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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
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ナンバーツー Ⅰ

「エスピラ様は、幼い時のマシディリ様を前に出し過ぎたのかもしれませんね」

 パピルス紙の確認を進めながら、少しだけ行動の遅くなったアルモニアが言う。


「出し過ぎた、とは、どのような意味でしょうか」

 マシディリはさほどドライフルーツを入れなかった茶を口に含んだ。

 好きな味だ。過度な飾り気など無く、ただあと口にすっきりとした甘みがほのかに香る。


「幼子の印象が強すぎて、今でも残ってしまっているのです。ですから、あんな若造に、と言う考えに至ってしまうのでしょう」


 アルモニアが表情をやわらかくする。

 見ていたパピルス紙も、机の上に置いた。


「悪いことばかりではありませんよ。

 そのように思ってしまうことまでは良くあることだとしましても、行動に移してしまう者に大事なところは任せにくいですから。


 過去の事例と言うのは判断材料として非常に大事だと思っております。ですが、幼子の時の話が現在や将来に勝るとは思えません。過去の比重が強すぎるだけでも合理的な判断が下せるとは言えませんのに、ましてや幼子の時のことなど。


 そう言った者を排除したいと言うエスピラ様の御考えもあったのかもしれませんね」


 マシディリも、腹からの息を長くやさしく吐き切った。

 目を、横へ。アルモニアの左。何も無い方向に。


(父上らしい)

 多分、マシディリを見せたのは我が子を見せたいと言う心が優先されているのだろうが、それでも利益に繋げるところも、利益に繋がっていると考えさせるところも。


「マシディリ様の提案通りの人事配置でやってみましょう」


 アルモニアが再びパピルス紙に触れた音がした。

 その音で、マシディリも顔を戻す。


「お願いいたします」


「私の労力はそこまで必要ありませんよ。マシディリ様の提案された配置が見事なのです。多くの者はトーハ族との戦いになると思った瞬間、腰が引けておりますからね。

 難易度の高い草案も、策の実行に於いて難易度の高いトーハ族との戦闘もマシディリ様が請け負う以上、私の労力は労力とは言いません」


 アルモニアが好々爺の表情で首を横に振った。

 マシディリも口角を上げつつ、小さく頭を下に動かす。


「何を言われますか。アルモニア様のお力があってこそ。最高神祇官選挙につきましても、勝手にアルモニア様のお力をお借りすることになってしまいましたし」


「幾らでもお使いください。私は、エスピラ様に賭けたのです。そして、それに勝ちました。勝ち続けるためには、なおもウェラテヌスに賭け続けましょう」


 笑みを、深める。

 エリポス遠征に於いて止められてもなお決戦に臨んだ気質は、このようなところからきているのだろう。歳を重ねてもなお老いない闘志は、本当に頼もしいものだ。


「しかし、本当によろしいのですね」

 アルモニアの声が、さらに真剣になる。


「トリンクイタ様のことを支持している者も、目の届かない場所に行くことになります。しかも、離れるのは最高神祇官選挙に票田としても票田を動かす者としてもほとんど影響の無い者ばかり。これでは、力を付けるだけではありませんか?」


「構いませんよ」

「かしこまりました」


 アルモニアがパピルス紙を手に立ち上がる。

 そのまま誰もいない書斎の上座に行き、綺麗に置いた。書斎の資料の並べ方も、まとめ方も人柄が現れているかのようにきっちりとしている。全てが直角と水平だ。


 エスピラやマシディリは、採りやすさを重視して半ば円形になることも多いと言うのに、見た目から綺麗に整えられているのである。


「タルキウスからは、何かアルモニア様の方に漏れ聞こえていませんか?」

「アナスト様を活躍させてやりたいと言う親心があるようです」


 アルモニアがゆったりと言いながら戻ってくる。座る際も、手を着きながら、さらにゆっくりとした動作になっていた。


「ケーラン様とミラブルム様はティツィアーノ様に気に入られたようですからね」


 東方遠征時はクイリッタとティベルディードがいた場所にそのまま収まった形であり、単純な戦力で言えば増強されている。

 だからこそ、最初は並んでいたはずの三人に差がついたのが心苦しいのだろう。


 あるいは。

「こちらが、分断作戦を取っていると、思われたりしてしまったりしたでしょうか」


「配置を決めたのはタルキウスです。ルカッチャーノ様やスーペル様、件の三名もそのようなことは考えておりませんよ」


「北方動乱を鎮めるぐらいなら、ルカッチャーノ様に任せても構わないとは思ってしまうのですが、ウェラテヌスにとって味方となってくださっているのはジャンパオロ様。ナレティクスの権限を侵すような決断は許すわけにはいきませんでした」


「ええ。そうでしょうとも。だからこそ、皆がウェラテヌスのためにと思うのです」


「クイリッタは優秀な弟です。父上の生前から、父上の意図と私の意図、両方をくみ取り間に入ってくれることも多くありました。軍事的にも高位の軍団長として相応しい実力があります。

 ですが、イエネーオスはたたき上げの勇将。スィーパスも、相手が悪かっただけで己の武勇で軍団を立て直せる逸材です。

 やはり、武に優れるジャンパオロ様を傍から離すのは些か、いえ、過保護でしょうか」


 ぽつり、ぽつり、と。

 気分としてはぽつりぽつりだが、声としては非常にしっかりと漏らしていく。

 アルモニアは、適度に相槌を打ちながら聞き続けてくれていた。


「クイリッタ様も欠けてはならない人物です。それに、クイリッタ様自身がご兄弟と比べ戦術面に劣るとの認識があれば、武勇に長けた者が傍にいるのを良しとするどころかマシディリ様からの信頼の証だと認識しているのではありませんか?」


「そうなると、タルキウスの北方干渉を妨げる理由が弱くなります。ですが、トーハ族を相手取る場合にティツィアーノ様は欠かせません。フィルノルド様を用いれば不和不平が生じてしまうのも必然。

 望み通り、エリポスにルカッチャーノ様を派遣するべきでしょうか」


 今回は、アルモニアが一段と深く頷いた。


「マシディリ様の言われることもご尤もであり、マシディリ様が後方で全軍の統括に当たると言う手もございます。エスピラ様も、マシディリ様の前に出過ぎる癖を不安視されておりましたから、良い手にもなりましょう。


 ですが、エスピラ様は同時に勇猛なマシディリ様を誇りに思っておりました。誰よりもアレッシア人らしい、と。騎兵を用いるのも最近の戦闘には必要であるならば、兵より先に逃げることは無いと示すのもまた難しくはなってきております。


 それらの積み重ねもあり、マシディリ様は実に多くの兵から信任を得ることができました。

 古来より、勢いが落ちた者の周りには人が少なくなる者です。大きな権勢を握っていた者も、英雄と呼ばれる栄誉に浸っていた者も、落ちぶれれば従う者は少なくなり、ついぞ数人にまで落ち込む例は枚挙に暇がありません。


 ですが、マシディリ様であれば第三軍団は生きている限りマシディリ様に付き従い、他の者も多くが付き従うでしょう。


 己を信じてください。


 ルカッチャーノ様を、いえ、他の者をエリポスに派遣できない理由があるのなら、同情や罪悪感で曲げるべきではありません。もし、それでもタルキウスに対して配慮を迷われるのであれば、そう言う時こそ私のような者の出番となります。


 エスピラ様の四足などと言う大それた評価を頂いた以上、それに見合う活躍はしなければならぬと常々思い改め、冷水にて身を清める思いでおりますから」


「頼もしいですね」

 ふー、と上を向いた息を吐く。


「すみません。いつもは、べルティーナぐらいにしか言っていなかったのですが」


「おお。それはそれは。最愛の奥方の次に包容力があると思っていただけているのなら、嬉しい限りです。

 何せ、私にとってもマシディリ様は『あの幼子が』と言う存在。

 国家安康のための最重要人物であり、上に立つ者としてこれ以上ないと言う信頼を持つとともに、一人の人間としての悩みもまるで我が子のように見守る心持ちでもあります」


 大げさですね、とマシディリは淡く笑った。

 応じるように、外から変な笛の音が鳴り響く。

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