その死体は何のために
にっこりと笑った後、ズィミナソフィア四世がマシディリに目を向ける。
「血の繋がりも大事ですが、尊敬できるか。その人の生き方を引き継げるか。守りたいモノを共有できるか。頼れる存在か。アレッシア人で言えば誇り、魂を継承できるかと言うのも父と呼ぶのに十分すぎる条件だと思いますよ。
血の繋がりで全てが決まるなら、アレッシア人は誰一人として平民を引き上げなくても素晴らしい国家をつくることが出来ますから」
なるほど、とエスピラは思った。
どうやら、ズィミナソフィア四世はエスピラとマシディリの目の前に横たわっている問題も認識しているらしい。
その中でのフォローは、エスピラにとってはありがたいことこの上ない行動である。
アレッシア語のまま、ズィミナソフィア四世が続ける。
「コルドーニ様が失敗した場合はタヴォラド様の番。コルドーニ様自身が執政官に立候補しないことで当主であるタヴォラド様の顔を立てましたから、タヴォラド様も無体な真似はしないでしょう?
では、エスピラ様はどのような時に出番を?」
質問、では無いとエスピラは判断した。
そんなことも分からないズィミナソフィア四世ではあるまい。
「アレッシアがハフモニ以外の外敵と事を構えることになった時に。
もちろん、そのような時はアレッシアが危機に陥っている時ですから。そのようなことにならないことを祈っております」
エスピラもアレッシア語のまま答えた。
「私はそのようなことになることを祈っております」
マシディリの顔が少し動いた。
すぐに隠すように、誤魔化すようにゆっくりと顔を建物の内装などに向けているが、ズィミナソフィア四世は見逃してはいないだろう。マシディリも五歳をまだ迎えていないとなれば致し方ないことでもある。
「マフソレイオは信義を通すために他の者、他の国ではなくエスピラ様に懸けました。そのエスピラ様が活躍されることを祈るのはマフソレイオの国益を考える者にとっては当然のことでしょう?」
「まさに。マフソレイオのことを考えるならば」
「エスピラ様も、できれば朋友のためにもウェラテヌスらしい行動だけではなく一般的なアレッシアの貴族らしいことも取っていただけるとありがたく思います」
アレッシアのためにも、とズィミナソフィア四世が結んだ。
止まった足の先には松明が両脇に立っている部屋への入口。立っている見張りも武装をしているというよりは祭事の服に身を包んでいるようである。
金色の兜はゆるりと肩までつなぎ合わせた鉄板が垂れており、胴体には何も防具がついていない。いわば急所が丸見えの形で、美しい肉体に油が塗ってあるだけ。手にしている棒は先が大きく曲がっており、地面を向いている。脛当てもついてはいるが太ももは丸見え。腰元は装飾品がついてはいるが、基本は白い布。
「この先は神聖な場所。死者が生前認めた者しか入れるわけには行きませんのでマシディリ様は此処でお待ちいただいてもよろしいでしょうか」
アレッシア語で問いかけたズィミナソフィア四世に、マシディリが頷いた。
「はい」
そして、エリポス語で返事をする。
「ごめんな」
エスピラはしゃがんでマシディリの頭を撫でた。
そしてウーツ鋼で出来ていない方の剣を抜き取り、マシディリに渡す。マシディリは自身の体には大きすぎるその剣を抱きかかえるように受け取った。
もう一度マシディリのやわらかい髪を撫でてからエスピラはズィミナソフィア四世について部屋に入る。
空間には静かな香が満ちており、石造りの部屋は炎でオレンジ色に照らされていた。炎で照らすこと自体はアレッシアでも良くあることだが、炎の揺らめきがどこか幻想的にも見える。部屋が静かで匂いも違うことがこれまでの部屋と全く違う雰囲気を持たせていることもあるからだろうか。
(神の末裔を名乗っている以上は、か)
幻想的な、浮世離れした雰囲気にも本当に神の末裔として、神の血が流れている者としての自覚が自他ともにあったのであれば有り得ることか、と思いながらエスピラは石棺を覗き込んだ。
華に埋もれて、化粧の施されたズィミナソフィア三世が目に入る。
だが、美貌に気を続けており、死体となって青白くなっているはずの女王にしては実年齢よりもさほど若くは見えなかった。
ズィミナソフィア三世の目元に伸ばした手は、ズィミナソフィア四世に掴まれる。
「死者への化粧ですので」
エスピラは何も言わずにズィミナソフィア四世の目を覗き込んだ。ズィミナソフィア四世も何も言わずにじっとエスピラを見てくる。
言い訳も何もせず。エスピラが言いたいことも理解はしているだろうが、口を開く気配も無い。淡々と、政務を行っているようにやわらかい能面である。
「カルド島で、エクラートンで言ったことを覚えているか?」
アレッシア語でエスピラは聞いた。
「はい。もう他人の命を粗末には致しませんよ」
淡々とズィミナソフィア四世がアレッシア語を紡ぐ。
再びの、無言。
粗末、と言えば確かに粗末には扱っていないのかもしれないが。
何より、確証が無い。
(怪しい行動を取って利点があるとも思えないがな)
そう思いながら、エスピラは手を下げた。
ズィミナソフィア四世の手も離れて行く。
「国葬はいつ?」
「お父様が来られましたので、すぐにでも始めたいのですが二日ほどあきますね。お父様もお母様のお腹が随分と大きくなっておりますので一日も早くアレッシアに帰りたいと思っているとは思いますが、もう少々お待ちください。
ええ。損はさせません。むしろお父様にとっては嬉しい展開になるはずです。
それに、どうせ早く帰っても出産からしばらくしないとお母様はお父様に会おうとはしてくれないでしょう?」
「詳しいな」
エスピラは声を低くした。
ズィミナソフィア四世がくすくす、と上品に肩を揺らす。
「お母様の性格を考えれば、出産でぼろぼろになった自分を見て欲しくは無いのでしょう?」
「…………さあな」
(安らかな眠りを。神の寵愛を)
祈って、エスピラは石棺から離れた。
「兄上がお父様とお話がしたいと申しておりました。今の時間ならば、アフロポリネイオの大神官と一緒に居られるでしょう」
アフロポリネイオはカナロイア、ドーリスに並ぶエリポスの歴史ある三大都市の一つである。
海洋国家であり平民の力の強いカナロイア。陸地での戦闘能力が高く、傭兵業も盛んなドーリス。そして、神殿が多く娼館も多いため旅行者に人気のアフロポリネイオ。
エスピラとしてはアフロポリネイオよりも海で有利になるカナロイア、次にドーリスと仲良くなりたい、押さえておきたい国家の一つであることに間違いは無いのである。加えて言うならば、エリポス圏で行われている宗教会議において議長を務めているのがアフロポリネイオの大神官だ。メガロバシラスの参加を許さなかったり、名目上除外できたりと、政治的な力は強くは無いが、心証的、国家をまたぐ個人個人の繋がりでは大きな影響力を未だに持っていると言えよう。
「お会いになりますか?」
ならばこの問いに否定することはあり得ない。
「ああ。頼む」
エスピラは返答して、ズィミナソフィア四世に続いて部屋を出た。
向かう先は奥の間。選ばれた人しか入れない場所。
愛息は抱きかかえて、それから使節に連れてきていたソルプレーサとシニストラに預ける。マシディリは聞き分けが良すぎるくらいにあっけなくエスピラの意図を了承して、むしろエスピラの方が足が遅くなるほどであった。
「母親の違いですか?」
アレッシア語でズィミナソフィア四世が言った。
表情は一切見えない。
「聞き分けが良すぎると不安になるだけだ。メルアのことを良く知っているなら分かるだろう?」
くすくすくす、とズィミナソフィア四世が笑う。
ズィミナソフィア四世が通るために頭を下げて視線を合わせていないだけだが、エスピラはそんな周囲の様子が別の思いからであるかのような気持ちに襲われた。
「それではお父様。此度の戦場はこちらになります」
口元だけで笑って、ズィミナソフィア四世が扉に手をかけた。




