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大神官

 大きな窓の向こうにマフソレイオの街並みが見える。その手前に緑の大きな葉をつけた巨大な木。そして、その内側にマフソレイオの王たるイェステス。少年だった彼も十六歳。貫禄に満ちているわけでは無いが、一国を率いるための活力には満ちているように見えた。


 その彼の隣に、イェステスの三倍以上の年齢はありそうな髪の少し薄い男。


 服は絹特有の光沢を纏っており、大青で染めたかのような青色の部分が存在している。留め具は獅子と鹿が浮き彫りされている金のようだ。その下に着ている服は茜で染めたかのようなラインが一本入っている。


「お久しぶりです。イェステス様。初めまして。エスピラ・ウェラテヌスと申します」


 先に王に敬意を払ってから、エスピラは大神官と思わしき男に頭を下げた。


 良く来てくださいました、と言うイェステスの言葉の後、別の方向、大神官の方から衣擦れの音が聞こえてくる。


「マディストス・キュプセロスです。エスピラ様のお噂は聞いておりますよ」


 丁寧な言葉遣いではあったが、決して膝を曲げず頭も下げない意思が感じ取れた。


(まあ、エリポス人からすればアレッシア人は『野蛮』な部族だからな)


 国家の規模で言えば、アレッシアは最早メガロバシラス以外は見下せる立場に居るのだが。


「良き噂だと良いのですが。何せマディストス様と言えばアフロポリネイオの大神官様。神へのお言葉が通るお方。私が敬愛する運命の女神様は私などと言う矮小なる人間すら良く見て下さっているようですが、他の方々は他人から聞いた話でしか私を判断できないでしょうから」


「神々もエスピラ様のことは認識しておりましょう。何せ末裔たるマフソレイオの王室、その前両陛下が神牛を捧げてまで革手袋を編み、アフロポリネイオを始めとするエリポス諸都市の神官の祈りも込められた最高の逸品をエスピラ様にお渡ししているのですから」


 マディストスがエスピラの言葉の真意を理解していたのだとしたら。

 良い噂も悪い噂も聞いているが、エスピラと言う人物の判断は直接すると返してきているようなものだろう。


「その節は感謝しております。今も、大事に使わせていただいております」


 言って、エスピラはペリースの下から革手袋に覆われている左手を出した。

 数度頷いたのが動いた空気から伝わってくる。


 それから、目の前に誰かが、ほぼ間違いなくイェステス王がしゃがんでくるような気配。


「エスピラ様。それは父と母がエスピラ様に上げたモノ。余とズィミナソフィアからではありません。アレッシア人であるエスピラ様にとっては不本意かもしれませんが、よろしければ新しいモノを受け取っては頂けないでしょうか」


 そう言ってイェステスがエスピラの手を取り、新しい革手袋を握らせてきた。


「神牛の革に、今度は此処に居られますマディストス様を始めとする宗教会議へ国の代表として参加するような方々に祈りを込めてもらっている、父と母からの物にも勝る神物です」


 エスピラは革手袋を受け取ると恭しく両手で軽く持ち上げた。

 頭を下げてから、両手を下ろす。


 自分のための新しい物など久方ぶりだ。


「半島内に閉じこもる頃であったなら兎も角、外洋にも出なければならない今となってはアレッシアも転換期に来ていると言えるでしょう。私にとっては何も抵抗はありません。ただ」


 ゆっくりと末尾を言い、一拍区切った。

 顔は上げて、イェステスをしっかりと見据える。


「神からの頂き物に優劣などは存在いたしません。為政者として前両陛下に張り合うのは良いことですが、神の末裔としてはその父祖からの愛を比べるような真似はしないほうがよろしいかと愚考致します」


「あ、いや」


 イェステス王から零れた言葉は、僅かに訛りの入ったエリポス語であった。


「責めている訳ではありません。陛下はまだ若いですから、ついと言うことも分かります。もし若輩者と周囲に侮られるようなことがあっての発言であれば、私も似たような経験はございますので。私からも同じように接することは一切無いとお約束いたします」


 優しくエスピラは語りかけた。

 こくり、こくりと頷き、イェステスがエスピラの右手を両手で包むように握ってくる。


「だから言ったでしょう、兄上。『お父様』は信義に基づいて生きている、と。例え少しばかり苦境に陥ったとしても、お父様を見捨てずにいた方が国益にも繋がるのです。何せお父様は母上と父上が認め、頼りにしたお方。必ずやアレッシアの頂点に君臨する御方ですから」


「アレッシア人は王が存在し、統治することを嫌いますよ」


 やんわりとエスピラはズィミナソフィア四世の言葉に訂正を加えた。

 もちろん、そんなことをしなくてもズィミナソフィア四世ならば分かっているだろう。


「ズィミナソフィアはエスピラ様を大層気に入っているのです。母上も父上もエスピラ様を高く評価しておりましたから、その名残でしょう」


 その奥で、イェステスがズィミナソフィア四世の『お父様』発言に目をエスピラとズィミナソフィア四世の栗色の髪に向けていたマディストスにささやいていた。


「不思議な顔をされるのも当然ですよ」

 と、エスピラは二人の会話に静かに入る。


「私も何故かはわかりませんが、どうやら王族に気に居られるみたいでして。カナロイアのカクラティス王子にはメガロバシラスで会い、意気投合いたしまして帰りにカナロイアの王宮に招待していただけましたから。

 他にも、メガロバシラスでは機密であるはずの軍事演習を見学させてもらえたりと王の命で良くしていただけました」


 少し嘘だ。


 メガロバシラスはむしろ宰相に様々な『贈り物』などを行い、便宜を図ってもらったに近い。


 カクラティスとは『王族だから』ではなく、互いに国では『名門』でありつつも名前だけが先行している状態であったからであり、互いに実際の能力も名前に上回りたいと思ったから意気投合したのである。


 わざわざ訂正する利点は非常に薄いため真実を言うことは無いだろうが。


「エリポスの国の中には神に認められないと王に成れないと言い伝えられている国もあるとか。カナロイアもそう言った国家でありますので、理由が分からずとも気に入られると言うのは非常に嬉しいことです。マフソレイオに至りましては神の末裔ですからね」


 言いながら、エスピラは新しく貰った革手袋に口づけを落とした。


「されど私が最も信奉し、最も加護を頼むのは運命の女神フォチューナ神ただ一柱。申し訳ありませんが、この手袋をつけるのは神殿に行った後でもよろしいでしょうか」


「つけて下さるのであれば、何も言うことはありません」

 と、イェステスがすぐさま反応した。


 エスピラは問いかけるようにマディストスを見た。


「神を大事にされるのは良いことですから」


 マディストスが緩慢な動きで腰を少々曲げた。


「ありがとうございます」


 エスピラも目を閉じて感謝を告げる。


「神の加護におきましては私などよりもマディストス様の方がおありでしょうから。信仰などでは何もお返しでき無いのが心苦しくは思います」

「信奉する神は違えど神を愛し、愛されている者同士。何も心苦しく思う必要はございません」


 エスピラの言葉に、マディストスも胸に手を当てて返してきた。


「それでも心苦しいものは心苦しく感じてしまいますので、お詫び、いえ、私の自己満足のために奴隷を三十人ほど見繕って個人的に贈りたいと思います」


 要するに見目麗しく、エリポス語に精通していて教養のある女奴隷を、と言う話である。


 しかも、エリポス語に精通していると言うことはエリポス圏に興味のある女性であり、アレッシアに居る時よりはやる気が出るだろう。加えて、エスピラの手が出る範囲となると奴隷の側もアフロポリネイオに渡った方が良い暮らしができる可能性もある。


 もちろん、女性ならば。


 エリポス圏では男の奴隷の扱いはアレッシアのモノよりもひどい。女性も酷いが、娼婦になればアレッシアと比べてもあまり変わらないどころか政治に関われる可能性は高くなるのだ。


 もちろん、正式に関われるわけでは無い。

 客を通して、である。


「それは、楽しみにしております」


 マディストスが少しばかり頬の血色を良くしながら言った。


「ええ。長く正しい歴史があり、神に長く仕え続けているアフロポリネイオならば大事な奴隷を安心して任せられると言うものです。どうか、彼女らにも神の御加護と大神官様を始めとする皆様のご慈悲がありますように」


 エスピラは恭しく言って、マディストスに対して片膝を着いて頭を下げた。


「ご安心を。必ずや期待に応えましょう」


 マディストスが鷹揚に言う。


「それは嬉しいお言葉」


 言って、エスピラは軽く握っている右手を自身の顔の高さまで上げた。


「『粗雑』で『野蛮』なアレッシア人からの贈り物はあまり嬉しくないかも知れませんが、こちらは元から考えていた私のお気持ちです」


 そして、ひっくり返しながら手を開く。

 マディストスの目の前に出現させたのは留め具。鷲とオリーブが刻まれた銀細工である。


 精巧な作りであり、エリポスでも滅多に手に入らないほどの技術が詰まった逸品であるとはエスピラも把握している、派手さは無いが高価で華やかな良品だ。


 マディストスの目が銀細工に釘付けになったようである。目の中の黒い部分が非常に大きくなっていた。


「どうぞ。お受け取り下さい」


 そう言うと、エスピラはゆっくりと立ち上がってマディストスの外衣ヒマティオンに付けた。

 銀細工を付ける際に、ペリースがマディストスの肩にかかるかどうかにすることも忘れずに。


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