表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
1443/1590

アフロポリネイオ歓待戦 Ⅰ

 部屋に漂う芳醇な香りに対する感嘆をおくびにも出さず、マシディリは悠々と席まで大神官長を案内した。もちろん、部屋に準備の指示を出したのはマシディリである。だが、予想以上に良い仕事をしてくれたのだ。

 

 これらを無駄にしないためのマシディリの仕事は、まずはアフロポリネイオの大神官長の隣に座ること。


「どうぞ」

 遠慮なさらずに、とマシディリは手のひらで椅子をさした。

 大神官がマシディリを見た後、堂々とした仕草で座る。その直前までは、やはりと言うべきか。これでもかと並べた料理に目を奪われていたようだ。


「お父上の神格化については、考えてくださいましたかな」


 されど、大神官は荘厳に言ってくる。

 先程までの俗物的な視線など無かったかのようだ。


「ひとまずは腹を治めてから。そういたしませんか?」


 歩調をそろえたウェラテヌスの奴隷が部屋に入ってくる。

 流石に、第一軍団や第三軍団のように「一つの足音」では無いが、心地良いそろい具合だ。

 その彼らが、コップと皿を次々と置き、濡れた手拭きと乾いた手拭きを綺麗に並べる。


「我らは早期の講和を望んでいる。神格化は、悪くない話どころか貴君にとってもうまみのある話だと思うが」


 困りましたね、とマシディリは苦笑した。

 食べたい、と言わんばかりにアグニッシモが顔を落とし、食材を見つめる。

 無論、演技だ。アグニッシモには、とにかくたくさん食べて良い、と伝えている。


「利益がどうの、では無く、父を慕う子として、父上のことを神だと言われるのが嫌なのです。私にとって父上はあくまでも父上。人間であり、苦悩の末に栄光を掴むことのできた、敬愛する父上でしかありません。そして、父上の功績は『神だから』で片付けてはならないモノだとも思っています」


「神だからと言って簡単に事が片付くわけでは無い。だが、この戦争は簡単に片が付く」


「ひとまず食事にしませんか?」

 話す速度をやや落とし、マシディリは机の中央へと手を向けた。


「人間、おなかが空けば攻撃的にもなってしまうもの。私達の話し合いが平行線をたどり続けている今は、少しでも友好的な気持ちで会談を行うべきでは無いでしょうか」


 大神官長の目がデオクシアに行ったわけではない。

 だが、一瞬だけの目の動きとごくわずかな口元の引き締めがあったのは事実だ。

 そんな大神官長に、マシディリは微笑みかける。


「デラコノス様が来られると聞いて、用意したのです。籠城の準備をしていては、新鮮な果物も野菜も手に入らないでしょう? ましてや蜂蜜は貴重なのではありませんか?」


 チーズに。肉に。魚に。

 父が晩年に力を入れ始めた蜂蜜をたっぷりと使った料理も並んでいる。


 籠城戦となり、どれだけ新鮮な食材が残っているのか。民の間では高官連中は豪華な食事を摂っているとの陰口もあったが、それでも、マシディリが目の前に用意した分には及ぶまい。

 しかも、アレッシア軍も戦場に居るのに用意したのである。


「兄上。食べても良い?」

 アグニッシモがエリポス語で言う。マシディリも、エリポス語で肯定の返事をした。


 大神官の疑ったような顔は、アグニッシモの行動に対して。マシディリの返事に対するものではなく、大口を開けて食事をするアグニッシモのその態度にである。

 対してデオクシアの目は、マシディリに。


(やはり)

 わざわざエリポス語で聞いたことに疑問をもったようだ。


 自然なことかもしれないが、そうでは無い。エリポス語は公用語。それも、世界の公用語だと言って憚らないのがエリポス人。他者を見下す意識が、此処で大神官の目を曇らせたのである。


「マシディリ様も、講和で同意していると聞き及んでいたが」

 大神官が厳しい声で言って、眉間を必要以上に険しくした。


 対して、マシディリはひとまず野菜を一口ほおばる。応じるように、さらに顔を険しくして大神官も食事を口にした。肉だ。はちみつ漬けの、良い肉。それを一般的な一口よりも多い量を口に入れていた。


「ええ。ですが、最も欲しい者はデオクシア様に断られてしまいました」

「最も欲しい物か。アフロポリネイオの秘宝でも要求したのか?」

「そうですね。アフロポリネイオにとって欠かせない者であり、ある意味では悲報でもありましょうか」


 食べるかい? とマシディリはアグニッシモに肉を差し出した。

 ぱあ、と愛弟の顔が明るくなる。


「マシディリ様は好き嫌いが激しいのか?」

 質問は大神官から。


「基本的には兵と同じ時に同じものを食べようと思っているだけですよ」

「上に立つ者としての覚悟か」


 大神官の声がやや攻撃的になった気がしたのは、マシディリの気の所為か。推測が先立ち過ぎている結果か。それとも、真実。


「それほど大層なモノではありませんよ」

「大層なモノでは無いから、弟は食べていると?」


「私が軍団の一番上。アグニッシモは、功ある騎兵隊長。アフロポリネイオとの戦は沼地だったので活躍の場が限られてしまいましたが、トーハ族との戦いなどに於いては比類なき功を誇っていますから。褒美ですよ」


「それは素晴らしい」

「素晴らしいアグニッシモを自由にさせなかったアフロポリネイオもまた素晴らしいですよ」


 ワインの入った容器を傾ける。

 大神官は、容器を軽く持ち上げるだけ。それでもマシディリは合わせるように動かし、口元に容器を当てた。飲みはしない。舐める程度。それでも飲んだように見せかけ、容器を机の上に戻した。


「やり直したとして、やはり攻略は不可能でしょうね」

「ほお」


 声はやや素っ気ない。

 でも、大神官の手はしっかりと食事を取り分けている。


「ええ。交渉は同じように始まっていたと思いますよ」

 声は大神官に向けて。

 彼の意識の比重が変わり、マシディリの観察が疎かに成ったと思えば目をデオクシアに向けた。


 十日で攻略はできず、帰ってくる前に貴方が講和交渉に乗り出すでしょうから。

 口には出さず、口元の緩みと湖底の眼光でそう伝える。


 大神官デラコノス。相手にならず。

 その意図が伝わった瞬間、デオクシアの背筋は伸びた。だが、何も言わない。言えない。言えるはずが無い。


 マシディリも分かっている。デラコノスの目的が。その一つが、デオクシアの失脚および自分がデオクシアより優位にあると誰からも分かる形で示すことだと。


 そして、マシディリが一番欲しい者はデオクシア。

 デオクシアがアフロポリネイオからいなくなれば、どうなるのか。


 少なくとも、現状としてはアレッシア軍がアフロポリネイオの包囲を続けており、駄馬の件を通じてエリポス商人はマシディリの掌中に収まりつつあるのだ。マフソレイオから支援が来るとしてもまだまだ先。アレッシアと戦闘になれば消えるかもしれない。


 そして、商人から物資の輸送は、アレッシアの管轄下で行わねばならないこととなっている。


 このことを理解している者達も、デオクシアの交渉が難航していると見てかマシディリへ接触してきた。デオクシア程祖国愛がある者は多くは無いが、能力はある者達を引き抜けるのはアレッシアにとっても非常に大きい。


「ドーリスの、でも、飲みますか?」


 マシディリは高級な鈴を鳴らした。

 良い音色は良い音色なのだが、マシディリとしては何故こんなにも値段が違うのかが分かっていない。それでも、エリポス人には効果があるのだろう。


 そうして奴隷が運んでくる英雄の血、ドーリス名産のワインも、大神官を喜ばせるもの。


「ドーリスの、か」

 大神官の声も、僅かに高く大きくなっている。


「ええ。ドーリスです」

「ふふ。いただこう」

「どうぞ。ごゆっくり。舌で遊びつくし、味わいつくしてください」


 自分で飲むよりも、これが一番の使い方。

 マシディリはそう思っているからこそ、遠慮なく高いワインを大神官の腹に注ぎ続ける。アグニッシモも酒より食い気。美味しそうにしっかりとほおばり続けている。釣られるのは、程良く顔が赤くなってきた大神官。


「デラコノス様」

 デオクシアが諫める。

 当然、大神官は良い顔をしなかった。

 それでも、手を止め、マシディリをしっかりと見てくる。


「ちなみに、胃に収められたのはカナロイアの、も含まれています」

 マシディリが少し上体を乗り出して言えば、大神官の口角が小さく持ち上がった。


「そうでは無い」

 酒で緩んだ結果、漏れ出す歓喜は交渉したことがある者ならば誰でもわかるほどのモノ。されど、大神官は如何にも厳かな声を出した。


「講和交渉にマフソレイオが出て来たと言うことは、彼の国の面子もかかっているとは思わないかね」

 酒まで入ってしまえば、マシディリの予想の範疇を越える質問など飛んでこない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ