフォマルハウトを見上げる。

 フォマルハウトの表情は常通り。瞬きの回数だけが、いつもの一定さを誇っていない。


「匂いもついていないのね」

「匂い。が、つく距離まで近づく夫婦は稀だよ?」


 フォマルハウトの言葉が途切れた瞬間に、ソルディアンナの目がぱちくりと動いた。


「失礼しました、殿下」

 ソルディアンナが丁寧に元気よく言って、べルティーナの隣に座る。


「基準が父上と母上や私とべルティーナになってしまい、申し訳ありません」


 ゆるり、とマシディリは言葉を投げた。

 フォマルハウトの表情は、いつものどこか抜けたような顔。


「明日の時間は、予定通りでよろしいでしょうか。『殿下』」


 人の好い笑みに、少しの毒を混ぜ。

 無論、フォマルハウトの表情が変わることは無い。


「ええ。よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 太陽の下ではにこやかに返しつつも、マシディリはユリアンナに薄暗い部屋を所望した。

 太陽の光が直接は差し込まない部屋だ。今の時期でも涼しく、快適に過ごせるが長い間会談をするのなら光源が必要になってくる、そんな部屋である。


 その部屋に、時間通りに。


 遅刻することも考えたが、やめておいた。


 此処はカナロイア。フォマルハウトの本拠地。悪意を買うだけならまだ良いが、下手な行動をしてカクラティスまで会談に同行すれば全てが水の泡だ。


 その危険を犯してまで、父の真似をする必要は無い。


「時間を取っていただきありがとうございます」


 何より、フォマルハウトは先に部屋に居たのだ。

 予想通りではある。そして、遅刻しても何の効果も得られなかっただろう。


「いいえ。こちらこそ、ユリアンナの傍にべルティーナ様がついていてくださり、本当に助かりました」


 頭は下がらないが、フォマルハウトがにこにこと謝意を示してくる。


「こちらこそ、長らくお世話になっていますから。何と感謝を申せば良いのやら」

「いいえー。義理とは言え、兄弟では無いですか」


 相変わらず、にこにことフォマルハウトは笑っている。


(さて)

 このまま普通にいっても、望むモノは得られない。

 故に、失礼と知りつつもマシディリは大きく踏み込むことにした。


「ところで、昨日は欲しいモノを得られましたか? 『殿下』」

 声を半音下げ、話す速度も微妙に落とす。

 フォマルハウトの顔は、変わらない。


「その呼び方はやめてくださいよー。拒絶されたみたいじゃないですか」


 指先も、瞬きも、呼吸も。

 全てがいつも通り。


「そのまま続けていただいても構いませんが、折角このような場を設けたのです。

 兄弟であるのなら腹を割って話すのが普通であり、国を憂うのなら腹を割って話す好機ではありませんか?」


 ただし、マシディリはいつもより雰囲気を冷酷なモノにした。

 瞬きも減らし、体はやや前に出す。視線はしっかりとフォマルハウトに固定して。


「嫌だなあ。私はいつでも素のままですよ」

 フォマルハウトはにこにこと。


「と、言いたいところですが、それでは不利益にしかなら無さそうだ」


 そして、するりとフォマルハウトから表情が抜け落ちた。

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