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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
1433/1589

トガヲキル

 翌日。快勝の報告を聞くなり、マシディリは大々的にティツィアーノとコクウィウムを呼び寄せた。一方でトクティソス以下第四軍団の残りの高官と彼らの監督部隊はそのまま残す。


 命令から一日遅れて、アピスとルカンダニエの部隊をアフロポリネイオ、つまりアビィティロの下へと送り出した。代わりに、ビュザノンテンからグロブスの部隊を呼び寄せてもおり、マンティンディもまた出立準備を進め、クーシフォスを呼び戻してもいる。


 大規模な移動だ。


 同時に、一部のエリポス国家がカナロイアやジャンドゥール、果てはマフソレイオに使者を送ったとの情報も手に入った。彼らの狙いはとりなし。それだけ、アレッシアの言葉に信を置けなくなってきていると言う話でもあるのだろう。


(仕方がありませんが)


 良いことも、ある。


 本来は誠意を示すとしてマシディリが直接トーハ族の下へ赴こうと思っていたのだ。

 それが、トーハ族の側からやってくる。


 マシディリも、肩の荷が下りる思いがした。

 交渉の難易度が下がったことに、では無い。周囲の説得に対してだ。


 マシディリが供回り少なく行こうとすれば、必ず反対されたはずである。マシディリとしても、ウェラテヌスの当主になった以上は以前より強行する理由も亡くなっているのだ。


 故に、説得しないで良いことに、安堵した。

 同時に、相手の思惑に関しても考えを巡らせる。


(どう来るのでしょうかね)

 緋色のペリースを付けながら、マシディリは口角を僅かに上げた。


「マシディリ様」

 その天幕が、静かに開く。入ってきたのはレグラーレ。


「トーハ族の全員が、徒歩で向かってきております。頭目と思わしき者は、鎧も脱いだ丸腰と思しき状態で手を後ろに縛り、首に縄をかけ、その両端をルベルクスとサッピトルムに預けておりました」


「丸腰で?」

「はい。野次馬も少々集まってきております」

「面白いね」


 助命嘆願か。

 それにしては安直か。


 相手も頭目だ。簡単に終わる人物ではない。個人的には友好関係を築いているイパリオンも戦利品に走りながらエリポスとの個人的な関係構築に努め、寝所で駒を打つ関係であるメガロバシラスも隙あらば軍拡を行おうとしてくるのだ。


 敵であるトーハ族ならば、言うまでも無かろう。


 ただ、エリポス人の耳目を集めるのが目的ならば、許すべし、と言う論調を作るのも狙いなのかもしれない。流石に、見捨てたエリポス人が罪悪感で多少は味方に、などとは考えていないだろうが。


「レグラーレ。ボホロスに人をやる準備を」

「なんと?」

「手紙を書くよ。トーハ族の攻撃はしなくて良いってね」


 無論、遷都の話を消した訳では無い。

 それでも、情報が届くまでの時間の差を考えればトーハ族への攻撃停止は今、命じておくしかないだろう。


「少しの遅刻も、私の職務の所為としておいてよ」

「私にそこまでの権限はありませんが」


 ため息一つ吐いて、レグラーレが下がっていく。

 それでも、マシディリに催促の使者はやってこなかった。


 少し遅刻して行っても、アレッシアの全高官がしっかりと背筋を伸ばし、一分の隙も無く立ち続けている。トーハ族は頭を垂れたまま。縄で縛られている頭目らしき男以外の首に少しのてかりが見えるのは、それだけ待っていた証か、しっかりと歩いてきた証か、その両方だ。


「待たせて悪いね」

 マシディリは、アレッシア語で高官に言った後にトーハ族の言葉でも軽く謝った。

 数名の目が浮かんでくる。頭目らしき男は、しっかりと下を向いたまま。


(欲しいのは発言の許可ですかね)

 思いながらも、わざわざ渡すことはしない。


 マシディリは、笑みを浮かべたまま短剣に手をかけた。何も言わずにすぐに抜く。二人、トーハ族の者が反応したがすぐにディアクロスの者が後ろについた。頭目らしき男に変化はない。


「ラウィア様を罪人のようにしたのは誰ですか?」


 微笑ましくトーハ族の言葉で聞きながら、縄に剣を乗せる。名剣だ。縄は、さほど力を入れずとも切り裂けた。先に手を自由にし、微笑む顔を変えずに視界の隅に収め続ける。その状態で、首輪も切った。


 推定ラウィア・カッサリアの腕に動きは無い。堂々とした様子そのもの。首に刃が近づいても、微塵も避けようとはしていなかった。


「ラウィア様であっておりますよね?」


 言いながら、短剣を仕舞い、マシディリも目の前にしゃがんだ。そのまま手を伸ばす。ラウィアらしき男が、ようやく顔を上げた。茶色の目だ。髪の毛と同じく、やや色味が薄い。


「此度ハ、降伏ノ申シ入レニ、参ッタ次第デス」

「トーハ族の言葉で構いませんよ」


 たどたどしくやや聞き取り辛いエリポス語にも表情を変えずに返した。

 ラウィアは、一度口を止めている。


「交渉前に一つお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか」

 それから、トーハ族の言葉に。

 声音は先より半音高いか。


「どうぞ」

 マシディリは、変えず。


「既に講和交渉に入っていた。それを狙い撃つとは、卑怯千万では無いか」

「は?」

 と入ってきたのは、アグニッシモ。


 マシディリは、すぐに右手のひらを向けた。ラウィアの目がアグニッシモに一瞬向く。一瞬だ。ずっとは見ていない。むしろ、意識としてはマシディリを見続けたかったようにも思える瞬時の動きである。


「まずは汗をお拭きください」

 マシディリは、綺麗な布を差し出した。

 瞳だけは嘘を吐けない。黒部が大きくなり、まばたきの回数が少し増えている。


「アリガタク頂戴イタシマス」


 慇懃な言葉は、エリポス語で。

 ラウィアは、布を観察することなく額と首を拭い、すぐに折りたたみ下に置いた。マシディリも、拾い上げるような真似はしない。


「方針がぶれましたか?」


 ゆるり、と。

 トーハ族の言葉で。先程と変わらぬ笑みのまま。


「先のラウィア様の行動は、アレッシアでは無礼と映りますよ。もちろん、エリポスでも」

「トーハ族ノ風習デス」


 そんな訳が無い。

 知りながら、マシディリは笑みを深めた。


「まあ、まずはこちらへ」

 そして、手を取り、肘を掴み、肩に手を移動させて立ち上がらせた。

 一歩、マシディリが前に。


「そうそう。講和交渉はあくまでも講和交渉。武装解除の段階になっての変化であれば卑怯とのいわれもありましょうが、それまでは油断してはなりません。使者を殺すのは論外ですが、以後、お気を付けを。特にトーハ族は警戒されていますから。


 今の私達が講和交渉に入り、何かを約束したとして、信用できないでしょう?

 同じことを思われていますよ?」


「同じ水準まで落ちて来たか」


 ラウィアらしき男が態度は丁寧なまま、選んだ言葉だけを強くする。

 アグニッシモが、また鼻筋に皺を寄せた。アレッシアの高官の多くは、アグニッシモに視線を向けている。


 トーハ族の言葉が分からずとも、だいたいの意図をアグニッシモの表情から読み取ろうとしているのだ。


「もとより同じ人です」


 マシディリの表情は、ひょうひょうとした笑みを浮かべたままなのだから。


 そして、そのまま近くの天幕に入っていった。

 マシディリと、ラウィア、マシディリの護衛であるアルビタの三人だ。ただし、中には他にも奴隷がいる。


 彼らがすぐにトーハ族の男に近づき、服を脱がせた。ラウィアは抵抗しない。だが、奴隷が持ってきた衣服の観察は怠っていないようだ。


「トガです」

 マシディリは椅子に座り、りんご酒を傾けた。

 さして飲みはしない。ただし、悠然と構える。


「トガ」

「ええ。元老院に着ていく正装ですよ」

「コレハ誠ニ光栄ナコトニゴザイマス」

「トガを着て、エリポス語を使わないでください」


 此処で、ようやく笑みを消す。

 ラウィアらしき男も、表情の色を薄くした。


「気分は? 正直にお答えください。互いに、今は信頼が無いでしょう?」


 作り物の目じりに、色の無い穴のような目。口角は三日月の如く吊り上げて。

 マシディリは、ラウィアらしき男が答えるまで、瞬きを排した。

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