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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
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アフロポリネイオ歓待戦 Ⅱ

「父上を神格化することは私にとっては好ましくないことであり、アスピデアウス派だけでは無く私の派閥の者も全員が賛同する案ではありません。アレッシアにとっては交渉にもなっていませんよ。

 それに、マフソレイオが欲しいのはエリポスでの影響力。ただただ食事を提供する国では無く、必要な国だと言う認識をエリポス全土に植え付けられた時点でマフソレイオは目的を達しています」


 ズィミナソフィア四世の目的は、エリポスがエスピラの神格化を進めることによる外堀埋めだ。少なくとも、マシディリはそう推測し、無視して良いと判断している。


 一方で、イェステスへ信頼する者にしかこぼせないような愚痴に似た手紙も送った。

 カリヨに対して「兄の思い出を巡る旅はどうですか?」とマフソレイオ旅行の手配もしている。


 実行できるかも曖昧なフロン・ティリド遠征に向け、人を割き過ぎていたと、今になって思わなくもないのだ。


「エスピラ様が神となることで、エリポス諸国家が敗北したのも仕方がないとの論調を形成することができる。アフロポリネイオが対抗できたのは此処が神の地であり、アフロポリネイオに神の加護があるからだとして権威を高めることも可能だ」


 デオクシアがはっきりと言い放つ。

 大神官は頷くでも無く否定するでも無く、ただワインを傾けていた。


(流石にそのあたりまで理解できていないとは思いませんでしたが)


 予想以上に対立は深刻なのかもしれない。

 あるいは、籠城による精神的な疲弊が、外に出ているデオクシアに対してより攻撃的にさせているのか。


「以前はドーリスが宗教会議の私物化として非難をばらまきましたが、次はカナロイアが反対するかもしれませんよ。そうなった場合、マフソレイオの物資は結局届きません。私としても妹が嫁いでいて、正統性を担保された甥がいる以上、カナロイアへの抑止力にはなりたくありませんから。


 父上の神格化で得するのは私では無い以上、その交渉はほぼ無意味。黙認しろと言われれば黙認してもよろしいですが、これでアレッシアが得したと思われるのは、些か、不快ですよ」


 不快ですよ、の言い方は、もちろん父の真似をした。

 一切食事に手のつかなくなったアフロポリネイオの二人を無視して、アグニッシモが頬を綻ばせながら食事を続けている。


(ドーリスと完全に思い込んでいるようですね)


 不快ですよ、の言い方に反論を失った可能性もあるが、カナロイアが流したことを否定しないあたり、アフロポリネイオからドーリスへの不信感もかなり高まっているのだろう。


「エリポス国内への影響力として、他の二国を上回りたい、アレッシアへの善戦を利用したいと言う気持ちは良く分かります。


 どうでしょう。

 アレッシア軍が略奪して得た物資とアフロポリネイオの物資を交換するのは。


 全てとはいきませんが、ほぼ等価で、あるいは少々そちら有利でも構いませんよ」


「そちらに何の得が?」

 デオクシアが声を低くする。

 その攻撃性を、酔った大神官はどちらに解釈するのか。


「オピーマ派の方々には、他のエリポス諸都市の物品よりもアフロポリネイオの品の方が価値を見出してくださいますから」


「売ると?」

 聞いてきたのは大神官。

 デオクシアは口を閉じ眉を顰めている。その状態で最初に視線が向かったのは大神官だ。


「配るのですよ。フィチリタが嫁ぐ予定ですから。妹には、少しでも不安の少ない環境を整えてあげたくて」


「随分と家族思いだな」

「人質になった瞬間殺されたものとして動くつもりですからね。せめてそれまでは、と言うだけですよ」


 白々しい言葉を。

 どこかで、自分の声が聞こえた気がした。黙れ、と口から出そうになるほどに、くっきりと聞こえてしまったのである。


「こちらの完全なる得としては、内通者一覧とその確たる証拠を。それから、ドーリス傭兵に今後払う予定だった財もこちらがもらい受けます。

 代わりに、今回の策による水抜き及び腐った木材の交換などに対してアレッシアの技術を提供いたしましょう。それから、戦闘技術も一部お伝えしますよ?」


「要らん」


 大神官の態度が硬化するのは当然分かっていた。

 デオクシアの顎が引かれる理由も分かる。彼が、その裏を読もうと頭を働かせていることも。


(残念ですが)


 アレッシアが交渉に応じる。


 それが分かった時点で、どうやらアフロポリネイオ内部では政争が始まってしまったらしい。アレッシアに勝てるだけの策を推し進めたデオクシアにこれ以上前に出られるのは、誰もが望んでいないのだ。


 アレッシアだけでなく、アフロポリネイオも。戦いを進めたいドーリスも。強敵に権力を握られたくないカナロイアも。果ては、マフソレイオも。


 支援者も減り始めれば、自然、デオクシアの孤立は深まっていく。


「今のアフロポリネイオは、どちらの国ですか?」

 笑い、体の前を開けた。体もやや乗り出し、目も開き瞬きを抑制する。



「自国の兵よりもドーリス兵の方が多い。しかも、王まで乗り込んできている。


 これでは、負けた国のようではありませんか。


 自国の兵だけでは守れないようにして、他国の兵が我が物顔で駐屯する。物資も多く消費し、女子供襲い、果ては守ってやっているのだからと言い散らす。


 ドーリスと戦っていないのに、ドーリスに負けた国のようになっていますよ。そして、恐れられている国と同じような扱いを受けている。


 アレッシアにとってハフモニのような、ね」



 ハフモニは、アレッシアの許可なく戦闘が行えない。しかも、今はグライオが駐屯している状態だ。

 タイリー・セルクラウスがマシディリほどの頃はアレッシアよりも強かった国が、今は完全にアレッシアの下にいるのである。


「メガロバシラスとも同じだとでも?」

 大神官が言う。

 いえ、とマシディリはやわらかく首を横に振った。


「あの国はアレッシアの駐屯を防ぎました。自国の兵で自国を守る体制を整えています」


 大神官の口が、完全に閉じた。

 ワインの容器を持つ手が僅かに震えている。それを見てもなお、マシディリは奴隷にワインを注ぐようにと身振りで指示を出した。奴隷もすぐに注ぐ。


 そのワインは、豪快に、味わうことなく大神官に飲み干された。


「アフロポリネイオ人が、何故苦しんでいるアフロポリネイオ人を無視してドーリス人を厚遇するのか。私には理解できません。ドーリス人による横暴を見逃し、アフロポリネイオ人に我慢を強いていれば、その内崩壊しますよ」


「内通者の確証は渡せません」


 大神官の返事の前に、デオクシアが滑り込んでくる。

 大神官の据わった目がデオクシアに移動した。デオクシアは、大神官を見ずにマシディリに視線を向け続けてきている。

 ただ、マシディリは顔は向けても言葉をデオクシアに向ける必要は無いのだ。


「言わねば分かりませんか?

 アレッシア軍から略奪品を取り戻すのは、エリポス各国に戻してやるため。内通者一覧を受け取るのは、エリポス諸国家が攻撃してきた証拠をこれ以上残さないため。


 アフロポリネイオがエリポス諸国家を守った形を作るための講和ですよ。

 必要ならば、アフロポリネイオの神にでも誓いに行きましょうか?」


 アレッシアの最高神祇官が、アフロポリネイオの神殿を訪問して誓いを捧げる。

 これ以上の宗教的な権威に基づく勝利は無いだろう。


「技術も提供するのに?」


 屈辱では無い。

 アレッシアの技術の方が優れているとの確信がマシディリにはあるのだ。


 いわば、披露の場。アレッシアの優れた技術力を見せつけ、アレッシア製品への信頼、信仰を高めるための策。ゆくゆくはアフロポリネイオの競争力を低下させるのが狙いだ。


 無論、上手く行くかは分からない。

 だが、早めに試してみたい占領政策ではある。


「うむ。うむ。ならば、確証を渡そう」

「デラコノス様」

 デオクシアの咎める声は、蠅を払うように手で弾き飛ばされた。


「だが、こちらとしてもアレッシア内部の情報は欲しい。どうかな。アフロポリネイオの者、例えば、此処にいるデオクシアなどを元老院議員に加えるのは」


 マシディリは、まず笑みを深めた。

 それから、新しい鈴を鳴らす。


「デザートをお持ちいたします」

 静かに言って、マシディリは席を立った。


 扉を出てすぐにレグラーレを呼ぶ。命じたのは、アフロポリネイオに入れた諜報員の撤退。

 その後に、部屋に戻る。


「デザートを食べたら、おかえりください。三日後に攻撃を再開いたします。ドーリス王を入れたままにするなり、共に戦うなり。ご自由にどうぞ」


「は?」

「お待ちを!」

 大神官の理解できていない声に、デオクシアの大声。


「乗っ取るのが目的なのであれば、徹底的に潰させていただきます。では」


 その後も二人の声が聞こえるが、マシディリは緋色のペリースを外し、部屋に投げ捨てた。


 扉が閉まっていく中で、紫色のペリースを受け取る。部屋の二人に紫色のペリースを羽織ったのだと分かるところまで行動を完遂させ、扉が閉まるまでの僅かな間はその場にとどまった。

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