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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
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ウェラテヌスの両輪 Ⅱ

「神格化は劇薬だよ。私達にとっての毒となる可能性も高い上に父上の意思も無視してしまうからね。

 でも、リングアの活躍自体は父上も望んでいるはずだとは思わないかい? 一兵卒から、というのも、リングアがその内復帰することを望んでいないと出ない言葉だよ。

 それに、リングアの起用には第二第三の策があるから。アレッシアの政争からリングアを守るための策でもある訳だしね」


「都合の良い言葉では? 逃げた男は、また逃げますよ」

「持ち場から逃げなかったのは、クイリッタが一番よく知っているのじゃないかい?」


 初陣となるリングアの面倒を見ていたのはクイリッタだ。

 そして、逃げなかったからこそリングアの勇姿が『コウルス・ウェラテヌスの再来』と言われたのである。逃げないからこそ、戦争を終わらせるために作戦参謀のようになったのだ。


 その結果、自身が望まぬ結婚をすることになろうとも。


(そう考えると、私の方が酷いことをしていますね)

 リングアだけではなく、父だけではなく、目の前のクイリッタの意思をも踏みにじろうとしているのであれば。


「やっぱ訂正。ウェラテヌスの車輪として、なら、良いかも」


 ユリアンナが手を挙げて言う。

 クイリッタが思いっきりにらみつけた。ユリアンナが何も気にしていないかのようにクイリッタを指さす。


「明確な上下関係は必要じゃない? それに、遅かれ早かれアフロポリネイオはまたアレッシアを操ろうと動き出すよ。なら、分かりやすい餌を下げておいた方が良いと思うんだケド」


「政治から離れている男である必要は無い」

「でも、リングアは優秀だよ」

「どれだけ強い剣士も腕が鈍ればそこらの雑兵にだって負ける」

「私からの援助もできるケド」


「すぐに動かせば、アフロポリネイオも動きにくいよ。デオクシアは目的に気づくはずだしね」

「あ、兄上。それはそれとして、私は父上の神格化には賛成だから」


「ユリアンナもか」

 苦笑いしか、出てこない。


 確かに数的優位な方を作り続ければ、自分の意見は通しやすいだろう。

 でも、そう言った打算的な考えは此処には無い。三人ともアレッシアとウェラテヌスを、同一視の程度の差こそあれ、しっかりと考えて発言しているとマシディリは確信を持っているのだ。


「そう? 可愛い娘が困っているって言えば、父上なら納得してくれるんじゃないかなって」


「フィチリタか? レピナか。ああ、チアーラか」

「わーたーしーでーすー!」


 冷めたように言うクイリッタに対し、ユリアンナが唇を尖らせた。


 良く見て来た光景だ。そして、最近はあまり見ることのできていない光景でもある。

 レピナとセアデラも良く喧嘩していたが、それでもこの二人の比では無いのだ。


「マフソレイオかい?」

 折角用意してもらったのだから、とマシディリは果物に手を伸ばしつつ尋ねる。

 ユリアンナも同じようにさくらんぼに手を伸ばした。三人の子供時代にアレッシアに運ばれてきた物よりもやや大柄で、甘みも強い逸品だ。


 当然、カナロイアに流通している物では無い。

 むしろ、まだマシディリぐらいしかカナロイアでは提供できない品だ。もちろん、軍団兵には惜しみなく配っている。


「いちおーお義父様と魔女陛下が繋がっているのは厄介だけど、そうじゃないよ」

「いろんな意味でな」


 クイリッタの発言は、繋がっている、にはつかなかったものとして流すことにする。


「権威的な私の後ろ盾ね。ほら、此処じゃ私、野蛮な国から来た野蛮人の姫だし。実力だけじゃなくて権威も欲しいのよ。エリポス全体として不信感を持っているのもあるしね。

 兄上は強すぎたから。最初の、準備も整っていない子供の癇癪みたいな蜂起にも雷鳴のような攻撃をしたでしょ。それで、むしろエリポスへの不信感を強めてしまって、アフロポリネイオの蜂起に繋がったのかも、って。まあ、結果論ですケド」


「エリポス諸国家に警戒の兵を回し、欠けた兵数でトーハ族と戦えば全てを失う可能性もあった。兄上の判断は正しかったと思うがな」

「だから結果論って言ったじゃない」


「知っているか、ユリアンナ。馬鹿は結果論と断片的な情報でしか話さない」

「なっ!」


 二人とも、とマシディリはゆるりと声を発する。目は閉じて。ただし、諦めに近い目の閉じだ。現実も、ユリアンナが音を立てて立ち上がっている。はしたないぞ、というクイリッタの声は、ただの煽り。


「兄貴だって、最初はアフロポリネイオ攻めを批判して、今は兄上の行動を全面的に認めて。自分の言葉も覚えていられない馬鹿だと思うんですケド」


「責任転嫁が過ぎないか、ユリアンナ。エリポス諸国家を抑えるのはお前の仕事だと思っていたが。アフロポリネイオどころかドーリスまで敵に回して。


 で?

 留まったメガロバシラスは兄上がエキシポンスと仲が良いから。ジャンドゥールだってグライオやヴィルフェットも関わっている。


 お前のケツを拭いてやってるって分かってんのか?」


「淑女に向かって随分な言いようね。アレッシア一の色男が聞いてあきれるわ」

「おや。ついに兄を色男だと認めたか」

「うっさい詐欺師」


「ユリアンナ。色男は罪な存在なんだよ。向こうが勝手に勘違いしただけだ」

「こんな男に執着されるなんて。ディミテラちゃんかわいそー」

「あ?」


「んんっ!」

 マシディリは、大きく咳払いした。

 怒りが頂点付近に到達した瞬間。この瞬間が、意外にも二人を止める好機だとは生まれてからの付き合いで良く分かっている。


「アフロポリネイオ攻めは私の失策だから」


「兄上の失策ではありません」

「兄上の失策じゃないと思うケド」


「……仲良いね」

「誰が! 誰と!」


 今度に至っては一言一句、言う間まで一致している。

 これが本当に三十を迎えた大の大人、しかも子持ちかと思えてしまうほどに変わらない姿だ。


「だって、私は父上の神格化に反対なのに、二人は賛成なんでしょ?」

 故に、マシディリも少々幼く言ってみる。

 理論よりも感情。本国にも感情論で伝えている以上、冷静になった後でも有効だと判断してのことだ。


「兄貴の一歩手前までよ。私は、エリポスとかマフソレイオで父上に対して神格化する動きがあれば良いの。それだけで十分。兄貴と違って、兄上に何も言わずに道を整備しようとは思わないわ」


 ユリアンナが瞬きを消した。

 冷たい視線は、母そっくり。威圧感がたっぷりとあるが、母を知るが故にクイリッタには効いていないようである。


「アレッシアの執政官が誰かを覚えることすらできない残念な脳しか持っていないようだからな。わざわざ、分かりやすく、年代表記にしてやっただけだよ。その基準が父上の生年だっただけ。ウェラテヌスから伝えるのだから、別に普通のことだろ?」


「エスピラ暦、なんて、言っている国もいたのだケド」

「良かったじゃないか、ユリアンナ。望んでいたエリポスでのエリポスによる父上の神格化の動きだぞ」


「喧嘩したいのなら、ソルディアンナとサテレスとネプトフィリアも呼ぼうか?」

 クイリッタとユリアンナが互いを睨む。

 だが、何も言わずに立ち上がっていたユリアンナが席に戻った。


「私は神格化には反対だよ。それは変わらない。私は父上の神格化を私の手で進めたりもしない。その結果ユリアンナが軽んじられると言うのなら、五年でその者らの家の風通しを良くしてやるよ」


 決意の言葉だ。

 ユリアンナも、マシディリにとっては可愛い妹なのである。その妹を苦しめる者を憎むのも当然だ。


(ですが)


 アレッシアに居ても、分かる。

 マシディリには圧倒的に権威が足りない。アレッシアでは建国五門が活き、軍団も軍功も生きる。アレッシアが父祖を大事にし、歴史を重ねていくからだ。記録抹消刑が死刑よりも上位に来ることからも明らかである。


 だが、エリポスではそうはいかない。


 父エスピラ・ウェラテヌスは、実力で勝ち取った。


 エリポスに橋頭保を作り、当時エリポス一番のメガロバシラスをほぼ独力で押さえつけ、逆らう者の末路をしっかりと明示した。


(父上ならば)


 跡を継いだからこそ分かる。

 初めてエリポスを下したアレッシア人と、二番煎じで同じようなことをしただけの人間では評価が違い過ぎるのだ。


(父上ならば)


 この状況を、どうしたのだろうか。

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