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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
1432/1589

捨て石

「我が国としましては、トーハ族との徹底抗戦を望み、彼奴等に二度と槍を握れぬ程の打撃を与えるべきと考え、その好機と捉えておりました。つきましては盟友アレッシアにも断固たる姿勢で臨んでもらいたいと、強く遺憾の意を表明させていただきます」


(随分と早いですね)

 正装で陣幕を訪れ、背筋をぴしりと伸ばして言い切るマグヌポトスに対して、マシディリは鉄仮面の裏で考えを巡らせた。


 余分な考えもある。


 第三王子と言う身分から王弟へと変わる中で、神に尋ね名を変えたそうだが、果たして、誰に対して従順であると示しているのか。多くの者、メガロバシラスの民もそれは新王エキシポンスだと言うが、果たしてそうなのか。


 そのマグヌポトスを遣いに寄こしたのは何故か。


 読み上げ続けている文章通り、敵地へと攻め込み、トーハ族を圧倒するためでは無いだろう。むしろ、こちらは断られると思っているだろうし、エキシポンス自体も望んでいない。


 エキシポンスも一部はマシディリと同じ家庭教師から学び、エスピラの考えも聞いている人物だ。遊牧騎馬民族であるトーハ族との講和の好機であることは掴んでいるはずである。


 では、何故か。


 それだけアレッシアの快勝に沸いていると言う証であり、優性意識があると言うことでもあり、トーハ族に対して憎しみが勝っていると言うことでもある。


 同時に、エキシポンス個人としても失いたくは無いのだ。アレッシアとの繋がりを。アレッシアに物申せて、融通を利かせることができる国王であると言う証拠を。

 マシディリとしても、エキシポンスがメガロバシラスの王である方が都合が良い。


 なるほど。

 捨て石だ。


 メガロバシラスから見れば、マグヌポトスであったが故に条件全てを呑ませることができなかった。でも、エキシポンス自らが軍を率いずに他国の陣地に行くのはありえない。その軍も、トーハ族の睨みのため北方にある。故に動かすことなど不可能であり、動かせば先の言葉が嘘となる。

 

 王弟マグヌポトスの派遣は、自然の流れ。

 動かなかったのは、マグヌポトスの力不足。

 やはり王のみがアレッシアと対等にやり合える。


 その流れが出来るのだ。


 アレッシアとしても、王族が来た以上は何かをする必要はあるだろうし、考慮しなければならない。仮に断れば、それを元手にエキシポンスは本来の目的、メガロバシラス軍の増強をちらつかせてくるだろう。



「殿下は、トーハ族との戦いはどこまで行けば終わりか、想定をしっかりと作られているでしょうか」


 マグヌポトスが粘土板を置いたのを見て、マシディリは常より半歩遅く告げた。


「陛下は、メガロバシラスがトーハ族に脅かされることの無い未来を希望しております」

「殿下に尋ねています」


 今度は常通りの速度で。

 それでも、十分に早く聞こえたはず。


「私も、願いは陛下と同じ」


 マグヌポトスの声は、先ほどの読み上げとは違い、張っていない声だ。

 でも、公の場にいる王族に相応しい堂々とした声である。


「戦いの終わりを聞いています。トーハ族の全滅ですか? それとも、敵地の陥落、占拠ですか? まさか講和、だなんて言いませんよね」


 ただし、マシディリは自身が上位者であると言わんばかりの声と態度で続けた。

 マグヌポトスの表情には変化が無い。不気味なほど無い。


「トーハ族は嘘つき部族。壊滅を願っているのはアレッシアも同じであると思い、多くの人民がこれを支持しておりますが、如何でしょうか」


「トーハ族の言葉を信じていないのは同意いたします」


 そして、マグヌポトスは今まで一度もまともに質問に答えていない。

 そのことを突くのは果たして得策か、否か。


「アグニッシモ様」


 マグヌポトスが愛弟に顔を向ける。

 アグニッシモは顎を引いた状態でメガロバシラスの王弟に体を向けた。


「トーハ族に痛撃を与える機会を逃してしまえば、再び勢力を増強させてしまうと思いませんか?」


「兄上やエキシポンス陛下が作った北の防御陣地群がそんなに信用できない?」


 面白いぐらいに、マグヌポトスが止まる。


 アグニッシモのことを感情に引っ張られやすいただの武辺者だと思っていたのだろうか。それならば、お門違いだ。


 アグニッシモは頭が悪い訳では無い。短絡的でも無い。成長もする。

 父の死から一年と経っていないのに従軍し、しっかりと作戦を遂行しているのが良い例だ。


「信用しているからこそ、不都合って話もあるか。

 ま、でも、殺すだけが痛撃じゃないと兄上は考えている。俺は、兄上に従うだけ。これ以上はしゃべらないからな」


 ばつ、と両の人差し指で作ると、アグニッシモは自身の唇に押し当てた。

 幼い行動だ。

 だからこそ、余計に口を開かないのだと確信できてしまう。


「折角ですので、トーハ族を徹底的に潰す場合の試算と、メガロバシラスに負っていただきたい物資支援をお話いたしましょう」


 嘘であっても従順を謳っていると思われている王弟が、今上国王に対して不信感を抱いていると言う旨の発言であると流布されてしまえば痛いのだ。既にそう思われてしまったとも言えるアグニッシモの発言は、それだけで十分な威力がある。


 そして、失った主導権を易々と取り返させるほどマシディリも甘くはない。何より、此処はアレッシア本陣と言う自陣。有利な場所での交渉。


 一先ず、マシディリはマグヌポトスに何一つ成果を与えず、アレッシアの陣に留めることに成功した。


 留めて置いているのは、交渉の札になるとも算段して。



「トーハ族は、二千人の派遣にも難色を示してきましたか」


 会談後、マシディリはコクウィウムとティツィアーノ、アグニッシモとフィロラードだけを残して報告をまとめる。

 コクウィウムの二人の弟、ルベルクスとサッピトルムは敵陣内で交渉中だ。


「はい。ですが、交渉を纏めたいのはトーハ族も同じようです。日々流入してくる物資の量は減り、頼りにしていたエリポス諸都市も言を翻し支援を打ち切っております」


 その点は、潔癖を示すためにアレッシアに物資を送る国家がいるので裏が取れていた。

 軍事物資を集めていたのはアレッシアに渡すためですよ、と言う話に強引にしてきているのである。


 マシディリも、疑念を端々ににじませながらも追及せずに受け取り続けた。その物資の確認に立ち会わせ、物資で作った食事を使者に振舞いながら、である。


「本隊から離れ、物色に回ったトーハ族もイパリオンが討ち取っております」

 フィロラードが言う。


 イパリオンも、決して善意からでは無い。マシディリから略奪を禁じられている以上、トーハ族に村から略奪してもらい、それらを戦利品として受け取っていると言う体裁を取っているのだ。その上で少しだけ村に返していけば、エリポス人からの歓心も買える。そう思っていたらしいが、歓心の点は捨て始めてもいるようだ。


「粘り強く行きますか」


 と、なると、流石にアビィティロにも援軍を送るべきだろう。

 そう思いながら、マシディリは地図を引っ張り出した。


「マシディリ様」

 普段と違う、コクウィウムの声。

「お言葉ではありますが、メガロバシラスの要請には、少しでも答えるふりをしておかねば、メガロバシラスがトーハ族に代わるだけだと思います」


 硬い声だ。

 視線を向ければ、コクウィウムの拳も硬くなっている。白く、小さく震え、腕はまっすぐに。


 ただし、これは、メガロバシラスに対する怒りでは無い。

 紅くなっていない顔からも良く分かる。むしろ白いのだ。


「講和交渉で油断している今、トーハ族に強襲をかけます。私が前に出れば、まさか攻撃してくるとは思わないでしょう。


 ただし、頼みがございます。

 どうか、二千人規模の派兵は諦めてください。それではトーハ族も呑みません。私の暴発を謝する形で規模を下げ、即物的な支援を行いトーハ族に形を作らせる。


 それで、講和はなるかと思います」


 背中が跳ねたのはアグニッシモ。

 目を大きくしたのはフィロラードだ。


「コクウィウム様。それは、ルベルクス様とサッピトルム様が内側から呼応する、と言う話ですか?」


 マシディリも、静かに瞬き少なく尋ねた。

 コクウィウムの顔はなおも白く、硬い。



「いえ。二人には何も伝えておりません。講和交渉だと思っております。

 ですが、大事なのはトーハ族首脳部の壊滅。二度と立ち上がらせない決定的な楔。トーハ族の嘘に対しての報復です。


 アレッシアは剣でお返しする。


 そうであるならば、嘘には同じ手段を用いてより決定的な攻撃を加えなければなりません。

 二人も、アレッシアのためならば喜んで死ぬでしょう。いえ、二人の命などよりもアレッシアの方が何倍も大事であり、比べるべくもありません。


 どうか、攻撃の許可を」



 コクウィウムの手は震え、それどころか膝も笑いかけている。

 つくづく一線級とは言い難い人材だ。

 それでも、覚悟があるのならば応えるのみ。


(私が行くか?)

 いや、それは、覚悟を無駄にすること。コクウィウムは、先陣を切らねばなるまい。


「即座に、出撃準備を」


 コクウィウムの喉仏が、大きく上下した。開いた口は、閉じ切らず、音も出ず、ぱくりぱくりと二度動くだけ。叱咤するように、硬い拳が上がった。


「兄弟殺しは外聞が悪い。私が提案し、強引に第四軍団を連れたためコクウィウムがせめてと先陣を切った。この物語が良いのでは?」


 とん、とコクウィウムの肩に手が置かれる。ティツィアーノの手だ。

 隻眼はいつも通りの暗い色を浮かべ、マシディリに向けられている。


「やるからには、決定的な勝利を」

「お任せください」


 何も気負った様子なく、ティツィアーノが去っていく。急がず、少々の歩き辛さの残る足を引きずりながら、堂々と。


 義理を欠いたとも言える第四軍団のみによる強襲戦。

 結果は、トーハ族がアレッシアの使者を殺す暇もないほどの圧勝であった。

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