二枚貝
転戦か留まるか。
選択肢は二つに一つ。負けたと言っても、アフロポリネイオを陥落させるのは簡単だ。
夏まで待てばよい。
元々も湿地帯では無い場所であり、川の流れを強引に引き込んだだけの場所。再び治水を行い、夏の暑さで乾燥させてしまえば再び街が露わになる。それも、閉じ込められ続けて弱った街が、だ。
(ですが)
トーハ族は待ちはしない。
ただ、ティツィアーノが第四軍団を引き連れ、プリッタタヴがイパリオン騎兵を率いてやってくる。その上マフソレイオからラクダ騎兵が来れば、それだけで十分にトーハ族を追い返せる可能性もあるのだ。
なら、敗北の払しょくのためにアフロポリネイオと戦うか。
いや、それではアフロポリネイオの思うつぼ。ならば転戦。追撃を受け、さらに敗北を重ねる可能性もある。では、やっぱり攻めるか。攻めたとして、得られるモノは果たして多いだろうか。うまいのは事実だが、失いものも多いかもしれない。
しかし、グライオの遠征は成功を収め続けている。ならば、マシディリも成功を収めないと厳しいかもしれない。グライオは心配いらないが、元老院が何というか分からないのだ。
ただ、この発想でアフロポリネイオとの戦いに臨むのも、間違っている。
結論は、未だに出ない。
(どう、しま、しょう、か)
時間は、無かった。
昼までには結論を出さねばならないだろう。
それでも、眠れていないマシディリの思考はぐるぐると同じところを回り続けるのみ。
「マシディリ様」
ひょこり、とピラストロがマシディリの天幕に現れた。
レグラーレは、まだ任務中。昨日の失態はレグラーレを手放したことにも原因がある。
「カナロイアから荷駄隊がやってきました。ユリアンナ様からの贈り物もあるとのことです」
声が明るい。
苦笑しながらマシディリも太陽の下に出ると、なるほど、戦場には似つかわしくない正装をした一団が、これまた正装には似つかわしくない大商人の荷物を有していた。
一団の長は、カナロイア海軍の長の嫡男。左右には大神官長の右腕と言われている神官と後宮を取り仕切る従事長がいる。
だと言うのに、彼らの持ってきた言葉は事務的なモノばかり。核心は何一つ言わない。だが、明らかに他のエリポス諸都市とは一線を画す気合の入った一団だ。
「こちらが、奥方様からの手紙になります」
挨拶の後、女中らしき一人が、マシディリに手紙を差し出した。
受け取り、開く。中に書かれているのは短い言葉。『胸を張りなさい』。
(らしいですね)
苦笑一つ。
荷物の量的に、最初の敗報を知ってからでは無いだろうが、見通しているかのような文言だ。
「この荷物は?」
そして、触れられなかった大荷物に目を向ける。
匂いからして、貝などの海鮮類の類だろう。
「王太子妃殿下より授かった差し入れにございます。アフロポリネイオと戦うのであれば、是非とも、と仰せでした」
侍従長が言うと、荷物の上面を覆っている布がはぎ取られる。
二枚貝だ。
しかも、殻ごと。
「非常に美味な貝にございますが、可食部はさほど多くはなく。熱がありますれば簡単に開きますが、熱を起こすにも時間がかかり、熱を使わなければ開けるまでにはさらに時間がかかります。せめて貝殻を捨ててからお運びした方がよろしいのではないかと聞いたのですが、王太子妃殿下は殻ごと持っていけと聞いてくれず」
ユリアンナの従順な付き人としての側面と、カナロイアの者としての側面。
両方を併せ持ち、侍従長が慇懃な見かけで膝を曲げてくる。その実、貝殻の使い道を教えろと言っているのだろう。
(埋めますか?)
アレッシアンコンクリートの材料として使えなくもないが、今は作ることもできない。
貝殻を入れていったところで、全部の泥濘地帯を潰すことも叶わない。
「戦場で食べるには適しませんね」
ピラストロがのんきな声を出し、貝殻を掴んだ。
「本来は戦場で食べる物では」
ありませんからね、との言葉が、しりすぼみになる。
(そうか)
そう言うことか。
「マシディリ様?」
自信をもち、頷く。
「ユリアンナに、腹は決まった、とお伝えください」
礼もとり、早々に踵を返す。
ピラストロが駆け寄ってきた。
「すぐに高官を招集してください」
「構いませんけど、どういうことですか?」
「アフロポリネイオは戦場で食すのに適さないと言うことですよ」
なおもピラストロの顔には疑問符が浮かんでいる。
「旨味はありますが、戦果とするには少なすぎます。守りも硬く、壊すには手間でしょう。ですが、夏まで待てば簡単に守りがほどけていく。
此処で戦う必要はありません。
彼らを屈服させるのは、戦場では無いのですから」
出産直後の大変な時期に申し訳ないとも思うが、優秀な妹もマシディリの誇りである。何よりも頼もしい。
(感謝以外ありませんね)
妻からの手紙も懐に仕舞い。
マシディリは歩幅を朝よりも大きくすると、すぐに天幕に向かった。
「軽装騎兵とした部隊を引き抜き、先にトーハ族に一撃を加えます。各騎兵が連れて行く馬は二頭。ウルティムスも軽装騎兵用の装備でついてきてください。クーシフォスも当然準備を。私も一緒に向かいます」
入り口を締め切った天幕で、マシディリは八人の高官を前に朗々と言い放った。
騎兵をきちんと運用しようと思えば、本来、行軍にはもっと多くの馬を連れ歩くモノ。二頭は限界まで減らした数だ。
「それは、焦りですか?」
アビィティロが真っすぐにマシディリを見て来た。
マンティンディは唇を巻き込み、少しだけ背中を逸らして背筋を伸ばしている。ウルティムスは舌で頬の裏側を押しているようだ。アピスは少し大きくなった目を、机の中心に向けている。
「焦りでは無いと言う否定はできませんが、利点あると考えての行動です」
マシディリは、いつもと雰囲気を変えずにそう返した。
次にマシディリに顔を向けてきたのはグロブス。アビィティロは一歩引くように口を閉ざした。
「イパリオン騎兵とラクダ騎兵の展開が遅れていると言う話は耳にしております。トーハ族の出鼻をくじくのも大事ですが、計画通り友軍を待ってからの攻撃の方がよろしいのではないでしょうか。
第一軍団の諸先輩方も、アイネイエウスとの戦いでは少しでも戦力が必要なところではありましたが、ヴィンド様が訓練する軍団が水準に達するまで耐えておりました。幸いにして、今はアミクスらがイペロス・タラッティア周囲に展開しており、調略合戦も可能となっております。
戦術的に失敗をしたからこそ、一度、足を止めるのも大事であるのではないでしょうか」
勇気のいる発言だ。
先の砦の攻防戦に於いて、開戦当初の目的を達成したのはグロブス・ルカンダニエ隊。その者がこのような発言をすることを、調子に乗っている、と陰で言う者も出てきかねないだろう。
それでも口にしてくれたのは、勇気と使命感、そして戦友への信頼だ。
「本来であればそれが良いのだとは思います。
しかし、今回、エリポス諸都市もトーハ族も、しっかりとこちらの情報を仕入れながら戦っているようです。今の情報が漏れているのもそうですが、傾向も掴んでいるのでしょう。
だからこそ、好機だとは思いませんか?」
笑みを深め、立ち上がる。
ペリースは、紫に変えていた。




