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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
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狂人揃え Ⅰ

「昨日はやり過ぎてしまいましたかね」

 鎧に身を包んだマンティンディが駆け寄ってくる。周囲の兵も活気に満ちていた。この前の敗北など無かったかのようである。


「家門同士でも国同士でも親類でも、代替わりが起こった結果、微妙な関係になった例はたくさんありますから。セアデラやラエテルにとって教訓になったのなら、それはそれで良いことですよ」


 準備は整いましたか、と今度はマシディリから問う。マンティンディが厚い胸板を力強く叩いた。


 それから、持ち場へ。


 整然とした軍団だ。装備も整っており、磨かれた鎧はただし細かい傷だらけでもある。誰もが握り慣れた武器を手に、槍を空に向け、開戦を今か今かと待ち望んでいるようだ。


(士気は十分)

 流石は歴戦の高官達。勇猛な下士官。最高の兵だ。


「マシディリ様」

 その意気の中を潜り縫うように、レグラーレが現れた。


「ビュザノンテンにて、トーハ族に情報を流している者を発見いたしました。ですが、拘留中に何者かによって殺害されたとのことです」


 間違いなく、口封じ。

 それが分かりつつも、表情は変えられない。兵に見られていることを意識して、常に堂々としていなければならないのだ。


「街よりもまずは水軍の中に裏切り者がいないかの徹底確認を。イーシグニスもアレッシアから呼び寄せて、ビュザノンテンに入れましょう。レグラーレ。手配を頼みます」


「かしこまりました」

 言って、レグラーレが消えるように去っていく。


 開戦の時間まで決めてあるのだ。

 三つの砦を一斉に攻め立てるからこそ、この作戦は最大の効果を発揮するのである。その先は無い。この戦いは砦を落として、それで終わり。そして、砦に通じる道には干し草や枝、汚れた布を敷き詰め、舗装としている。


 例えば、レステンシア殲滅戦に於いてはアレッシアンコンクリート等を用いて泥を攻略した。

 ボホロス王国との戦いでも、本当は実現不可能だが湖を埋め立てて道を作るふりをしている。


 それが出来ないのは、偏に、今のエリポスを信用できないから。


 信用できない以上、物資の多くは食糧や武器となる。その上、いざとなれば逃げられるように最小限にしつつも必須のこれらが途切れないように気を配らねばならない。

 故に、道を舗装できる道具を輸送することは出来ないのだ。輸送できない以上、泥を埋め立てる道具も周囲から調達するしかない。


(苦境は事実。父上存命時に比べ、アレッシア軍の組織力が落ちていると見られても、仕方がありませんね)


 実情は、異なる。


 多くの戦線を抱えているのだ。


 半島北方では北方諸部族が戦っており、裏で糸を引かねばならない。

 プラントゥム東方では、くいりったやスペンレセ、リベラリスを用いて情報収集とスィーパスの抑え込みを行っている。

 フラシ・ハフモニ方面ではグライオとメクウリオの歴将を起用しての本格的な遠征が進行中だ。


 これらの物資の差配も、マシディリが大枠を決めている。


 決して劣ってはいない。そのことは、アレッシアのみならず他国の有識者も分かっているはず。


 だが、一般的なエリポス人はその限りでは無い。

 目の前しか知らない、いや、分からないのだ。今起きていることが全て。将来、過去、どう繋がるかなど興味が無い。


 故に、今は叛意を閉じ込めた鍋が揺れ動いている。


「必ず、勝利を」

 拳を握り、重く呟く。


 トーハ族の進行速度に変化が無いことも既に耳に入っていた。

 此処からは、上陸の報告を待っていては後れをとってしまう段階である。予想し、動かねばならない。


 ならば。今日。アフロポリネイオとの戦いに蹴りを付けなければならないのだ。


「攻撃、開始!」


 マシディリが吼える。

 しかし、最初の光はアビィティロのいる部隊から。そこから、全軍が攻撃の合図を発する。


 できうる限りのかく乱だ。

 その上で、猛攻が開始される。


 投石機が鳴り響き、石が空を舞い、激突とともに重低音が鳴り響く。足が揺れた。沼地も揺れ、跳ねる場所も出てくる。その中でアレッシア兵は仁王立ちで並び続け、砦を睨みつけた。


 第二投も、石。

 砦が崩れ、ある程度石がそのまま中に入るようになる。


 この段階で、沼地の整備に使わなかった血濡れの布や糞尿、死んだ馬の内臓などを詰めた壺を打ち出す。


 鼻をつんざく臭いだ。

 そのはずである。

 マシディリ達の鼻にも届くほどだから、落下地点はよほどひどいだろう。


 ただし、限りはある。万の人間が一週間もいれば相当な量は溜まるが、だからと言って尽きない訳では無いのだ。


 故に、第二策。

 泥濘地帯であることを利用し、泥で汚した布の切れ端などを詰めた壺を射出する。


 敵にとってはどちらかなど分かるまい。

 黒に近い茶色の湿ったナニカ、と言う時点で、当たりたくは無いと思うものだ。


 その感情は、確かに敵の防備に揺らぎを与える。


 今が、好機だ。


「全軍」

 言いかけて、上げた右手を止める。


 音だ。

 後ろから、聞こえてくる。本陣にいるのはアグニッシモであり、自らの突撃は自重するようにと言い含めていた。


 故に、本陣には居るだろう。

 少数の兵と共に。


「アグニッシモ様よりの伝言です!」

 顔にまで泥をつけた兵が駆け寄ってきた。

 途中で、転んでしまったのであれば、説明がつく。


「本陣に攻撃を受けました。反撃により撤退いたしましたが、あまりにもあっけなかったため多めに追撃の兵を展開しております。伏兵に気を付け、くれぐれも慎重にと言い含めました、とのこと」


「ええ。それで構いません。期待しています」

 言って、返す。


(これか?)

 いや。何かが違う。

 それでも、兵からの視線は増えた。突撃しないのか、と言う視線でもあり、周囲を警戒した方が良いのかと言う迷いの視線である。


(分裂は、不味いですね)


 背筋に覚えた嫌な汗を信じるか。

 目の前の好機を、ひとまず手に入れるか。


「プラントゥム以来の兵は待機。後は、作戦通り突撃を」


 一千の兵が残り、二千八百が突撃を開始した。

 すぐに砦の柵に取りつき、壊し、木々を散らばらせる。その後に響くのはスコルピオの射出音。いつもより、音は湿っている。そしてアレッシア兵は誰一人として貫通されることは無かった。鉄の盾を持たせた者は、弾き、あるいは向かって来た矢を力なく地面に落としてもいる。


 動じるのは敵兵だ。

 そこに、腐臭のする傷口の『膿』を集めた物を投げ込む。


 近場の民、泥濘地帯のための工事に駆り出された人夫と思われる者達から集めた物だ。腐りかけの木材も投石具を使って放り込んだ。


 いつもと違い、緑のオーラ使い達が光で周囲の者を包み、突撃を敢行する。


 恐怖の効果も倍増するだろう。緑は病魔に効くオーラ。どれだけ効果があるかは人により、即座の回復とはいかない、不人気なオーラでもある。だが、これだけの汚物の後に病魔に効くモノに包まれた敵兵が来れば、不安は大きくなるのだ。


(考えすぎでしょうか)


 使者と会うために髭を剃っていた顎を撫でる。

 攻撃は順調だ。ただ、今までと違い、敵兵がすぐには逃げない。堪えようとしているのが見え、敵の死体も増えていった。


(何を?)


 直後、太鼓の音が鳴り響いた。背筋が凍る。髪の毛が逆立つような感覚を覚え、瞬きを忘れてしまった。



 臓腑を揺らす音。


 どこから。後方全面から。半円を描くように。


 どんどんとマシディリの背筋を駆け上る重低音である。



「怯むな!」


 怒声一喝。

 前面の兵に叫んだ後、マシディリ自身にも喝を入れる。


 そのまま、緋色のペリースを大げさに翻した。目に見えるのは、茂みという茂みから現れる、泥まみれの敵兵。顔にも髪にも鎧にも、誇りであるはずの盾にもしっかりと泥を塗りたくり、迷彩としていたようである。


 その数は、分からない。

 冬眠から目覚めた蛙のように、泥を被りながらもわらわらと出てきている。


(何人?)

 少なくとも、二千は超える。


「神なる地で、祖霊に我らの勇姿を見せろ! 祖霊に認められ、我らも祖霊と一体化することで今は遠き祖国は永遠の加護を得るのだ!」


 エリポス語。

 ドーリス訛り。


(ドーリス人傭兵)


 不思議と、頭は冷え、心地良く血が煮えて来た。

 怒りは無い。

 高揚がある。


「相手にとって不足なし!」

 マシディリの声が、敵指揮官の「突撃」の声をかき消した。


「ドーリスの伝説を、勇者どもをこの手で葬ってやれ!」

「神々は我らにあり!」

「父祖は我らにあり!」

「我らこそ真の勇者なり!」


 プラントゥム以来の狂兵が、思い思いに叫び、涎を垂れ流しながら突進する猛犬のように槍を突き出した。

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