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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十六章
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ウェラテヌスの両輪 Ⅰ

 心地良い風を運んでくる窓から、あわただしい音が聞こえてくる。


(もうそんな時間ですか)

 と、マシディリは日時計を見やった。


 なるほど。確かにユリアンナがやってくる時間である。


 ちらりと弟妹が来た後の議題の準備が済んでいるのを目で確認し、すぐに手元の書類に目を戻した。グライオからの手紙である。メクウリオによる火計と、その後の復興施策についての報告だ。


 マシディリは、グライオを信用している。父が最も能力を信用した者とすら言える男だ。

 任せておけば問題ない。それでも報告がやってくるのは、フラシ・ハフモニ両国についてはスィーパス討伐に関係があるから。即ち、マシディリの軍事命令権に含まれているのである。


 もちろん、グライオは元老院にも報告を送っている。

 だが、その内容はかなり薄い。詳細なモノは全て事後報告。


「決済者はマシディリ様である」


 それがグライオの姿勢だ。いっそ強硬に過ぎるとも言える姿勢は、ある意味ではエスピラがいないからこそでもある。


 グライオの支持者もまた多いのだ。

 アフロポリネイオでの敗戦で、エスピラの政治的な後継者としてグライオへの期待も高まっているのはマシディリの耳にも入っている。それでも心配が無いのはグライオだから。


 グライオに野心はない。


 未だにベロルスの者がメルアに言い寄ったことに心を痛めている者だ。

 ウェラテヌス派を割ることはありえない。


 その忠義も、マシディリを立ててくれる姿勢も、自らの功すらも影に隠して構わないと言ういっそ行き過ぎた献身も良く理解している。


 だからこそ、マフソレイオに亡命しているマヌアの遺児、即ち今のフラシの統治者であるサッレーネの義兄の子を立てようと言う策に疑問を抱いてしまったのだ。


 この提案は、サッレーネによるモノらしい。

 グライオも、自分はどこにいるか分からないからマシディリ様に伺いを立ててくれ、と返したとのことだ。

 だから、その内使者がやってくる。


 なるほど。マシディリの戦略には沿った行動だ。

 東方諸部族はマシディリ個人を頼ってきている。第七軍団やリベラリスを通じてプラントゥム東方の者達もマシディリの名を良く出しているはずだ。そして、フラシとハフモニでもマシディリの裁決待ちと言う形でマシディリの名が良く出ている。


 つまり、フラシの代表者を決めるのに噛めばマシディリの存在感はより強くなるのだ。


(ですが)

 後継者問題に口を出すのは、圧倒的な強者か戦争を望む者の行い。

 平和の維持という名のアレッシアの覇権維持のために調停者になるのは良いが、これではいきなり戦乱を撒かないかという不安もある。


 それに、マフソレイオに対してのさらなる譲歩も、怖さが勝つモノだ。


(まあ)

 唐突な話であり、方向転換でもあるとはグライオも理解しているようである。

 故に、マシディリの腹心、アビィティロを使者として派遣してくれ、とも言ってきているのだ。


 幸いなことにカナロイアに入ってからは軍団は落ち着いている。四人の副官の内、マシディリの行いをそっくりそのまま引き継げるアビィティロを離しても、問題はないはずだ。


(代わりの統括はマンティンディにやってもらうとして)


 ラエテルに、ともちらりと浮かぶが、まだ十二だ。

 考える方が軍団に失礼だろう。


(本当に?)

 マシディリが十二の時は、カルド島に居た。父と一緒に。


「早いなあ」

 もうそんな歳か、と思わざるを得ない。


 でも、アビィティロに代わってマシディリがいない時に軍団を統括するのはマンティンディだ。アビィティロには、マシディリの名代としてフラシに渡ってもらう。元老院を介さない行動も、また諸外国にマシディリの印象を強くさせる効果があるだろう。


「マシディリ様」

 ピラストロの声が扉の外からやって来た。

「皆様が揃われました」


 皆様、と言うが、来るのはクイリッタとユリアンナだけだ。

 マシディリもカナロイアの宮廷で寝泊まりはしているが、執務室として別の建物をアレッシア軍で貸し切っているのである。


「もう少ししたら向かうよ。お茶と、果物だけ用意しておいてもらっても良い?」

「かしこまりました」


 何時になく慇懃なのは、緊張の所為だろう。

 思えばピラストロはマシディリと関わることは多くともクイリッタやユリアンナと関わることはそこまで多く無かったのだ。


 ウェラテヌスとしての存在感も、クイリッタとユリアンナはやはり他の弟妹とも一線を画している。被庇護者にとっては緊張してしまう存在でも納得できてしまうのだ。


 マシディリを中心に据え、内政をクイリッタ。外征をリングア。晩酌を付き合っていた時に父がこぼした、当初の予定だ。


(リングア)

 父も期待していた三男。

 もしもリングアが戦闘に忌避感を覚えなければ、マシディリの次が不安定になることは無かったほど、能力を買われていた弟である。


 恐らく、チアーラの子の名前も変わっていただろう。

 コウルス・ウェラテヌス。

 その名を付けたのは、もちろん孫への想いもあるが、コウルス二世と言われてしまったリングアへの配慮もあるのだ。



「アフロポリネイオの工事の監督官をリングアにしようと思うのだけど、どう思う?」


 アレッシアの有力者として、ウェラテヌスの当主としての大きな父の背だけでは無い。

 一人の父親として、人間としてのいつもより小さな父の背を知っているからこそ、マシディリはそんな提案をしてしまった。


「父上は、リングアを使うなら一兵卒からって言っていたよね?」

「やめるべきです」


 二人の反対は、当然予想出来ていたと言うのに。


「父上の跡を継ぎ、最高神祇官にもなり、広大な軍事命令権も兄上の手にあった。順調に行けば父上と同じくアレッシアの第一人者も見えていたと言うのに、今やもう雲の中。

 その状況で身内の優遇など、愚策も愚策。しかも戦えないような腰抜けの臆病者に食ませる禄などどこにもございません」


「うわ。こわ」

 ユリアンナがやや大袈裟に引くフリをした。

 クイリッタは当然のように妹を睨みつけている。


「父上の遺言にもあったと思うが?」

「父上はもっと直接的にリングアに愛を伝えていたと思うのだケド」


 喧嘩、と称すべきか。じゃれ合いと言うべきか。

 迷った結果、マシディリはため息に留めることにした。


「リングアは初陣前からアグリコーラとかの工事で父上の手伝いをしていたからね。その延長線上と思えば問題は無いと思うよ。アレッシアの、というよりも、ウェラテヌスによる手伝い、とも言えるようになるしね」


「講和条件はアレッシアが手伝うことです」

「元老院は財を供出してくれないよ」

「出させることは出来ます」

「他に振り分けたいね」


「エリポスの腐った手がリングアに伸びることも十分にあるとは思いませんか?」

「それこそ、父上の遺言に従って、と言ってウェラテヌスで討伐軍を動かせるね」

「おお。為政者っぽい」


 ユリアンナが雰囲気を軽くするように茶化してきた。

 マシディリも気づかない内に、少し熱くなってしまっていたのだろう。腹から、ゆっくりと呼吸を行った。クイリッタも背筋を整え、やや呼吸を深くしている。


「父上の意思を無視していると言う点では、兄上が否定している神格化と何が違うのでしょうか」


 とげとげしいのは、素直ではない弟の染みついた癖だ。

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