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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
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不満のはけ口

 倫理的な是非は時代や国により大きく異なる。

 故に、マシディリはトーハ族の頭目の行動を「武力を背景にした支配体制の確立」と読み取った。


 遊牧民族の中には重婚をする者も居る。娶った相手の後ろに応じて、妻の序列が決まり、母親の序列が子の序列にも繋がってくるのだ。


 その点で言えば、エリポス人女性を新たな妻として迎え入れるのは土着化に向けて有効な一歩である。遊牧民族内での序列が低くても、エリポス進出に向けては高くすれば良いのだ。その上、トーハ族を内部から乗っ取ることも可能だとちらつかせればエリポス人が認める可能性も高い。


 そのための狼藉だ。


 頭目自身が頭の足りない者だと思わせるための行動でもあろう。古来より、女好きはそう描かれることが多いのだから。二度の交代を経て頭目になった、いわば予備の予備であることも、そんな頭目像に大きく影響している。


 だが、そんな訳が無い。

 頭目自身が関わることで婚姻に特別感を与えるとともに、部下に忠誠を誓わせる。離婚をし辛くし、仲間内の関係性を深めていく。アレッシアの庇護者のあっせんによる被庇護者の結婚と似たような効果も期待しての狼藉の可能性を無視はできないのである。


 加えて、頭目自身が関わることでエリポス諸都市からの否定を『トーハ族への挑戦』と置き換えることもできるのだ。やるかどうかは別として、喧嘩を売ることになるとだけ意識させれば、簡単に否とは言えなくなるのである。否と言われれば略奪して兵の士気を上げれば良い。


 何より挑発にもなり、守れなかったマシディリをエリポスの守護者として不適格との烙印を押すことだってできる。


 多くの利益を持った行動だ。


「今日襲撃をかけます」

 エスピラは淡々と告げた。


「今日ですか?」

 クーシフォスが声を上げる。


「でなければ、全員死ぬでしょうね」

「こういう場面はお好きでしょう?」


 マシディリの冷徹な言葉の後に、ウルティムスが少しだけおちゃらけた様子で付け加えた。

 クーシフォスが唇を巻き込み、深く頭を上下に動かす。


「多くの者を踏みとどまらせることができず、申し訳ありません」

 アリスメノディオ・イロリウス、イフェメラの子が頭を下げた。膝も着いており、完全に主従関係がある形になっている。


「アリスメノディオ様だけの責任ではありませんよ。こちらも、謝らなければなりません。対応が遅れ、その上敗報を連れてきてしまったのですから」


 マシディリもしゃがみ、アリスメノディオの肩に手を置いた。ただし、声はやけに慇懃にすることも忘れない。


 下の者を配慮するような態度と、部下となった目上の者に配慮するかのような声音。寛容と拒絶。同胞であり同胞に非ざる距離感。


 アリスメノディオはマルハイマナ戦争のための従軍にも連れて行っていたほどイフェメラが愛した子である。イロリウスの名も、役に立つだろう。


「まずは、今。この瞬間の最善を尽くしましょうか」

 やさしく肩を叩き、ゆすり、膝を伸ばす。


 少々の咎を残しておけば、自ら前に赴き、死力を尽くすのがマシディリから見たアリスメノディオだ。そして、彼の周りにいるのはイフェメラに付き従い、一度はアレッシアに刃を向けたイロリウスの被庇護者。敵とすればこの上なく厄介であるが、味方となれば崩れぬ壁となる者達。


 アリスメノディオが前に出れば、若い主を討たれまいと前で強固な防塁となるだろう。

 当然、そこに人は多くなる。


「貴人か、馬の足だけを狙ってください。上等な物を纏っているか、武器の数が多い者をやっていけばその内良い手柄にも当たります。手あたり次第、やるように。ただ、雑兵は幾らやっても意味がありません。馬の方が価値があります。良いですね?」


 マシディリ自ら馬上用の槍と、アグニッシモの愛剣に似た大剣を持ち、馬に乗る。


「敵陣深く切り込み、そこで暴れましょう。死地こそ活路。敵の連携が取れないような棘が幾本も刺されば、自ずと弱くなります。

 では、酔いが回るまでの良い夢を」


 そう言って、マシディリは馬上で一気に馬乳酒もどきを飲み下した。

 多くの兵も続く。


 夜陰に紛れ、敵陣へ。堂々と歩けば気づかれないこともある。多くのエリポス人が混じっているのもあり、知らない顔でも止められることは無い。


 止められるとすれば、首脳部の近く。

 明確にトーハ族とエリポスの援軍とで分けられている場所。


 それは、双方にとって、だ。


 エリポス人も野蛮人を入れたくは無いし、トーハ族にとってもお高くとまったいけ好かない野郎どもを近くには置きたくは無い。


 故に、止められることは敵軍の中枢と等号で繋がる。


「此処をどこと心得る! 此処は」


 怒鳴るトーハ族の兵士の口に、マシディリは槍を突き刺し強制的に黙らせた。

 瞬間は、無言。

 その隙に近くにいた敵兵を、控えて来た味方が一気に突き殺す。


「謀反だ!」

「エリポス人が裏切った!」

「トーハ族が寝返った!」


 遠巻きに見ていた敵兵が、言語の違う声で、各々が自分の想像を結論のように叫び始めた。


 人の声で始まった狂騒曲を聞きながら、マシディリはゆったりと角笛に手を伸ばす。


 夜の闇に広がる、大きな音。

 静まり返った中でもしっかりと伝えるようにと設計された音色だ。


 それを合図に、クーシフォス、ウルティムス、アリスメノディオが一斉に動き出す。


 この内、クーシフォスはオーラを使い、アレッシア語で叫び、アレッシア人の突撃であると大きく喧伝した。アリスメノディオの隊はエリポス語で叫びながら暴れ回る。ウルティムスはマシディリと同じく無言。されど、途中からオーラをはっきりと使い始める。


 マシディリも戦闘が苛烈になるにつれオーラを使い、アレッシア語で指示を飛ばし始めた。各部隊への連絡も、光を打ち上げるアレッシア式に変えていく。


 同士討ちと、敵からの突撃。

 目を閉じて浮かぶ光景は、それだ。


 至る所で行われている戦いは、どちらがアレッシアの味方でどちらがトーハ族側なのかが良く分からない。僅かな兵数の突撃だとは思わず、大軍が敵であるかのような喧騒が巻き起こっている。目を閉じる必要は無い。暗闇が、耳での判断を重要だと誤認させてくるのだ。


 その上、トーハ族はエリポス人から武力を頼られながらも野蛮人として見下されている。武勇に誇りを持つ者達だからこそ、この屈辱は許せない。


 エリポス人だって、劣った人種だと思っているトーハ族に同胞の女性を穢されたどころか略奪にもあい、それでも頭を下げざるを得なくなっている。


 個々人の不満が、勝手な私闘へと発展し、私闘が徐々に部隊同士の争いに変わる。


「撤退」


 マシディリ達の攻撃は、二時間に満たない。

 しかし、敵陣で続いた騒乱は、夜が明けるまで続いていた。

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