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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
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ウェラテヌスの両輪 Ⅲ

「賛成して欲しいなあ」

 ユリアンナがこぼすように言う。何かを強請る時特有の言い方だ。

 ユリアンナが多用しないこともあり、父はすぐに求めに応じてしまっていたものである。


「神格化をどうするかは後で論ずるとしても、分かりやすい権威は必要でしょう」

 クイリッタが言いながら、羊皮紙を取り出した。


 地図だ。

 ざっくりとではあるが、クイリッタの筆跡で地名も書かれている。


「フロン・ティリド編入戦。兄上は陣頭指揮を執るべきだと進言いたします」


「はんたーい」

 机に突っ伏したユリアンナを、真逆の雰囲気のクイリッタが見下ろす。


「フロン・ティリドは噂されていたような夢の土地ではありませんでした」

 声は元老院に奏上するような調子で目もゆゆとマシディリの方へと戻ってくる。


「肥沃な土地は南部と北東部のみ。他の地域を支配域に組み込んだとして、そこの民を土地の物で維持は出来るでしょうが、スィーパス討伐のための後背地作成と考えるとさほど旨味はありません。無論、その土地だからこそ採れるものもあるため、無駄では無いとは思います。


 しかし、冬場の攻撃は食糧を失った者達による略奪未遂。中央部の者達が食料の備蓄が足りず、南部の者から奪い取り、突き出される形で南部の者達が襲って来たのです。彼らの認識としては、急に肥沃になった土地があるから、楽するために奪いに来た、と言うだけ。弁当を現地で調達する遠足そのもの。


 即ち、兄上が目をかけ、知識を与え、共に発展させた地域を劫掠に来たのです。喧嘩を売っている、舐めた行為に他なりません。

 これを兄上が討伐し、フロン・ティリド全域をアレッシアの勢力圏に編入させ、食糧を握ることは非常に有益な行いだと思います。名としても、実としても。


 何よりも恐ろしいのは下の者達は恐ろしく無知で、上の者は兄上の植民都市群の者達が『豊かになったが故に弱くなった』と考えていたこと。私の知っている言語で十分に意思疎通が出来たことから入ってきた情報は間違いないようですが、彼らは、フロン・ティリド中央部では一部の者が知識を独占しております。


 そこに、勝機がある。

 遠征の成功には十分でしょう」


「はんたーい」

 ユリアンナが、再度言う。

 今度はクイリッタは口を閉ざし、言ってみろ、と言わんばかりにユリアンナに目をやった。腕は組んでいないが、重心は後ろに下がっている。


「今回の戦役で、兄上がアグニッシモやフィロラードを交渉の近くに置いていたのはフロン・ティリド攻略戦のためでしょ? ヴィルフェットだけじゃなくてリベラリスを派遣したのも、第七軍団を残したのもそう。

 兄上はどっしりとアレッシアにいるべきだと思いますケド。

 父上がいた時と違って、もう対等な立場じゃないのだから、仕事も違うでしょ」


「父上がいた時から公的な立場に於いての上下関係はあったはずだけどな」

「今まで以上にってだけですケド」


 アグニッシモも言っていたなぁ、とマシディリは思った。

 そのアグニッシモも、クイリッタやスペランツァに口酸っぱく言われているようであるが。


「言葉の端々に本心が宿るとも言うからな。外交を担当しているつもりなら気を付けたらどうだ?」

「なぁんですってぇえ!」


「二人とも」

 ユリアンナは喧嘩に応じられるほど体力が回復している。クイリッタもユリアンナの体調を見極められるほどにしっかりと考えた結果の行動だ。


 最低限、そう好意的に解釈しよう。

 マシディリは、そう決めた。



「愚妹め。アレッシアでどんな話が出ているか知っているか?


『マシディリ様は人にこだわり過ぎている。もっと第四軍団を積極的に使った方が良い』

『お気に入りばかりを重用されている。エスピラ様はもっと柔軟に起用し、抜擢もぴたりとはまっていた』

『第三軍団の高官は功績に胡坐をかいている。だから無様に負けるのだ』


 なあ、ユリアンナ。信じられるか。

 これが自称ウェラテヌスの支援者から聞こえてくるんだぞ」


 本当はもっと口汚いこと、無責任に過ぎることも言っているのはマシディリも把握していた。でもクイリッタが言わなかったのは、マシディリへの配慮もそうだがユリアンナを思ってのことでもあるだろう。


「これでは自称支援者ではなくて、自傷支援者ですね」

 マシディリのかるい冗句に対する返事は、無視に近い冷たい視線。


「憂さ晴らしの愚か者どもを黙らせるには、結果しかない」

 事実、クイリッタはそれ以上の反応を示さずに話に戻ってしまった。

 ユリアンナも、やや過剰にマシディリから正中線を逸らしてクイリッタに向いている。


「兄上の結果はそっちじゃないと思うケド」

「愚か者にも分かりやすい大きな結果が欲しいだけだ。誰かが一緒に叩くから叩けるだけ。奴等には目の前しか、いや、目の前のことも満足に理解できない脳しか乗っていない。

 そこに至るまで何があって、誰に功があって、あるいは誰が原因なのか。そんなことも分からず目の前でしか考えられない愚図どもだ。

 なら、目の前に素晴らしい結果があれば、ひとまず批判なんてできなくなるんだよ」


「常勝なんてまやかしよ」

「だから最大限の準備をする。それだけだ」


「楽観的にすぎない?」

「誰の根拠地だと思っている。それに、アレッシアに情報を伝えるにはオルニー島かテュッレニアを通る必要がある。ニベヌレスは問題無いとして、ナレティクスを抑えれば十分だ。タルキウスもアスピデアウスも封鎖できるしな」


 反論は用意しているだろう。

 それが分かりつつも、マシディリは口を開いた。


「アレッシアを裏切った者達への粛清とアフロポリネイオの名品をオピーマ派の方々に配る儀式は行うよ。申し訳ないけど、フィチリタの結婚式にも世界各地の名産品を並べる予定だしね。十分な権威じゃない?」


「愚衆に理解する頭があると良いのですが」

 刺々しい吐き捨ては、それだけ嫌な話を聞いていると言う証だ。

 クイリッタが掴んださくらんぼも、一つずつでは無く二つ一気に口に消えている。


「有効に働くことの方が多かったので失敗だとは思っていませんが、今は人手が足りていません。兄上の想定よりも重い罰を吹聴し、自分が間に立つと言って手柄にしようとしている者もいます。無論、兄上に意見できる人材であると示したいと言う下心もかなり」


 賢い手だとはマシディリも思う。

 本人がいなければ、自由に言えるのだ。何とでも。好きなように。


「内通者に関しては、誰の弁解も受け付けないよ。アレッシア人に犠牲者がいるからね。許されざる行為を許すつもりは毛頭ないさ」

「第三軍団が崩壊した、だなんて噂も流れてしまったほどです。精強ぶりを再び示さねばならないかと」


「トーハ族の撃退で十分じゃない?」

 ユリアンナが言う。

 あと、カナロイアに一日で作った防御陣地とか、とも。


「誰の口から?」

「フォマルハウト」


 クイリッタが鼻から息を吐き捨てる。

 それ以上言わないと言うことは、ユリアンナの意見にも一定の理解を示したのだろう。


「フロン・ティリド遠征に必要なのは兄上じゃなくて戦闘に勝てる人でしょ。

 東方諸部族とエリポスの調停には兄上が必要なの。裏で動いているマフソレイオに釘をさすにも、ハフモニ・フラシを止めるにも兄上。フラシの王族に関する諸問題も、グライオ様が関わっているけど兄上が以外が関わるのは良くないと思うな。


 私の後ろ盾の強化にも、チアーラとコウルスがどうドーリスと付き合っていくかも、兄上がいないと始まらないじゃない。


 これだけいろんなところに兄上が必要なら、自分達の意見が如何に浅はかか分かると思うケド」


「分かる頭があれば良いな。ねえよ、どうせ」

 ぱ、とクイリッタが両手の平を上に向ける。

 その手が裏返ると同時に乱暴にさくらんぼを掴み、口に押し込むように投げ入れた。


「それ、高いよ」

 一瞬、クイリッタの噛む口が止まる。


「しっております」

 くぐもった声で、小さな音が。

 ユリアンナの視線がマシディリにやってきて、小さく肩を竦めた。


「動かれると討伐しちゃうってか、出来ちゃうよね」

 スィーパスのことだろう。


「確実に、では無いけどね」


 フロン・ティリド遠征にどれだけの兵を連れて行くかにもよるが、かなりの確率で遠征を成功させようと連れて行った兵数をそのままスィーパスに差し向けることになれば、そうなる。


 ならば向けなければ良いと言う話になるのだが、そうはいかない。


 内通者の処罰は当然の話だが、敵対意識を醸成させてもしまうのだ。彼ら強力な政敵になりかねない者達が多く居れば、マシディリの軍事命令権の本来の目的を果たさないといけなくなってしまう。


 即ち、反乱者の討伐を。


(どう懐柔していきましょうかね)


 悩みは、尽きない。

 そもそも行くかも定かでは無い。

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