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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
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狐豹 Ⅰ

 アルモニアとの会談後、マシディリは最高神祇官選挙への出馬を宣言する。


 午後のことだ。昼食の時間も過ぎ去り、方々で晩餐会の誘いが佳境を迎え、不意にご相伴を預かった者達が着ていく物を用意している時間。主催も人数をほぼ確定させ、足りない物は無いかとやきもきしている頃。


 注目度の高いこととはいえ、即座に公的な発言をするには難しい瞬間に、マシディリは表明したのである。


 これを受け、どう動くかは今宵の晩餐会や続く酒宴の主要な話題になり得るとは、誰もが思ったことだ。


 だが、事態は『そんな想定など遅い』と言わんばかりに即座に動く。



「最高神祇官に相応しいのは、マシディリ・ウェラテヌスを置いて他におりません」


 コクウィウムが、酒と豊穣の神の神殿でそう宣言し、母親と兄弟を連れてセルクラウス邸に駆け込んだのである。



 マシディリがこの報告を聞いたのは、予定より遅く帰ってきたことをリクレスとヘリアンテに詰められていた時。油断していなかったと言えば、嘘になる。


「ぁあああぁぁああぁああ!」

「はしたないからやめなさい」


 背中を地面に押し付け、その場でぐるぐると回るヘリアンテを叱りつつ、しゃがみこんで愛娘を抱き上げようと試みる。意外にもヘリアンテは簡単に抱き上げられてくれたが、今度はがっしりと衣服を掴まれてしまった。よだれが肩を濡らしてもいる。


(着替え、は、まあ良いとして)

 ヘリアンテの背をなだめるようにやさしく叩きながら、マシディリは酒蔵を開けて中庭に運び出すようにと指示を出した。


「ボダートとスキエンティを始めとする今朝やってきた再編第四軍団の皆さんを呼んでください。それから、スペランツァに使者を。晩餐会後に、ささやかな酒宴を行うけど、こないかい? とね」


 無論、全て漏れてしまって構わない。


 ウェラテヌスは酒造りも行っているのだ。


 酒宴の準備を整えていなくとも、良質な酒はアレッシアのどこよりもある。父と母がりんご酒以外をあまり飲まなかっただけで、種数も豊富。タヴォラドの節酒令により打撃を受ける酒造家が多い中で、しっかりと力を蓄え、職を失った醸造家を受け入れ、拡大してもいた。


 さらには、中庭も常に手入れが行き届き、元々見栄を張った家財を飾る酒宴も開かないため、さほど大きく格落ちした酒宴にはならないのである。


 一番辛かったことは、マシディリを放そうとしないヘリアンテを叱り、手を放させること。

 むくれっ面になったヘリアンテをなだめられたのは、「ごめんなさいしよ」と妹に声をかけたソルディアンナのおかげ。


(世の中の親はすごい)


 それぞれの方向に全力疾走する末の二人に、しっかりしているのにたまに思いもよらないところでぽやぽやしているソルディアンナを捕まえ、ラエテルには勉強と武芸の稽古をつけながら、マシディリはそう思った。


 ただし、動いているのは家の中だけでは無い。


 翌日にはナレティクス、ニベヌレスの順でマシディリ支持が表明され、パラティゾも同じ旨を発する。他にも多くの者が続いた。


 非公式ながらスーペルが「最もふさわしい人物がようやく出馬した」とこぼしたのを契機に、ティツィアーノが「軍団兵の支持が誰にあるかは明らかである」とマシディリの支持を公にする。


 スーペルは、もちろんタルキウスの有力者。当主の父親と言うアレッシアに於いてほぼ初めての立場が与える影響力は大きい。ティツィアーノの発言もケーランとミラブルムの両名の支持がマシディリに向いていると思わせるには十分すぎるモノ。そして、ケーランとミラブルムはスーペルよりも当主ルカッチャーノに近い人物だ。


 ルカッチャーノがだんまりを決め込んでいても、問題は無い。


 むしろ、ルカッチャーノとしてもだんまりで問題無いと見ているのだろう。


 情勢が、大きく変わる。

 マシディリと言う有力候補と、その他の泡沫候補。


 そこまでなったのは、マシディリの力だけでは無い。マシディリの出馬表明が無ければ最有力候補とまで言われていたトリンクイタが、マシディリの応援を始めたからでもある。


 自分に投票するな。マシディリに入れろ。

 そう訴え始めたのだ。


(そう来ましたか)


 ある種、想定内。


 閑散としたディアクロス邸も、予想通りだ。


 その中に置いてある新たな財の類は、人によっては侘しい老人のせめてもの慰めに映るのだろうか。

 無論、マシディリには違う。あちらこちらに繋がりがあるのだ、と訴えるための財物の数々だ。そして、マシディリの記憶力を信じて行っている、対マシディリの策である。


「やあ、マシディリ君。わざわざ来てもらって悪いね」


 奥、たった一人の奴隷の案内のもと、進んだ先の書斎でトリンクイタが立ち上がった。

 後ろにある劇場の模型は、新しい物もある。劇場だけではなく、戦車競技場の模型もあった。その中の一つ、大型の物は作成途中のようである。


「大事な話があるのは、お互い様ですから」


 笑みを崩さずにマシディリは言う。

 トリンクイタの服装はきっちりと着こなされている。部屋にごみもほとんど見当たらない。


「そうだね。どうやら、私達の間には誤解があるようだしね」

 トリンクイタが片目を閉じる。


 マシディリは何も言わず、入ってきた表情のまま前の椅子を引き、深く腰掛けた。案内してくれた奴隷が、茶を二つ持ってくる。お菓子として、はちみつと胡椒、魚醤のかけられたチーズも出てきた。茶は、すぐに一口含み、置き場を変える。


「本音は朗らかなモノでは無いのではありませんか?」


 チーズの入った容器も横に避ける。

 マシディリとトリンクイタを繋ぐ直線上に残っているのは、トリンクイタ側の茶とチーズだ。


「早速本題かい? まあ、マシディリ君は忙しいからね」


 アミクス君を始めとするイロリウスの面々をエリポスに動かしたそうじゃないか。狙いはハグルラーク残党の懐柔かい? そう言えば、東方諸部族の面々にも手を打っていたね。


 何も気にすることの無いようにトリンクイタがそう続けながら、チーズの容器を横に動かした。これで、マシディリとの間にあるのはトリンクイタの茶だけ。その茶もどけるという考えは、トリンクイタには無いようだ。気づいていないのだろう。マシディリが、会談直後に茶を避けたことに。


「ティツィアーノ君と第四軍団の出立も近いそうじゃないか」


 第四軍団の高官には、トリンクイタの子であるコクウィウムもいる。

 故の発言であり、探りであろう。


「全てはアレッシアのために。そうであるならば、当然、優先順位は内部の争いではなく外敵になります。第四軍団だけではなく、第三軍団もまもなくディファ・マルティーマまで送りますよ」


 アレッシアの選挙戦は、相手を貶すことも普通に行われている。

 また、泡沫候補と呼ばれようとも、最高神祇官選挙に出る者達はいずれも実力者だ。


 彼らの名誉の担保を条件に、マシディリは軍団への臨時給金を手に入れている。その財は、当然、春の大攻勢を変更せざるを得ないことと軍事命令権保有者であるマシディリが苦難を共にできなかった謝罪として兵に配る手筈だ。


 無論、既に帰っているフィルノルド隊などには配ることは無い。あくまでもマシディリに付き従えば益があると思わせるためだけの財である。



「そうだな。世の中は建国五門が一丸となってマシディリ君を応援していると思っている。この上、神殿勢力もエスピラ君からの引継ぎを期待しており、兵団の支えもあれば完璧だ。


 だが、しかし、実情としてはタルキウスはマシディリ君の味方では無いのではないかな?


 味方に見せているのはティツィアーノ君の力があってこそ。ティツィアーノ君の発言を、人々はタルキウスも味方したと捉えた訳だ。


 その強力な味方がいなくなれば、マシディリ君も心細いところがあるだろう? そのために、私が協力しようと言っているだけだよ。可愛い甥のためにね」



 トリンクイタが人受けの好い笑みを浮かべた。

 声質も滑らかでさわりの良いモノである。


 それでも、マシディリは表情筋を微塵も動かさなかった。



「私の返答は街頭での発言と変わりませんよ、トリンクイタ様。


 自ら志願し多くの者を巻き込んでおきながら、誰よりも早く逃げるどころか敵を支援する。そのような方に責任のある立場は相応しくありません。何かを為せるはずもありません。応援など、疫病神も一緒。


 確かに、戦場では素早い撤退の決断も必要でしょう。ですが、責任を持った決断により下しているのです。トリンクイタ様の決断は、そうではありません。分かり切っていたことに対して無策であっただけ。そして、支持者の声を無視している独善的な行動です。


 私に投票するようにとの呼びかけ?

 不要です。おやめください。タルキウスの真相を脅しの材料にしたいのであれば、どうぞ公表ください。


 アレッシアは人質を認めない。アレッシアは剣でお返しする。


 それだけは、不変ですから。

 ジャンドゥールでも変事が起きれば、二人は死んでいましたよ」


 それを知っているからこそ、ジャンドゥールはラエテルとセアデラを丁重に送り届けて来た面もあるのだ。


 仮に二人に傷がつくか命が奪われれば、それを口実に襲ってくると考えて。

 捕えても、交渉など意味をなさないのだとも、知っていて。

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