表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
1417/1589

アフロポリネイオ泥濘戦 Ⅰ

「川を堰き止め、強引に引き込む道筋を作り湿地帯と変えたようです」

 ルカンダニエが長い木の棒を手に言った。棒の下部は、泥に塗れている。


「生活基盤を壊してでも、ですか」


 マシディリも、堤防の中に多くの泥濘が溜まっている様子を見下ろしながら呟いた。今のアフロポリネイオは、いわば天然の要害である。とても多くの人が済むような土地では無い。


「雨の量が増え、乾かすほどに気温の上がらない今だからこその策です。思い切ったことではありますが、根回しなしに出来ることでもありません。

 アフロポリネイオを守る三つの砦も、エリポス人が急造で作れるような出来では無いと断言いたします。


 我らの派遣を予想できる者が居て、我らがクルムクシュを出立した時期を把握できる者がいないとこれだけの準備はできないでしょう。

 マシディリ様。アレッシアの中に、内通者がいるはず。先に彼らの首を並べることを進言いたします」


「そうだね」

 ルカンダニエらしくない、慎重策だ。

 それだけの事態とも言える。


 だが。


「アフロポリネイオまで来て、何もせずに引き返せば怖れを為したと都合よく解釈されてしまうでしょう。情報を制してきたウェラテヌスであるからこそ、アフロポリネイオ周りを把握できていないほどに弱っているとも思われてしまうかとも考えられます」


 アビィティロの言う通り。

 むしろ、マシディリが言いたかったことを代わりに言ってくれているまである。


「これを攻め落とすのは骨が折れます。敵には、旧式スコルピオもあるはずですから。十日で落とすには、幸運が必要ともなりましょう」


 敵方にあるスコルピオはあくまでも旧式。タイリーの設計に近い、もう二十五年前の武器だ。でも、その力は誰もが知っている。


 そして、この状況であれば湿地帯で足を取られた兵を打ち抜くことも、渡れる場所に対してスコルピオの射線を置くことも容易だ。


 なるほど。時間があれば、木材などを用いて湿地帯を埋めつつ動くことも出来ただろう。だが、それをしていれば今度はトーハ族の大軍がエリポスに上陸する。第四軍団との合流が遅れれば、各個撃破される可能性だって高いのだ。


「ルカンダニエ様の言の全てを否定するつもりではありません」

 アビィティロが言い、続ける。


「攻撃に慎重になることには私も賛成ですので。


 ルカンダニエ様とは違いますでしょうが、私の大きな懸念は、アフロポリネイオが宗教的に大事な地であること。下手をすれば、イエロ・テンプルムの惨劇のようになるのではないのか、と、危惧して止みません。そうならないように多くの手紙を送り、伝令をやって根回しもしておりますが、エリポス人の感覚はエリポス人にしか分からないかと思います」


 ルカンダニエの表情が険しくなった。


 当然だ。


 イエロ・テンプルムの惨劇は、カルド島で優勢を築いていたマルテレスを一気に劣勢に追いやった。アイネイエウスと言う知将がいてこその成果ではあるが、エリポスはカルド島よりも圧倒的に人口が多い。単純に怒れる人民の数が恐怖となる。


(指揮官とは、誰よりも情が深く冷淡であり、誰よりも自分に酔いながら自身の決断を疑い、誰よりも利を分配し己の利益に強欲でなくてはならない)


 戦わずしての撤退はありえない。

 アレッシア優勢との状況を作らなければ、一気に蜂起に加わる勢力も増えるだろう。イロリウスの者達が行っている調略も無駄になるかもしれない。


 ならば。


「砦を落としましょう」


 その成果で以て撤退を。

 そこまで考えていたはずなのに、口からその先は出てこなかった。


「歴史のある都市であり、特別な都市です。その都市を水に浸したのは、他ならぬアフロポリネイオ。私達が来る前に害しておりました。文化財の保存に湿気は大敵であるとは、誰もが、特に大図書館を有するマフソレイオは良く知っているはずです。


 そのことをしっかりと喧伝いたしましょう。

 それから、神託を求めます。ジャンドゥールの神殿にお布施もしておきましょう。アレッシアの最高神祇官の名義で」


 やり過ぎか。

 そう考えつつ、足音を耳に捉える。


「ルカンダニエ様!」


 大きな木札を持ってかけて来た兵が、マシディリを見るなり慌てて足を止め、腰を曲げた。構いませんよ、とマシディリはすぐに手を横に振る。


 ルカンダニエに足を向けていた兵が、マシディリに行き先を変えた。手に持っている立て札に書かれているのは、エリポス語だ。その板を読めるように、兵が立て札を地面に突き刺す。


「このような物が、いたるところに立てられて、あるいは沈んでおりました」


 回りくどく書かれているが、要するに『エリポス人への攻撃があったからエリポス人を守るために挙兵した』と言う檄文である。


 なるほど。

 認めることなど、できる訳が無い。


「アレッシア人は死んでも良いとアフロポリネイオは仰せだ」


 感情なく、言い放つ。


 交戦しない理由は無くなった。

 自国の民が他国で殺されても許すなど、奴隷でもするはずが無い。例え、その先が宗教的な要地でも。抗議の意思をはっきりと示さねばならない。


(ディラドグマの痛みも、レステンシアの崩落も山向こうの事柄ですか)


 これが特権意識のなせる業なのか。


 マシディリの拳が、つい、硬くなる。瓦礫の下に踏み潰した人の感触が、勝手に若い母親と幼い子供で蘇った。これを、無駄にしたのか、と。ふつふつと、蓋が沸き踊る。


「できうる限りの回収を、と言って、出来ますか?」

 目の大きさを変えず、マシディリは視線を兵に向けた。

 はっ、と兵の体が一度下がる。


「不規則に溝が掘られており、嵌る者も出ておりますが、見えるところに立てられておりますのでもう幾つかは回収できます」


 少し怪しい断言だ。

 だが、気迫を認め、マシディリは命令を下した。


「カナロイア、ドーリス、ジャンドゥール、メガロバシラス、それからビュザノンテンとアミクス達にも渡しましょう。アフロポリネイオは、戦争をお望みだ」


 怒りを熱意に変え、朗と声を発する。


 アレッシアを守らねばならない。アレッシア人を守らねばならぬ。下に見るのが当然と言う態度に対し、屈してはならないのだ、と。アフロポリネイオ、ひいてはエリポスの言い分を認めることは、先人たちの道を否定することだ。作った道を掘り返し、埋め、低頭して見下してくる者達に渡す行為に他ならないのだ、と。


 マシディリは兵に熱く訴えた。

 必ずやこの攻撃を成功させよ、と。


 第一列。ルカンダニエとアピス。

 第二列。アビィティロとマンティンディ。

 第三列。マシディリとグロブス。

 湿地帯であるため、騎兵は後方待機。


 完全に攻撃に意識を振り切った陣容を発表し、エリポスの神殿からの神託の届かぬうちにマシディリは攻撃を開始した。


 既に、四日浪費している。これ以上は、トーハ族との戦いに間に合わなくなる可能性もあるのだ。


 そのことは、兵も承知していた。

 だからか、標的としていた砦は二時間と保たずに奪い取ることに成功する。


(不完全燃焼、と言ったところでしょうか)


 荒々しく扉を蹴破り、柵を倒す兵を見ながら思う。

 事実、まだ第一列しか直接の戦闘は行っていない。だと言うのに、マシディリ達第三列も砦の近くまで来ることができていた。


「マシディリ様! ルカンダニエ様からの伝言です!」

 軽装鎧の兵が、背中にべったりと泥を跳ねながら駆け寄ってきた。


「敵兵が撤退を開始。彼らを追跡すれば、アフロポリネイオまでの道が分かります。この機を逃さずに追撃を行うべき、と進言いたします。

 そう、仰せでした!」


 一理ある。

 マシディリは、目を鋭くした。


 第一列もまだまだ元気。第二列、第三列は無傷。

 雪崩れ込まないまでも道を確保すれば、講和交渉も有利に運ぶだろう。それこそ、砦を奪うだけよりは何倍も良い。


 砦だけならば、トーハ族との戦い次第では向こうに足元を見られてしまうのだ。


 此処で、どちらが優位にあるのかをはっきりとさせる必要がある。そうすれば、挑発的な態度も収まるはずだ。高慢な奴らの鼻を明かせるのも、兵の自信となる。


 何より、宗教的な色の強いアフロポリネイオを打ち破ることができれば、エリポス人の心を折れるのだ。以後は、力を見せ続ける必要は無い。威光で以て治めることも容易となる。


 神は、どちらに宿るのか。

 それが示せれば、完全なる勝利である。


「進言を容れます。必ずや、勝利を」

「はっ!」


 兵が喜び勇んで駆け戻る。

 マシディリは、アルビタに言って追撃の合図を打ち上げた。


 逃げるアフロポリネイオ兵に対して、追撃が始まる。重装歩兵もいるが、ほとんどが革の鎧の兵も居て、子供、老人も混ざっているのがアフロポリネイオ兵だ。


 ドーリス人傭兵が詰めている砦も、発見済み。もしそこに固まっているのなら、この兵力も頷けるのだ。


 何せ、マシディリ達が攻めた砦は最も山に近く、湿地帯にした場所の外には大きな石が転がされており、湿地帯も一番水はけの悪い場所。


 兵数が少ないのであれば、弱兵を配置するのも頷ける砦だ。


 だからだろう。

 油断があったのは、確か。



「御注進!」

 第二列の兵が叫びながら駆け寄ってくる。



「先鋒部隊、敵の伏兵にあいました!」



「は?」


「スコルピオらしき対人兵器も備えられ、多くの投石も受けております。被害甚大でありますが、湿地に足を取られ、救援もままなりません!」


 慌てて、砦の物見台へ。

 瞬間、物見台が大きく揺れる。投石だ。後ろ。山から。


 マシディリは傾いた物見台で手すりを掴むと、後ろを見るのも早々に前方、味方を確認した。


「図られた」


 唇を噛む。

 先の一撃で物見台が崩れ切らなかったのは、神の恩寵か、それとも長いこと旧式の投石機を伏せていたことによるたわみなどによるズレか。


 分かったことは、逃げた兵はアフロポリネイオ市街への道を行っていた訳では無いこと。


 彼らは、伏兵のいる地点まで逃げ出していただけ。


 第三軍団は、まんまと釣られたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ