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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
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終結交渉 Ⅰ

「おそらく、どこかで情報が曲がってしまったのでしょう。私は、あくまでも誤報であり、誰かの早とちりであったと記憶しておきます。後のことは、よくよくアルモニア様と相談してお決めください」


 マシディリがそう告げれば、使者のポルビリの肩が僅かに下がったように見えた。


 十歳以上年上の従兄が元老院からの使者に選ばれた理由は、いくつもあるだろう。

 単純に説得をしたいがため。敵意を最小限に抑えるため。人質とならないため。居場所を変えていることを考慮し、情報の遅れを擦り付けるためにも。


 ただ、アルモニアの意図を考えるならば、それでもまだ力があり過ぎた、と言うことか。


「あっ、にうえ」

 アグニッシモの怒声が、どんどん萎む。

 目を向ければ、愛弟は歯を噛みしめるようにして、しっかりと口を閉じていた。


「皆様がタルキウスの軍勢を欲するのであれば、提案を受け入れることも良しとしますよ?」


 微笑み、マシディリはポルビリに返そうとした粘土板を顔の高さまで上げた。

 声にはなんら敵意は加えない。悠々と見渡すだけ。


 最初に発言するべきは、タルキウスの二人、ケーランかミラブルムだ。次点で、彼らの上司であるティツィアーノ。



「イフェメラ様の突発的な提案を受け入れ続けることができたのは、エスピラ様もアルモニア様も後方支援が得意な方だったからこそ。それでも多少の無理もありましたが、イフェメラ様が年下であり弟のようにも思えていたから無茶を押しただけ。


 イフェメラ様が独り立ちされてからはその労苦をディーリー様やジュラメント様が担ったと聞いております。ですが、決してサジェッツァ様やインテケルン様に労苦をかけることは致しませんでした。


 では、元老院がおっしゃるルカッチャーノ様を中核とする軍勢を受け入れるための物資は、誰が工面せねばならぬのでしょうか」



 だが、最初の言葉はグロブス。

 これでも二拍ほど待っていたが、マシディリとしては残念な結果である。

 ケーランとミラブルムは、マシディリの下に着くのを良しとしている高官では無い、と分かってしまったのだから。


「神より定められた最高軍事命令権保有者であるマシディリ様ですかね」

「はー、マシディリ様は、あー、得意、ですからね」

「不要であると進言いたします。エリポスには、我らがおりますので」


 マンティンディ、アピス、ルカンダニエと否定の言葉が続いた。


「アフロポリネイオに敗北した状態でトーハ族の大軍が迫っているって、どれだけ砂ぼこりの被った情報ですか?」

 ウルティムスが、手で誇りを払う仕草をした。


「書いていないだけで、ルカッチャーノ様もしっかりと準備を進めていると思いますよ。書いてしまえば、要らない不興を買ってしまいませんからね。今頃、船に積んでいるかも知れません」


 マシディリは、苦笑しつつ「でも、援軍は不要ですね」と締めた。


 ですが、と声を低くする。


「情報がねじ曲がってしまい、その結果軍団に私以外の命令が混ざって混乱するのは良くありませんね。


 クイリッタをアレッシアに呼び戻します。ディティキに留め置いているスペランツァもアレッシアに戻しましょう。それから、フロン・ティリド調査を進めているリベラリスには私にも直接情報を渡すように伝えておきます。


 グライオ様はもう任務を達成してしまっていますからね。最後にどこまで風説が広がっているかを調査していただきながら、スィーパスへの睨みに入ってもらいます。それを以て、第七軍団とグライオ様の軍団を除く西方遠征中の軍団の解散といたしましょう。


 元老院も、私の軍事命令権でアレッシアを挟撃できる戦力が保持されていることが不安なのでしょう? と、これは内緒でお願いします」


 唇に人差し指を当て、悪戯っぽく笑う。

 ちろり、と人差し指に当てるように赤い舌も見せた。


「ああ、そうそう。スペランツァにはアルモニア様に良く従うようにと言っておきます。セルクラウスの家格は、アルモニア様にとって大きな力になるはずですからね」


 ある意味では格付けだ。

 セルクラウスと言う力を使えるアルモニアと見せるのもそうであるし、スペランツァの立ち位置を知らせるものでもある。そして、父以来の者へも、マシディリは実力次第で重く用いるとの布告でもあった。


「クイリッタ様には?」

 ポルビリがやや遠慮がちに聞いてきた。


「アルモニア様とよく相談するように。かな。正直、交渉の量が膨大になってきたからエリポスに呼びたい気持ちも強いけどね」


 そして、国家戦略に関してはクイリッタこそがマシディリの副官であるとの格付けでもある。


 敗北は正直痛かった。

 だが、災い転じて福と為す。


 元老院がマシディリの敗北を通じて影響力を高めようとしてくるのなら、後方支援の体制が不十分であったとして多くの人を送り込める。それも、最初から用意するより深く、だ。


 元老院はマシディリを信じなかった。

 だから、マシディリはマシディリを信じてくれる者を送り込む。

 大義名分はアレッシアのために。アレッシアのための軍事行動を支援する者が欲しいから。


 ただし、此処は妥協しても構わない。

 真に欲しいのは軍事命令権の延長。今回の戦いなどは、はっきり『スィーパスと何ら関係の無い戦い』と言いきれてしまう戦いだ。


 それでも続けさせてくれたことに慇懃に感謝を告げれば良い。

 そして、今度はスィーパスと戦うためにフロン・ティリドへの遠征をマシディリの権限で行うのだ。


 トーハ族の追撃を嫌ったのは、これも理由の一つ。明らかな軍事命令権の逸脱は、元老院が何を言ってくるか分からないのである。マシディリとしても、積極的に破りたいモノでは無い。


 エスピラ・ウェラテヌスの死に起因した動乱であるからこそお目こぼしもあったのだと、マシディリが自覚した行動で感謝を告げておいた方が得なのである。

 例え、ルカッチャーノをねじ込もうとされ、タルキウスもそれを望んでいたとしても。


(元老院体制の遅さも露呈してしまいましたけどね)


 情報には時間がかかる。

 それを思えば、今回も早かっただろう。


 例え現実がトーハ族との戦いで二度勝利し、交渉中に三度目の撃破。本格的な交渉がほぼまとまった段階でアフロポリネイオからも講和の使者が来て、戦役が終わりに向かっているとしても。


「神々はマシディリ様を選んだと言うことだと思います」

 次の出迎えの準備をしながら、マンティンディが言う。


「私を?」


「アビィティロの包囲にあるアフロポリネイオが得られた情報は、恐らく一度目か二度目のトーハ族の敗北。それだけで即座に講和の使者を外に出したのは、専権に近い独断でしょう。

 図らずとも、元老院と言う多頭体制よりも寡頭、もっと言えば一人の方が素早く事態に対処できると知らしめてしまったのです。

 これぞ神のお導きだと、深く得心してしまっただけに」


「私に元老院の上に立ってほしいのですか?」

 ふざけて、聞く。


「ノハの戦いの折に言ったはずです。我らをお導きください、と」


 それは、マシディリに対して軍事命令権保有者としての自覚を促す言葉であり、上官からの命令を促すための言葉だ。


 故に、冗談だろう。

 表面上だけでもそう思い、マシディリはマンティンディと笑い合った。


 ポルビリが帰って直ぐに、アフロポリネイオ領内スティティモニスにアフロポリネイオの最年少大神官デオクシアが姿を見せる。


(若いですね)


 三十五と聞いているが、それよりも若く見えるのはまっすぐな背筋とやや大きな歩幅からか。刈り揃えられた髪も、白いながらも筋肉の陰影が見える腕も若いと言う印象を加速させている。何より、白いと言いながらも時折衣服の下から見える肌を見れば、日焼けしているのだとも分かるのだ。


「お待ちしていました」

 朗らかにマシディリは告げる。

 今は、左右にはアビィティロとマンティンディ、護衛のアルビタしか着けていない。


「待たせてすみません。早速ですが、アフロポリネイオの勝ち戦、と言う認識でよろしいですね?」

 声も、非常にはっきりとしている。

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