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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
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終結交渉 Ⅲ ……

 終わりを考えずに戦争を始めるのは愚かな行いだ。

 父は、常々そう言っていた。戦いながらも、どう終わらせるかを考え続けていたモノである。


 なるほど。

 デオクシアの言うことは、尤もである。故にマシディリも講和に応じた側面があるのだ。


「今ならアフロポリネイオが勝った状態で終わらせられますからね。アレッシアが最大限譲歩する最後の機だと思われたのですか?」


「概ね肯定いたします」

「おおむね」


 言葉を繰り返す。

 瞬きはせず、目を少し大きくして。手に持った首飾りは一切動かさない。


「はい。概ね」

「私が交渉の席に着いたのは、アレッシアも講和を望んでいるからではありませんよ」


「理解しております。

 アフロポリネイオの言う勝ちは、いわば肉に群がる蠅を追い払っただけのことを指して勝ったと言っているようなものであるとも。


 沼地にするまでは良くとも、これでは夏に乾き上がり、攻撃を受けることになってしまいます。であるならばアレッシアに痛撃を与えるか、トーハ族を招き入れられる状態にしなければなりませんでした。


 しかし、結果として時間稼ぎにもならず、むしろトーハ族撃破を手助けしており、今や多くのエリポス諸都市の腰が重くなっていることでしょう。


 このまま戦い続けても我らに待ち受けるのは敗北。故に、私はこうして講和を強行しているのです」


 肉に群がる蠅とは、酷い例えだ。

 すんなり出てきてしまうあたりは、デオクシアもエリポスで生まれ育ったエリポス人と言うことである。


 ただし、敗北を見据えているのは良いことだ。


「なるほど。腹を割って話した、とは程遠いことは良く分かりました」

「まさか」


 デオクシアが小さく肩を上げる。

 マシディリは、右の眉だけを上げた。


「アフロポリネイオの民が勝利したのだと納得できる結果が欲しい。だから、アフロポリネイオは今しか講和の機が無い。違いますか?」

「違います」


 声は、はっきりと。

 胸を張ったような堂々たる姿勢で。


「政府高官も、自分達が勝利したのだと頬を赤らめております」


 痛快な言葉を。


「ははっ」

 マシディリの口からは腹を抱えた笑い声が飛び出してしまった。

 マンティンディも噴き出している。アビィティロは真顔。アルビタは、何も知らないデオクシアから見れば笑っているとは思えない笑みを浮かべていた。


「しかし、足りませんね。こちらは貴重な兵士の命を散らしているのです。この程度で収まるとでも?」


 これは、半分本音。

 マシディリもマシディリで、戦闘で負けたにしては、と言う破格の成果が欲しいのだ。


 実は負けていないとするためにも、あるいは負けても挽回できる交渉力があると見せるためにも。

 武力で勝ち切るのは簡単だが、そうしない理由の一つでもある。


「最終的に五千ものドーリス人傭兵を年間で養う額です。しかも、早く講和が成れば成るだけ、ドーリス人傭兵に払う給料がアレッシアに回る。

 エスピラ様の死によって収入が落ちているウェラテヌスが、エスピラ様の生前と変わらぬ気前の良さを見せるには少しでも欲しいのではありませんか?」


「道路工事は公共事業です。ウェラテヌスの私財で建築いたしましたが、維持費は国庫から出すのが本来の筋。それに、ウェラテヌスの支出で最も大きかったのは父上から母上への化粧料ですから。今は、むしろ安定しているほどですよ」


 収入が大きく落ちたのは事実だ。

 特に、エリポスから入らなくなっている。同時に、エスピラがメルアのために使っていた財の規模が多すぎてまだまだ余裕があるのも事実である。


 賭け事も行わず、酒もさほど飲まず、女遊びもしない。そんな父の唯一の趣味であれば、マシディリも咎めはすれども口酸っぱく言うことは出来なかったのである。


 尤も、ウェラテヌスの収入が大きく増えた後は母も持て余し気味であり、べルティーナに渡ることも少なくなかったが。べルティーナも必要以上の贅沢を良しとしない人間なのである。


「嘘はおやめください。国の頭になるような人物が一人の女性にそこまで入れ込むはずが無いでしょう?」


 これが、本当の話である。

 故に、マシディリは口を閉じて肩を竦めた。

 アビィティロも唇を巻き込み、視線を逸らしている。マンティンディは舌で頬を裏側から押し、目を泳がせていた。


 デオクシアの動きも、一瞬止まる。

 直後の起動は、流石は使者に選ばれるだけはあった。


「財は、元より交渉を円滑にするための前座。本命はこちらになります」


 失礼、と言って、デオクシアが腰元の短剣を手に取った。

 アルビタがマシディリの前に出る。他の二人も半身の姿勢だ。ただし、デオクシアの姿勢は脱力。気負うことなくゆるりと短剣を抜くと、丸められた紙が出て来た。


「アレッシア元老院に潜む、我らとの内通者の一覧になります。こちらも、講和が成ればお渡しいたしましょう」


 さて。瞬きの回数は、如何ほどが通常であったか。

 考えながら、マシディリは呼吸も意識した。


「そちらから求めてくるモノも無いのに渡すモノばかり積み上げられても困りますよ」

「それこそ、マシディリ様から条件を言うべきではありませんか?」


 完全な誘導だ。


 内通者の一覧は、本当に欲しい物でもある。あれ一つで、今回の敗戦の責任を分散できるのだ。いや、マシディリに一番責任があるのは間違いない。マシディリも責は取るつもりでいる。だが、同情論も集めやすくなるのだ。


 さりとて、口には出来ない。


「もらえるだけもらう。それが、自国のみの平和を考えれば最善の講和ではありませんか?」


「これは酷い」

 デオクシアが顎を引き肩を揺らす。


「どちらが?」

 言いながら、マシディリはアルビタを下げた。

 両手を広げながら、アビィティロとマンティンディも下げる。完全に急所が全部デオクシアにさらけ出されている形だ。


「内通者の情報を売ると言うことは、それが完全な情報では無いか、アレッシア人を犬畜生と同列に見ているか、あるいは、私と組みたいか。


 なら、信を得るために行動が必要なのはアフロポリネイオでしょう。

 それを、デオクシア様。貴方お一人で担おうとしている。


 これを酷いと言わずして何というのでしょうか」


「貴方が私が欲しいと言った。それが答えでは?」


 笑みは同質。

 互いに口角を上げ、目じりも下げながら眼光をぶつけ合う。


「神聖なる土地を泥に沈める決断をしたのはドーリス人傭兵です。彼らの処刑を。それも条件として求めます」


「以後、宗教会議にマシディリ様を招待するかを決められるのはアフロポリネイオのみ。マシディリ様も、どこぞに遠征中でない限りこれを断らない。これが私から求める条件になります」


「アフロポリネイオが存続している限りは、が抜けていますよ」

「これは酷い」


 マシディリとデオクシアの口だけが動く。


「復旧の手助けでもしてあげましょうか?」

「アフロポリネイオの指示に従って、ですよね?」

「おや。土地整備は信仰や娼館とは全く違うのですが、良いのですか? 沈める時でさえドーリス人に従っていたのに?」


 少々父に寄せ過ぎたか、とマシディリは思った。

 尤も、デオクシアはそのようなことを考えなかったようである。


「街を沈めるのは戦いのため。周囲を整備するのは生活のため。軍事と内政では全然違いますよ。文武を共にしているアレッシア人には、少々難しかったようですが」


 おっと失礼。信仰と女性の尻を追いかける以外が出来るとは思ってもいませんでした。

 そんな言葉を、頭の中のクイリッタが吐き捨てる。


(流石に言えませんよ)

 マシディリは嘆息し、表情を威嚇の笑みからひょうきんな呆れに変えた。


「大事な条件が抜けていますよ。

 まずは、泥に眠る戦友の回収をする許可を下さらないと。

 それを抜きに、講和交渉はありえません。今日は、お引き取りを」


 即座に開いたデオクシアの口からは、一拍、何も出てこない。


「大変失礼いたしました。すぐに、正式な許可と戦闘停止期間を作らせていただきます」


 その程度勝手にしろ。

 そんなところだろう。


 事実、あっさりと許可が下りる。その他の講和交渉はさほど進まないのに、だ。


 だが、マシディリにとってありがたいことこの上ない。


 許可が下りるなり、マシディリは率先して泥に眠る戦友の回収にあたった。もう何も話せず、愛する家族と抱擁を交わすこともできない彼らを、せめてと盾と共に棺に入れ、すぐに本国に送り届ける。


 簡易的に喪に服している間にも、デオクシアからは内々に講和交渉再開に関する催促があった。だが、アフロポリネイオ本国の重い腰に足を引っ張られ、デオクシアも強気には出てこられない。


 そうこうしている内に、「交渉を纏めに来た」と、ドーリス王クスイア二世がスティティモニスにやってきたのだった。

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