艱難辛苦を分かち合う
外衣をかけあう、あるいは一つの外衣に入ると言うのはエリポスに於いてそう言う合図でもあるのだ。
弟子が師匠を誘惑する際も使われるし、もちろん男女でも使われる。
だが、師匠などと言った上位者がかけた場合はほとんど拒否権が無いが、弟子などと言った下位の者が行った場合は上位者からかけなおされなければ不成立に終わる。
エスピラがかけたのは僅かな時間であり、銀細工に目が奪われていたマディストスが反応できる可能性はかなり低いと踏んでいた。そして、実際に反応できなかった。
(まあ、大神官様だしな)
ナレティクスなどとは違うだろうとも、ある意味信じている。
「如何でしょうか?」
エスピラは婦人受けの良い笑みを作って尋ねた。
マディストスの目が一瞬泳ぎ、少し下の、銀細工の方に行ってから動きが収まる。
「とても素晴らしい品かと。正直、アレッシアで作られたとは信じがたい品ですね」
「ありがとうございます。職人も、マディストス様のお言葉を聞けば感激のあまりむせび泣くでしょう」
泣く訳があるか、と思いながらも完全に隠してエスピラは言った。
意図があってか無くてかの確証は得られなかったが、マディストスの発言は完全にアレッシアを下にみた発言である。
やはりとは言え、気分が良いモノではない。
「会話中のところ申し訳ございません。マディストス様。エスピラ様も到着されましたのでそろそろ母上を見送る儀についての打ち合わせをしたいのですが」
エスピラが離れたタイミングでズィミナソフィア四世の声が聞こえた。
マディストスの目がイェステスにも向く。
「母上のお見送りは私が新しい女王の務めとして責任を持ちます。それと、婚姻の儀につきましても細々と質問がございますのでまた後で、でもよろしいでしょうか?」
だが、イェステスが何かを言う前にズィミナソフィア四世が畳みかけた。
マディストスも了承の言葉を返し、「ではまた」とエスピラに行って、エスピラが避ける形でマディストスが部屋を出ていく。
「婚姻の儀か」
エスピラの呟きがアレッシア語だったからか、イェステスが不思議そうな顔を向けて来た。
エスピラはにっこりと笑い返し、エリポス語で言葉にするべく口を開く。
「あんなに幼かったズィミナソフィア様がもう結婚かと、少し驚いてしまいまして」
イェステスが同意するように頷いた。
「ええ。本当に時の流れとは速いものです。伽に関しましてはもうしばらく待つことになるとは思いますが、母上の治世の長さと父上、お爺様と言った方が良いのかも知れませんが前王がこちらに居た時間を考えれば一気に若くなってしまったなと言う思いがあります」
「まるで他人事のようですね」
エスピラはやわらかく笑いかけた。
「必死に冷静さを装っているだけです。上が慌ててはいけないと、付け込まれてはいけないとズィミナソフィアには常々言われておりまして。同時に息抜きの場所も必要だと言われました。ズィミナソフィアの方が肝が据わっておりますから。そのズィミナソフィアが気を許しているエスピラ様を勝手に息抜きの場所にさせてもらおうかと思っているのですが、許していただけますでしょうか?」
イェステスも王になって五年目を迎えようとしているが、まだ十六になる年。サジェッツァの息子であり、アレッシアでは初陣できる年齢ではないパラティゾの一つ下なのだ。
この態度もまた当然と言えよう。
「アレッシアでも干され気味になっている男でよければ、幾らでも」
イェステスが困ったように笑って、窓に近づいた。
雰囲気を察してエスピラも窓に近づく。
「正直言えば私も不安はあります。ですが、全員ではもちろんありませんがカルド島で持ち上げた後に都合が悪いからと切り捨てるようなアレッシア人の中のから新たに選べと言うよりは一貫してアレッシアを守るために、そしてマフソレイオのためにも気を配ってくれたエスピラ様を頼り続けることに懸けることにしました。
それに、今のマフソレイオの窮状を救えるのはエスピラ様だけだと思っております」
「マルハイマナですか」
イェステスが振り向かずにこくり、とだけ頷いた。
「隠しても無駄でしょう。いえ、どこもが同じことを思うはずです。
代替わりで十六歳と十一歳の王と女王になった以上、マフソレイオはくみしやすくなっていると。歴戦の猛将がいたとしても余や妹との信頼関係は未だになく、戦争になれば調略もされるでしょう。そう思っていると露見すれば戦わずにマフソレイオは分裂してしまいます」
「そしてその状況はアレッシアにとっても厄介な状況である以上は私も動かざるを得ないと思っている、と」
イェステスの顔が動く。
はは、と情けない笑いをイェステスが見せてきた。
「そう言った打算もあります」
「打算でもよろしいかと。むしろ打算があった方が動く人もおります。それに、アレッシアにあるマルハイマナへのパイプは元を辿れば私に行きつきます。ナレティクスなどは勝手に使いかねませんが、大元は私。影響力を保持し続けるためにも私も『理由を付けて』行きたいところではありました」
そして、そのためにシニストラとグライオも連れてきている。
「頼んでもよろしいのでしょうか」
「お任せください、と言いたいところですが厳しいことは確実でしょうね。何せマルハイマナからすれば今なら労せずにマフソレイオの土地を手に入れる好機。東の端で起こっていた反乱も大分鎮まったと聞いておりますから」
「ですが、アレッシアとしてもマフソレイオとマルハイマナが争うのは得策ではありませんよね」
「そうですね。避けたいところではあります。アレッシアとしてはこの一年はまだ国力を蓄えて若き両陛下の治世が善政であることを知らしめてほしいとも個人的には思っておりますし」
もちろん、それ以外の意図もある。
エスピラが干されるならば、諸外国からの援助が滞ると。発想を飛躍させる声の大きい者に騒いで欲しいのだ。
「何が必要ですか?」
「マフソレイオ国軍二万の指揮権と領土の割譲も含めた交渉権があれば確実に」
イェステスの顔が引きつった。
「冗談です」と、エスピラは一切笑わずに告げる。
本心は完全に冗談、もとい貰っても困ると考えているのだが。
「冗談、ですよね」
「ええ。とは言え、自国の使節団を組んだとしても本来ならそれぐらいの覚悟は必要ですよ。そのぐらいも決められない者を窮地の側が送ってきても話になりません。むしろ、足元を見られます。他国に頼むのならなおのことです」
「ですが、アレッシアの使節団は」
「その後ろに今年や来年の軍事命令権保有者が居るのが常ですから。それに、アレッシアの基本は剣でお返しすること。最初から領土の割譲はあり得ません」
イェステスの口が真一文字に閉じ、またもや建物の外を見た。
その様子を見つつ、エスピラは自身の纏う空気もやわらかくして、視界に入っていないとしりつつもやさしく笑いかける。
「イェステス様。あくまでも普通なら、です。私ならば、私自身をマフソレイオの使者でもあると証明する印があれば十分ですよ。前女王陛下の御恩に報いるためと、新女王の即位の祝いに。それと、朋友の末永い発展と栄光のために、それだけで必ずやマルハイマナとの停戦を勝ち取って見せます」
普通はその印ですら他国の者に渡すものでは無いのだが。
イェステスが窓から離れ、エスピラと視線を合わせた。




