五得の暗殺
船乗りとは星を読むモノだと聞きました。私もカナロイアの王太子妃として、次期王妃として、さらには王太后になる身として知っておかねばと思い、学んでみた次第です。
そのような文面から始まるユリアンナの手紙は、分かりやすい暗号であった。
(なるほどね)
此処はカナロイア国境近く。軍団を伴って移動であるため入国許可と宿営地の打診を待っているところ。即ち、マシディリの居場所が完全に露見している状態。カナロイアともなれば、今回の一連の交渉に際してマシディリがアグニッシモとフィロラードを近くに置いていたのも知っているだろう。
故に、マシディリはアグニッシモを離した、
本来はフィロラードも離したかったが、フィロラードの気持ちを想えばこれで良かったのだと思う。
完全な感情論では無く、縁者として並ぶ二人ではあるが、立場の違いもあるのだ。
アグニッシモは、現時点でマシディリにもしもがあれば繋ぎの当主となる人物。対してフィロラードはあくまでも義弟。ゆくゆくはアルグレヒトの当主。そう考えれば離すべきかもしれないが、シニストラの子供は他にもいる。レピナが再婚を承諾しなさそうだが、そこも感情だとすれば悪くはない決断だろう。
「こねくりまわし過ぎですかね」
アレッシア語で呟き、りんご酒の入った容器を音を立てて置く。
それを合図にしたかのように男達が小屋に雪崩れ込んで来た。全員が武装をしている。此処は小屋。男達の主戦武器は剣。部屋の隅にある明かりは素早く消され、机の上にある蝋燭だけが残る。その刹那に見えた男たちの鎧は、古い物ながらもアレッシアの鎧だった。
(誰の?)
内通者であるならば話は早いが、昔、アレッシア人を使って金策をしていた人物もいる。
マールバラ・グラムだ。
第二次ハフモニ戦争に於いて、本国からの支援が少なかった稀代の戦術家は、アレッシア人や鹵獲品をエリポスに売って財としていた。その経路を遮断し、一部を取り返したのがエスピラである。
「無用な殺生は好まない」
低く小さく抑えているが、血の滴る声だ。
そう思いながら、マシディリはゆるりと首を横に傾ける。
「マシディリ・ウェラテヌスだな」
(暗殺には慣れていませんね)
男達にとってみれば、此処は敵地。しかも首魁の下にたくさんの兵を送り込んでいる状態。
悠長に過ぎる。
「ええ。王太子妃の実兄である、マシディリ・ウェラテヌスですよ」
マシディリが送り出す暗殺者であれば、「ええ」の時点で切りかかっている。
最後まで待ったのは、不要な誇りか、ただの驕りか。
いずれにせよ、見切りをつけたマシディリは蝋燭の火も消した。闇の完成である。その中で、光量を抑えた状態で赤のオーラを広げた。天井に下げいる布を通した明かりは、煤けた紅となる。不気味な色だ。人魂、超常的な存在、恐怖。
赤と言うのが炎に繋がり潜在的な恐怖をもたらすとしても、暗がりを照らす光の要素があればこそ好かれるのだとすれば。
この光は、照らしはするが闇を払いはしない。故に、怖いのだろうか。
闇を活かし、炎を告げる光として。
(人手不足)
乱入者に混ざっている足を半分下げた者達を見ながら、思う。
「かかれ!」
その声は、多分、叫ぶ必要など無かった。
椅子に座ったままのマシディリに対して駆けてきた男達を見ながら、さらに減点を付ける。
同時に開くのは部屋に置かれた箱。もとい、隠し扉。現れるのは勇猛な若武者だ。
「先頭は捨て石でしょっ!」
槍の一突きが先頭の男の喉を貫き通す。
フィロラードは槍を抜くことはせず、すぐに剣に切り替えた。部屋の四辺からはどんどんアレッシア兵が出てくる。シニストラがフィロラードにつけた歴戦の被庇護者だ。フィロラードが彼らを使った戦闘を望むのも良く分かり、フィロラードを守りたいと言うシニストラの気持ちも良く分かる猛者ばかり。
「何人かは捕まえて!」
フィロラードが吼える。
その間も剣を振るい、膝を蹴り飛ばし、倒れればどこかの関節を逆に曲げて痛みに悶えさせていた。
その様子を、マシディリは悠然と座ったまま眺める。
「しゃらくさいっ」
シニストラ譲りの懐への飛び込み具合で、フィロラードが一気に敵の太腿に剣を突き立てる。変に刺さったのか即座には抜けなかったが、こだわることなく手を離した。回転。肘撃ちを近くにいた別の男の顎に。頭が浮いた隙に足を払い、地面に伏せさせる。
「誰の鎧だ!」
また別の男を吼えんがら掴み、自ら背中から倒れて敵を投げ飛ばす。投げられた敵は、アルグレヒトの被庇護者によって取り押さえられた。
(多弁なのは、レピナの所為かな)
シニストラはどちらかと言えば静かな人物であった。それは、戦闘時も変わらない。でも、フィロラードは良く吼える。
なるほど。素直では無いレピナと会話をしようと思えば、ある程度多弁でなければならないのは必然だろう。
それに、敵の鎧がアレッシア人の鎧だと気づいたのも高評価だ。
血と、汗の臭い。
砂ぼこりが立ち、むせかえるような漢達の蒸気が空間をすえさせる。
その中で、マシディリは悠々と、澄み渡る青空の下にいるかのように立ち上がった。
「流石だね、フィロラード」
敵対勢力は、既に全員地に臥せっている。
「ウェルカトラ神を宿したような武勇は、まさにシニストラ様そっくりだよ」
ウェルカトラ神はシニストラも信奉する神。
そして、シニストラの働き場所は戦場と言うよりもエスピラの護衛。今回のような戦闘は、まさにシニストラの働き場所。
「ありがとうございますっ!」
フィロラードにとって、最も父親に自慢できる武功になるはずだ。レピナも喜ぶに違いない。
マシディリも満足げに頷き、すぐに拷問へと場を移した。
無論、敵もさるもの。
直接カナロイアの王妃とは繋がらない。
だからこその質の低下ではあるのだろうが、そもそもが「王太子妃の実兄である」と言う言葉を否定しなかった者達だ。他国の者も居るし、使い捨ての反アレッシア派のカナロイア人も居る。
だが、必要なのはマシディリがカナロイア国境部で襲われたと言う事実。そして、マシディリも暗殺を防いだと言う結果。
この事件について、関係者の処罰はこれ以上進むことは無いだろう。
それで良い。
これで、カナロイア国王カクラティスはアレッシアから庇ったと言う実績を作り、求心力を強くすることができる。
誰が背後にいるかなど誰の目からも明らかなため、王太子妃であるユリアンナは王妃派閥に対して優位に立つことも出来た。
アレッシアもせめてもとカナロイア領内に駐屯する許可をもらうことができる。
カナロイアもアレッシアの力を借り続けながらもアレッシアと対等にやり合える国はどこかとエリポス諸国に示せた。
そして、マシディリにも利がある。
暗殺を未遂で防ぎ、威光を高めることに成功したのだ。エスピラも、終結間際に暗殺未遂を受けたように。マシディリも遠征の終わり際に暗殺を企図され、しっかりと防ぎ切ったのである。
本当に、カクラティスやフォマルハウトが王妃の権力を抑えようとしたのかは分からない。
確かなのは、マシディリ達もまたエリポスとの関係が変わったこと。
カナロイアとの関係は、誰かを並び立たせるものにはならないかも知れない。
そんなことを、アフロポリネイオの宮殿よりもよほど立派なカナロイアの宮廷を前に思う。
「マシディリさん」
そして、その思考の全てが吹き飛んだ。
「べルティーナ」
言葉もそこそこに。
足が速くなる。
少々戸惑ったような表情を見せる愛妻も、足は動かさない。
マシディリはそのまま勢い良く愛する人を抱きしめた。
あたたかい。
良い匂いがする。
心がやすらぎ、疲れが取れていくような。もうずっとこのままでいたいと思えてしまう。
「ちょっとっ。人前よ」
妻が何かを言っていたが、マシディリは気にせずに愛妻の後頭部に手を回した。長い髪に指を絡め、空気を入れるようにいじる。鼻をうずめ、匂いをかぎまわしたいとの衝動にも駆られた。だが、やってしまえば妻が怒るのは目に見えているため、我慢する。抱きしめるだけで我慢する。
上半身だけの抵抗は少々あったが、すぐに収まった。
おずおずと背中にやってきた手が、ぎゅ、と衣服を掴んだのが分かる。抵抗を止めた愛妻が、顔を完全にマシディリに押し付けたのも。
「おっと~」
緩い声に、べルティーナが即座に反応した。
動いた頭を、マシディリは押さえつけるように再び自分にくっつけさせる。
「一応、可愛い甥っ子に会いに来たって体だと思っていたのだケド」
まあ、べルティーナちゃんは兄上のことを心配して落ち着かない様子だったからねー、とユリアンナが締め、赤子に対してと思わしき猫なで声を出した。
「ちょっと。ユリアンナさん! マシディリさんも、そろそろっ」
「心配してくれていたのなら、もう少しくらい良いでは無いですか」
「ちょっと。もうっ」
文句を言いながらも、体温の上がった愛妻の動きはまたもや静かになっていく。
(『愛妻の死すら焚きつける道具に変え、攻め寄せる』、ですか)
結婚当初は、そうだっただろう。
きっと、アレッシアのためと行動するべきと今でも思うとも分かっている。
でも、本当に出来るのだろうか。
この腕の中にいる、愛しいぬくもりを。果たして、本当に切り捨てることができるのか。
待ち続けていたカナロイアの王族にマシディリが挨拶をしたのは、べルティーナに抵抗する気力が一切無くなってから。生まれたばかりの甥っ子が一度下がらざるを得ないほどの時間を経てのことであった。




