表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
1420/1588

泥濘より出でて Ⅱ

(スコルピオの矢なのに、貫通していない?)


「前の人を貫通したのですか?」

 言いながら、先ほどまでの死体を思い返す。


 彼らの中で目の前の兵、ルールファルスと同じ部隊だった兵は、いないはずだ。居たとしても、一人当たり四つの穴など開いてはいない。刺さった後、矢じりが埋まっていることはあったが。


(埋まっている?)

 死した者達には、貫通痕すらなかった。


「いえ、私が先頭です」

 マシディリの疑問と同じ時に、ルールファルスが答える。


「特別な盾ですか?」

「いえ。エスピラ様に紹介していただいた鍛冶屋で購入した盾にございます」


「ディファ・マルティーマのですか? それとも、アレッシア? アグリコーラ? 他の?」

「ディファ・マルティ―マです。私の戦友の多くがディファ・マルティーマの鍛冶屋を利用していると思います」


 マシディリは、目をルカンダニエに向けた。

 ルカンダニエが真顔のまま口を開く。


「ディファ・マルティーマは半島第二の都市であり、経済力はアレッシアで随一。世界を見渡しても上回りそうのはマフソレイオの首都ぐらいでは無いでしょうか。第二次フラシ戦争では文化保護が行われていた都市でもあり、拠点にされているリングア様も古代文化を研究されております。


 また、アレッシア式重装騎兵の装備が開発されているのも、対人兵器や投石機の改良が勧められているのも、マシディリ様の腰にあるウーツ鋼の研究をしていたのもディファ・マルティーマ。


 良い物を求めれば、自ずと兵の足はディファ・マルティーマに向かうものであると断言させていただきます」


 少々の饒舌は、今日の悔恨からくるモノか。

 特段、世辞になびくようなことは無いが、反省の態度にはマシディリも思うところはある。


「スコルピオを完全に止めようと思えば、動物の革と木材を中心とした盾では不十分ですね」


 鉄製の盾もあるが、持ち運ぶには適していない。特に今回は足元が沼地だ。

 兵の武器選択としても、そのような盾を選ぶ者は少ないのである。ルールファルスももちろんそうだ。


 何より、父のエリポス遠征に於いても使用されていた旧式のスコルピオは、エリポス重装歩兵の盾と鎧を貫いている。


「劣化した模造品か、保管状況が悪すぎるのか、手入れの出来ていない年代物か、ですね」


 ラドイスト陥落時の報告を聞くに、劣化した模造品の可能性は低い。

 誰に渡ったスコルピオであるかすら、引き渡し時に父が刻印した数字で分かっているのだ。


 そして、設計図面も発見されていない。一番の技術国であるジャンドゥールは積極的な関与は無いものの、アレッシアが求めれば開示してくれる上に今も技術共有国。出来上がるのが劣化品な訳が無い。あえて劣化品を流すならば、完成品を流して勝率を上げる方が良い。その後の報復は、変わらないのだから。


「この盾を、いただいても?」


 盾は誇りだ。仲間を守るための武器だ。

 故に、上官命令を発せられる物では無い。


 ルールファルスの右手が、後頭部に隠れる。

「盾を買い替えるだけの臨時給金を頂けるなら、よいですよー、みたいな」


 口角を上げ、最後の方が表情を硬くしながら消え入るような声で。

 そんなルールファルスに、マシディリはやわらかく微笑んだ。


「約束いたしましょう」

 相手の状況を知る大きな手掛かりだ。

 無論、目の前のアフロポリネイオも、裏で支援していたアレッシア人に対しても。


「相手の情報を得たとして、今のままでは敵が湧きすぎてしまうかと思います」


 半歩後ろにいるアビィティロが言った。その後ろにはアルビタがついてきている足音が聞こえている。


「百人隊長以上に厳命。翌朝より、士気を上げるように、と」

「直ちに」


 アビィティロが近くの者を捕まえ、命令を伝播させていく。

 その間にも、マシディリは天幕へ。立体地図だ。と言っても、完璧なモノでは無い。浸水戦略により、大分地形も変えられているだろう。


(油断しましたね)


 アフロポリネイオは元々警戒していた。だからこそ、地図がある。


 が、更新はしていなかった。


 エリポスに残してきた者達の機能不全に対してもっと早く手を打っていれば、泥濘と化していることも分かったかもしれない。


(土着化は危険)

 一つ、今後の統治に向けて実感の籠った教訓とする。


「今頃はエリポス諸都市から嘆願書を持った使者がこちらに向かってきていることかと思われます」


 アビィティロが、マシディリの正面に立った。

 マシディリも頷いてアビィティロの考えに同意を示す。だからこそ、軍団が元気であることを見せねばならないのだ、とも。


「ただ、アレッシアとしてもアフロポリネイオを許すことはもうできません。アレッシアを舐めすぎております。その上彼ら自身は盾裏に潜み、他の者も盾で自分の身を守ることしか考えていません。


 ですが、今はアフロポリネイオで略奪を働くわけにもいかず、下手な攻撃で神殿が崩れることもあってはならないことと化しております。


 マシディリ様。此処は、三つの砦全てを破壊し、以て撤退とされては如何でしょうか。


 後五日。

 それで離れなければ、トーハ族にも遅れをとりかねません。アフロポリネイオなぞよりも脅威なのは、トーハ族です」


「私も、それが最善だと思います」


 石を手に取る。

 突き刺した木片は、砦を示す簡易的な記号だ。


「今日の砦をグロブスとルカンダニエに。ウルティムスを付け、背後も固めます。

 一番手前の砦は私がマンティンディと共に向かいましょう。

 アビィティロはアピスと共に、最後の砦に。クーシフォスを援護として付けつつ、全体との連絡役を担ってもらいます。本陣の守りはアグニッシモに。ですが、明日、まずはアグニッシモに動いてもらい敵の動きを確認いたします」


 アグニッシモに対して警戒しているのか、否か。

 動きを変えることが可能なのか、否か。


 少なくとも、過去の外交記録から、アフロポリネイオがアグニッシモのことを優秀な武官として認識しているのは確かなのだ。


 そして、結果、兵の大移動は見られなかった。


 アグニッシモに対しての挑発と引き寄せるための撤退は行われたが、アグニッシモは馬上から酒に見立てた空の山羊の膀胱を煽るだけ。むしろ馬の餌として持ってきた秣を沼に投げ込み、枝も投げ込んで埋めようとして見せたりもする。それに対し、さらなる挑発は行われたが、アフロポリネイオ兵が一定以上近づいてくることも無かった。


 アグニッシモへの警戒と、全体的な戦略としての守備的な姿勢。

 それは、明らかだ。


 同時に、翌日からエリポス諸都市の使者がたくさんやってくる。ほとんどがアレッシアへの直接的な批判をしてはこない。ただ、アフロポリネイオへの攻撃をやめるようにと、わざわざ長々と文を書いて訴えてきている。


(本心はどうでしょうか、ね)


 アレッシア兵の訓練の様子を見る時に、他よりも数瞬長く目が留まっており、より黒くなっているのを観察しながら、マシディリは思った。同時に、食糧もそれとなく見せたが多くは反応しなかったこともしっかりと記憶する。


 父の行っている入念な前準備が死後にさらに強大になっているのか、重要性を分かっていないのか。後者だとしても、全員と言うことはあるまい。


「ジャンドゥールは声明を発表しないと言ってきております」


 レグラーレが手紙を持ってきた。

 他にも、カナロイア、ドーリスからの声明も無い。メガロバシラスは、むしろアフロポリネイオが潰れることに賛成していると、国王であるエキシポンスだけでなく宰相や王弟からも密書が来ている。


 結果的に、手紙の量はそれだけで山となった。


「口だけは達者な連中、ですか」


 物資の類も一切ない。兵力も、味方としても敵としても近づいてきていないのだ。

 エリポス諸都市が出してくるのは、本当に口だけ。


 二日後の午後。ドーリスからの使者がやってくる。時間的に、攻撃前最後の使者だ。


「傭兵稼業は我らの外貨獲得手段であり、主力産業である。

 エスピラ・ウェラテヌスとの取り決めに従い、これによって我が方への不利益を生じることが無いことの確認をしに参った」


 ドーリス人が取り出したのは、羊皮紙。

 改ざんの可能な紙だ。だが、マシディリはきちんと父が何と書いたのかを知っている。この羊皮紙に変更が無いことも、見てわかった。


「この文章が一字も変わらない限り、約定は守られるとお約束いたしましょう」

 マシディリは、慇懃に言う。


 使者は表情を微塵も変えず、されど納得したかのように羊皮紙を下げた。

 羊皮紙をしまいかけた使者の腕を、マンティンディが朗らかな笑顔のまま掴む。使者の顔が引きつったのは一瞬だけ。


「言いがかりで反故にしないと思っていただけているのは嬉しいのですが、誰もが分かる形で文字を残していただいた方が良いんじゃないですかね。何せ、アレッシアの神々とエリポスの神々、双方に誓いを立てないといけないでしょう?」


 にか、とマンティンディが笑う。しかし、指はやや白く、相当な力で使者の腕を握っていることは明らかだ。


「では、今、我とマシディリ様とで一つずつ書き写しを作ろう」

 それでも、使者は痛みなどおくびも出さずにそう言い放ってきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ