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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
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混沌交渉

「勇猛なる諸君よ。まずは槍を下げてはくれまいか」

 それが、ドーリス王クスイア二世の最初の言葉だった。


 次に、個人的な友好の証としてマシディリに贈り物が届き、兵にもある程度配った後で「まずは我が道筋を作ってくる」と言ってアフロポリネイオに入っていく。


 大量の物資と一緒に。

 新鮮な兵も連れて。外にいたドーリス人傭兵も、まとめ上げるように。


(名誉を重んじ、戦術に優れてはいるが、ウェラテヌスの婿には最も不適な人材、ですか)


 チアーラとモニコースの婚姻前にユリアンナが送ってきた情報に対し、まったくだ、とマシディリは思った。そのユリアンナからは、新たな手紙が届いている。無論、暗号文だ。マシディリとユリアンナが幼い時に遊びで作った文章である。クイリッタが読み解いたことに、幼き日のユリアンナは母に言いつけるほどに怒りながら泣いていたものだ。尤も、訴えられた母にも珍しく困惑の色が、僅かばかりではあるが滲んでいたのだが。


「アフロポリネイオ市民は、また交戦に傾き始めたようです」

 レグラーレが言う。


「やはりですか」

 幼き日の思い出に浸りながら、やわらかく返す。


 あれだけの物資と統率のとれた兵だ。

 勝ったとも思っている以上、そうもなろう。


「それから、アビィティロ様による砦の陥落も、アフロポリネイオ人にはきちんと伝わっていなかったようでした」


 伝えていなかった、が正確なところか。

 ただし、どうでも良い。


「デオクシア様は?」

「苦虫をかみつぶしたような顔、と奥方が」

「そこまでもう入りましたか」

「奴隷を買収いたしました」


 首飾りで。とレグラーレがぼそりと言う。

 あの首飾りでは、出所が露見するのもそう遠くはない。その前に奴隷が逃げる手はずになっており、その手伝いも情報漏洩の条件なのだろう。


「良いのですか?」

 交渉経過を纏めていたフィロラードが聞いてくる。

 今日の訓練が終わってから居座っているアグニッシモも、マシディリに目を向けて来た。


「ドーリスもこのままでは終われないからね。完全に策に嵌めたのに、被害はドーリス人傭兵の方が多かった、なんて。事実だとしても、ドーリス人傭兵の名声に大きな傷がついてしまうから」


 だから、ドーリスは交渉の決裂と戦闘の継続を望んでいる。

 財を獲得するためにも。今一度ドーリスの派遣を確固たるものにするためにも。


 そして、クスイアが本当の戦場を知らないなどと揶揄されないためにも。前王アイレスが死去したと言う事実は、哀しみだけではなく解放でもあるのだから。


 マシディリはそう睨み、やってくるまで時間稼ぎをしていたのである。


「デオクシア様以外に交渉相手は見つかりましたか?」

 手紙を書き終え、マシディリはレグラーレに目を向けた。


「数人、見繕っております」

「じゃあ、伝えてもらえるかい? 内通者一覧に関して、確たる証拠を私が欲していると、ね」

「かしこまりました」


 デオクシアは渡してはくれないだろう。

 だが、アレッシア人を見下しているアフロポリネイオの他の人々なら違う。その程度で済むのならと簡単に差し出す愚か者もいるはずなのだ。


「主戦派に傾いているのでは無かったのですか?」

 レグラーレが消えた後で、フィロラードが聞いてくる。

 民はね、とマシディリは頷いた。


「アフロポリネイオが解放されて、多くの情報が入ってきたはずだよ。それこそ、不義理を詰られたティツィアーノ様の「ドーリスが望外の弱兵だったが故に、強兵であるトーハ族騎兵を潰せば終わりだと思った」と言う言い訳もね」


 政治的な意図を多分に含んだ発言だ。

 アレッシアにいる過激なアスピデアウス派も留飲を下げる一言である。同時に、ドーリス王に影響を与える言葉でもあった。


 故に、クスイアは最初の接触でマシディリに対して真意を問うてきたのである。

 無論、マシディリは否定した。彼らの勇猛さは直接戦った私達が良く分かっています、と。私は二度も撃退されたのですよ、とも微笑みながら。


「さて」

 マシディリは、書き込みをしてある地図を手に立ち上がった。


「戦闘配置につきましょうか。名目は、講和の時に取り決めた停戦協定を破り、ドーリス人傭兵並びにアフロポリネイオ重装歩兵をアフロポリネイオ市街に引き入れ、戦闘準備を開始したから。

 それから、クスイア陛下が残されたドーリス人を使者として送りましょう。陛下の退避を勧告いたします、とね」


 スティティモニスはアフロポリネイオ市街から通常行軍でも一日の距離にある。


 アレッシア軍ならもっと早くたどり着くことも可能だが、マシディリはあえて二日かけてアフロポリネイオを見下ろす山々に布陣した。いや、実際はスティティモニス近郊の宿営地を綺麗にしてからであるので、もっと時間はかかっている。


 このことからも、良識派とアレッシアが見ている人物はマシディリに戦闘意思がないことが分かったはずだ。

 同時に、次は無いとも考えたはずである。


「クスイア陛下は?」

 現れたレグラーレに、尋ねる。


「まさか自分がいれば攻撃はされないだろうと周囲には言い触らし、アフロポリネイオに鎮座する構えを見せております。ですが、ドーリス兵は誰一人としてアフロポリネイオの外には出さず、それどころか宿泊地の傍に全員を集めて置いている様子。武器の手入れも怠っていないとも聞いております。

 内心は、戦闘の可能性を高く見積もっているようにも思えました」


「なるほど」と、マシディリは言うと、アフロポリネイオを見下ろした。


 レグラーレは傍で片膝を着いたまま。マシディリの後ろには、アビィティロが近づいてくる。第四軍団はいない。アフロポリネイオに最初に攻めかかった者達にパライナらを加えただけだ。


「如何致しますか?」

 そのアビィティロが聞いてくる。

 他の者が剣の柄を叩いた音がした。やる気は満々だと言う意思表示である。


「二日後に内通者に門を開かせ、彼らを保護いたしましょう」


 アフロポリネイオの包囲が解け、アフロポリネイオが情報を収集し始めた。

 これは、アフロポリネイオの利になることばかりではない。マシディリ側から調略を仕掛けられるようになったと言う変化でもある。


 そして、エリポス人は利によって動く者も少なくない。


 マシディリがまだ受け取っていないスティティモニスの財をちらつかせるだけで、十分な効果はあったのだ。

 彼らには、アフロポリネイオの財を取り戻すと言う逃げ道も与えることによって、より、やわらかく。罪の意識を軽減させてやってもいるのである。


 しかし、マシディリが合図を出す前に城門は開いた。

 出てきたのはデオクシア。眼光を鋭くし、眉間は高く、唾を飛ばす勢いでマシディリの前までやってくる。


「話が違うではありませんか!」

「ええ。停戦の合意は既に有効になっていましたよね」


 まずは座られては? と言うように、マシディリは目の前の椅子を指し示した。

 デオクシアは、差し出された茶を一気に飲み干し、陶器を机に叩きつけるだけ。座りはしない。その怒りの音を聞きながらも、マシディリは悠然と深く椅子に腰かけた。


「これは明らかな敵対行動だ」

「ドーリス人傭兵を纏め、アフロポリネイオに入れ英気を養わせたのはそちらですよ?」

「クスイア陛下に勝手についてきただけだ。我らは入れていない」


「黙認すれば入れたも同然でしょう。それに、クスイア陛下の入街も断れば良かっただけのこと。だと言うのにわざわざ声をかけ、陣まで撤収させるとは。


 そもそも、停戦に至った経緯は私も即座に各神殿に伝えています。何故か私がエリポスの聖地を穢したことにされ、神託も受けずに攻め寄せたと見られていますからね。


 交渉がまとまる前に停戦に即座に応じたことは、手紙からも明らかのはずですよ。不思議だと言うのなら、ジャンドゥールやカナロイア、メガロバシラスをはじめとする他のエリポス諸国家に問い合わせください。私の弁明の手紙が届いているはずですし、私の行軍予定とその後の行動も書かれていますから」


「手紙の伝達など、ウェラテヌスならば幾らでも順序を変えられる」

「今日お伝えしましたから。それ以後の行動は、まさしく手紙に書かれていますよ。デオクシア様も証人ですね」


 相変わらず語勢を強めるデオクシアに対し、マシディリはただただやさしく言い続ける。


「何を勝手なことを」

 そう言うデオクシアの首は、もう完全に隠れていた。親指も拳の中にあり、瞬き少なく真っ直ぐにマシディリを突き刺している。


「ドーリス王は継戦を望んでいるのは確定的に明らかです。挑発に乗り、私がアフロポリネイオを攻撃すれば、クスイア陛下自らが指揮を執り、抗戦に入る。

 私も嫌ですよ。

 国王自ら前に出てきているドーリス人と戦うのは」


 ぐ、とデオクシアの顎がさらに一段引かれた。


 一拍。

 その後に、徐々に顎が普段あるような位置に戻ってくる。


「クーシフォス・オピーマの姿が見えませんが」

 怒りの鎮まったような声が、一つ。


「オピーマの輸送力を使うために、離れていただきました。対象はテルマディニ、アグサール、ウィリィディリマリス・ウルブス、そしてカウルレウル・ウルブスです」


「てるまでぃに、あぐ、何と?」


 たどたどしい言い方だ。

 デオクシアの眉間に皺も刻まれている。


「クルムクシュからプラントゥムに至る道にある港に戦略的な物資を運び込み始めた、と言う話です。まあ、このことを知るエリポス人はデオクシア様だけですので、ご注意ください」

 微笑みながら、唇に人差し指を当てる。


「デオクシア様が足繁く通ってくださるのなら、アレッシア軍の包囲解除をデオクシア様の功績にしても良いですよ」


 間に合うと良いですね。

 そうは付け加えずに。


 そして、ドーリス人傭兵の退去よりも先に事態は動く。

 カナロイア国王カクラティスと王太子フォマルハウトも、アフロポリネイオ近郊にやってきたのであった。

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