益無き益
「異人の衣服に身を通さねばならぬとは、屈辱だ」
ラウィアらしき男の第一声は、予想通り。
「だが、これぐらいの屈辱で済むのなら、幾らでも着てやろう」
第二声も、予想の範疇を出ない。
「では、本日は夜までその格好で過ごしていただきます」
「元老院議員にでもしてくれると?」
「誰がそのような噂を流すのかは、少しばかり楽しみではありますがね」
マシディリを知る人物ならば、そのような発言が出ることはありえない。
ある意味での試しだ。同時に、快勝した軍団であり功に差がある軍団ではあるが、より大きな緊張感を漂わせることもできる。
「貴様が、マシディリ・ウェラテヌスであっているんだな?」
「ええ。貴方も、ラウィア・カラブリアであっていますでしょうか?」
「如何にも。隠す名でも無い」
「どうも」
言いながら、マシディリは人差し指の爪面で軽く自身のペリースを払った。
(まあ)
この動作をするのであれば、ペリースの色は一つに絞っていた方が良かったですね、とも思いつつ。
「マシディリ・ウェラテヌスは男らしさを持ち合わせていると聞いていたのだがな。まさか使者を切り捨てるとは思わなかったよ。あれは、貴様の発案か?」
「今、貴方が和を請いに来ていると言う功績に関して言えば、否となります。責を問うているのなら是の返事以外ありえないでしょう」
「質問の意図が難しかったか?」
「返答の意図が難しかったでしょうか」
ラウィアが顎を引いた。自然な動作で正中線がマシディリから隠れるようにもなる。
「好かんな。アレッシアは、卑怯な手を嫌うのでは無かったか?」
「好かれる段階はとうに過ぎ去っていますから。そして、アレッシアと一つにまとめるのであれば、こちらはトーハ族に何度も約束を破られています。今さら何を配慮しろと仰せなのでしょうか」
ラウィアが、ゆるりと両手を広げる。
「交渉を持ちかけてきているのはそっちだ。単独で勝てないからこそ助けを求めてきて、今、正攻法で勝てないからこそ卑怯な手を使った。アレッシアが格下で我らが格上である以上、貴様らは格別の配慮を示す必要があると思うがな」
ラウィアは丸腰だ。
そうと思わせない足運びも腰の落とし具合も、膝のやわらかさも見事である。剣を持っていると思われるような仕草そのものだ。
故に、マシディリは笑みを深め、片目を閉じる。
「故国の状況が知りたくはありませんか?」
「どうせ嘘だ。貴様らは嘘つきだからな」
講和交渉が始まった段階で和が成ったと思うのは、愚か者である。
そのことは全ての人が知って然るべきだが、感情論で動き、そうは思わない者も居るのが現実。厄介なのは、彼らを扇動することで利がある者が多い事実だ。
「メガロバシラスはトーハ族の全滅と貴方がたが住まう土地への侵攻を求めてきています。ボホロスも、トーハ族が負けたとなればトーハ族に攻め込む方が易いと判断していますよ。近々、攻め込むつもりでしょうね。
ああ。トーハ族の者達も貴方が無事かどうかは知りません。大敗の報だけが届けば、どうなるでしょうか。その昔、島国を攻めた国の王が、王がその戦場に居るのに死んだと言う噂も流れたこともあるそうですしね。
アレッシアとしても、最早トーハ族の長が誰であろうと関係ありません。
どうせ、その場しのぎの関係。そう誰もが考えています。約定なんて、守られるはずが無い。
誰が交渉に臨んでも、そのことを思いながら口を動かしていますよ」
ボホロスには既に停止命令を出している。
メガロバシラスも、単独では攻め込まない。
そのことを、マシディリは知っているが、ラウィアは知る由も無いのだ。多少の情報で判断が出来たとしても、より多くの情報を握っているのは当然マシディリ。確定的なことなど、抱ける訳が無い。
「ほう。ならば話が早い。もう一戦交えるだけだ」
多くの者は、本気と取るだろう。解放すれば戦いの準備を始めるのもきっと本当だ。
でも、狙いは違う。
ラウィアらトーハ族首脳部の命を握っているのはアレッシア。認められる方が、トーハ族としては都合が悪い。
ただし、アレッシアとしてもトーハ族の解放は危険が大きすぎるのだ。
エリポスが消極的な敵だらけである以上、万が一は少しでも少ない方が良い。
「期待していないと言っているだけで、和を為さないとも言っていないのですけどね。元々、講和の使者を送っていましたでしょう?」
「そんなにトーハ族が怖いか」
「哀れな人と言うのは同情を誘いますからね」
「哀れ?」
ぐ、と鼻と眉間に力を入れたラウィアに対し、マシディリは見下した目を向けた。
侮蔑と憐み。それを混ぜ合わせ、完全に背を向ける。取り出したのは一本の剣。それを、ラウィアの足元に投げ捨てた。ぼさり、と土が音を立てる。
「武勇で就ったトーハ族の頭領が丸腰など格好がつかないでしょう?」
丸腰だからこそ、ラウィアにとっては意味がある。
ただし、此処で武器を無下にするのはトーハ族の誇りを捨てるような行為。捕虜だから受け取らない、講和に来たのだから受け取らないと言えば、その時点で下に着いたも同じなのだ。
トーハ族にとっては、そうなってくる。
「素手でも殺せる」
「トガは、刃のついた武器を持たないものです。アレッシア人にとっては、ですがね」
追い打ちの一言。
ラウィアが、むんずと剣をわしづかみにし、土ごと持ち上げた。爪にしっかりと土が入っているのがマシディリからも見える。
「そこまで信頼がおけないのなら、先に我らが貢物をアレッシアに献上しよう。アレッシアが我らとの関係を望むのなら、返して交易とすれば良い。どうだ?」
「返礼の具合によって国力を示す貿易ですよね。お断りいたします。条件は、ただ一つですから」
「派兵か」
「はい」
「益があるモノか」
双方にとって、と言うことだろう。
「益が無いからこそ益がある。そうは思いませんか?」
マシディリは、視線を変えた。
真面目なモノだ。笑みも無い。見下しもしない。
そして、今度はマシディリが両手を広げる。
「信用できない気持ちは互いに一緒。そのことが、私達が初めて同意したことです。
個人のくくりでは違っても、トーハ族と言う集団で見た時にアレッシアはトーハ族を信頼できず、トーハ族もアレッシアが卑怯な手も使う集団だとしてしか見ることができない。
信用も信頼も不可能でしょう。
ならば、積み上げていくしか無いとは思いませんか?
互いに、一つずつ。
そのためには互いに益の少ないことだからこそ約を違えないと言う実績が活きてくると思います」
「ほう」
ラウィアの声音の低さは変わらないが、声量は小さくなっている。
開いていた肩も、ただの真っ直ぐに。顎も正常。首の見える範囲も、そこらの市井の者と特段違いの無い位置だ。
「ひとまず、ボホロスからの攻撃を止めさせます。それから、トガもどうぞ、持ち帰ってください。きっと、役に立つ時が来ますよ。
それから、プラントゥムに派兵する人数も五百人を一人たりとも下回らないように、と言う条件に、三日後に改訂いたします。そこまでどう動くかは、ラウィア様次第。この決定を知っているのは、私とラウィア様、そして私の剣だけです」
アルビタが、ふふん、と鼻を鳴らした。
そこは静かに仁王立ちしていて欲しかったが、これでいて面白い男なのだ。致し方あるまい。
「信じないんじゃなかったのか?」
「信じてなどいませんよ。ただ、機会を与えただけです。私は、アレッシア人らしく寛容でありたいと願っているので。寛容では無いからこそ、そのような行動を心がけているのです」
ラウィアの口が閉じる。
以降、日暮れを迎えても条件面を詰める話は行われなくなった。
その中でも確かなことは、ラウィアはトガを着続けたと言うこと。そして、もうラウィアは挑発的な言葉を言うことが無くなったと言うことであった。




