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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十五章
1403/1408

この釣果は辛いね

 ラドイスト挙兵の報を受け、マシディリは即座に帰国の途についた。

 会談は打ち切る。問題無い。それで良い。必要な交渉は既に終わっていたのだ。


 残るはマフソレイオに於ける軍事高官の地位など、マシディリにとっては要らないモノ。

 確かに、マシディリの敗北とアレッシアでは言われかねないモノではある。さりとて、マシディリは強く欲しいとは思わないし、主張できる根拠もエスピラの遺言の解釈だけ。


 そう。マシディリからしてみれば、どちらも得しない交渉事、厄介事しか残っていなかったのだ。それは、マフソレイオ、もといズィミナソフィア四世から見ても同じだろうとマシディリは思っている。


 何よりも大事なのは、豊富な物資の移動先だ。


 普通ならば優先すべきはラドイストでの戦闘、即ちエリポス、アレッシアから見て東の方向。だが、マシディリは西に送った。


 半島外で越冬した者達に、豊富な布と食事、採れたての食材を届けたのである。それも、大量に送り届けた。ただ送るだけでは無い。冬営地一つ一つに手紙を書いたのだ。無論、内容も違う。聞いた限りの情報でその地での出来事をほのめかし、褒めることに終始した手紙だ。


 父の葬式があり、先に帰還した。

 だが、心は共にある。


 そう伝えるための手紙であり、冬営地での越冬と言う難事業の苦楽を共にできなかったことへの贖罪だ。


 加えて、マシディリはすぐにアレッシアには入らず、まずカルド島に入った。カルド島からもレモンなどの乾燥果実と上質な塩をかき集め、これらも軍団へ。


 値の張る物達だ。でも、カルド島には『エスピラの遺言に従って』財を配った際に便宜を図った者達がいる。彼らが融通してくれ、安く仕入れることが出来たのだ。


 無論、東への備えも忘れない。

 そのためのカルド島滞在でもある。


 まずはディティキ、トラペザ、アントンのエリポス西岸地域に対して物資提供を命じた。次いで、その地でのアレッシア人から募兵も行う。


 彼の地は、アレッシアがエリポスに築いた橋頭保であり、父のエリポス遠征でもエリポスに於ける最初の戦闘が行われた地でもあるのだ。その意味合いは深く、二十五年に及ぶ実効支配は現地のアレッシア人も増やす結果になっている。


 さらに、ディファ・マルティーマでもウェラテヌスの権限を使い部隊の作成を開始した。こちらには、ピラストロを送り込み、よりマシディリ直接と言う色を濃くしている。


 忘れてはいけないのは各国への手紙だ。


 特にアグニッシモとアビィティロを使者から引き抜いたメガロバシラスには言葉を尽くし、公的な手紙の他に現国王エキシポンスや現役宰相、果ては軍人に至るまで私的な手紙を送る徹底ぶりである。


 そして、これらを差配するにはアレッシアよりもカルド島の方が都合が良い。


 海洋に浮かぶ島は、全体がウェラテヌスの被庇護者化しているとも言える上に材木も豊富。穀物も存分にあり、兵の徴募に関しても元老院から認められている地。


 いわば、元老院側が手出しできない場所で、なおかつエリポスにも半島外に残してきた軍団にも連絡が取りやすい場所だ。少し目を離すと父のいない権力の隙間に入り込もうとしてくる者達がいないのも良い。


 何より、アビィティロの考えた最高神祇官選挙の策にとっても非常に都合が良かった。


 公募が始まろうとしているのに、マシディリがアレッシアに戻ろうしていないように見えるのだ。焦る者は焦るし、この隙にと動く者も多い。トリンクイタの動きが鈍いのはあまりおいしくは無いが、見抜かれることまで含めて想定内である。



「此処は良いね」


 その合間を縫って釣り糸を垂らしながら、マシディリはソリエンス・オピーマに会いに来ていた。


「釣れろ。釣れろ。どんどん釣れろ。うおおおお」


 真顔で大した抑揚も無く、声も張り上げずにソリエンスが言う。

 言葉の割に、手は動かず、立ち姿はまるで木のようであった。


「待つ時間は嫌いかい?」

「何をおっしゃるしゃるるるる。待つ時間こそ釣りの醍醐味。そうではありませんか?」


 マシディリは口を開け、大きく笑った。

 しゃるるるる、と後ろでアルビタが真似している。るるる、とレグラーレがあきれ顔がありありと想像できる声で返していた。


「待つ時間は嫌いじゃないよ。何事も、すぐに成果が出る訳ではないからね。即座の成果を求めない方が良いこともあるし。そうでしょう?」


「おや。おやおやおやおや。おやおやおや」


 最初は普通の「おや」。次は山を登り、最後に駆け足を止めるように下っていく。

 そんなソリエンスの独特の世界は、マシディリも好ましく思っているのだ。


「マシディリ様は即座の成果を求めたのでは?」


「ラドイストかい? あれは、反乱を小さい内に摘み取っておきたかったからね。できれば、私が予測していたように思われた方が続く行動を抑制できるとも思っているよ」


「エスピラ様のように。そのようにどのように?」


「父上のようにと行きたかったけど、中々、難しいね。誰も彼もが無条件に私が父上の全てを受け継ぐことを容認しているわけじゃないから。

 現に、ウェラテヌスの力としては後退を余儀なくされているよ。軍事命令権は維持できても、内政の権限を大きく制限されてしまえば後方支援が足りなくなる。足りない分をカルド島やディファ・マルティーマで補えば、いずれはやせ細ってくる。蓄え続けるのなら、ゆっくりでも他の土地は力を付けていくのにね」


「それでもやるのがマシディリ様。お金配りおじさん。そろそろおじさん? まだお兄さん?」

「気持ちはいつまでも若くいたいね」


「体は痛いね?」

「体は元気だよ」


「心が辛いね。顔は暗いね。この釣果ではからいね」

「御母堂にどやされてしまいますか?」


「それはお優しい! 母上は「素手で捕まえて来い」って放り投げてきます。いえ。如何にも父上が憧れそうな聡明なエリポス人女性然とした振る舞いしかマシディリ様には見せませんけど」


 ふふ、と笑う。

 ソリエンスは、確かに父といる時間は短かった。そして、その時間は永遠に失われてしまっている。されど、母とは随分と親密な時間を積み重ねられているのだ。


 羨ましくもあり、後ろめたくもあり。


 それ以上、何も発する言葉が見当たらない。


「フィチリタがソリエンスの義姉になることについて、何か仰られていたかい?」

 それこそ、別の話題にするぐらいしか。


「直接聞いてこいと、それこそ言うと思い、ああ、頭が、こめかみが! 思い出し痛みががが」


 ふざけた調子だが、同時に悪しくは思っていないだろうとも思えた。

 やがて、ひとしきりの悶絶演技を終えたソリエンスが息も絶え絶えに顔を上げる。


「母上が、破格の厚遇だ、と言っていましたよ。意図はオピーマ派の取り込み。ただし、マシディリ様が距離を置くだけでなく、クイリッタ様やスペランツァ様も近づけないことで露骨なモノにはならないようにしている。しかも、近づくのがアグニッシモ様ならば頭筋肉、失礼、女体より剣に興奮、失敬、武人には嬉しい話だろうと言ってしました。


 あの童貞は今も女性を口説く道程にいますか? ってのは、まあ、本題で無いとして。


 海運の取り込みを狙っているのと、マシディリ様のの苦境に於いて日和見を貫くか協力するかでその後の立ち位置が大きく変わるのでは無いかと母上は見立てておりました。僕もそう思います」


 最後だけやけに早口で付け足して、ふんす、とソリエンスが糸を引っ張った。

 魚は、ついていない。


「心配しなくても、アグニッシモの結婚はまだ何も決まっていないし考えてもいないよ」

 代わりに、とでも言うべき間でマシディリの釣り竿が揺れる。


「それは結構。これはかけっこ。追って追われて終わらない。

 これからも、代替わりの度に力を示すおつもりですか?」


 ソリエンスに耳を集中しながらも、竿を上げる。途中で、魚を何度か水面に出して弱らせながら。じっくりと。


「代替わりの度に、か」

 共和制なら、そもそも代替わりなど無い。


(本当に?)


 祖父、タイリーの後は、権力闘争では無かったのか。


 では粛清か。代替わりの度に? どこまでを?


 そうして優秀な人材を次々と失っていった国家なら、山ほどある。

 ならば反乱した者も含めて一気に許すのか。粛清なく。果たして、その結末がイフェメラ・イロリウスの二の舞では無いと誰が言いきれる。


「よっ! お見事!」


 ソリエンスが棒読みで叫ぶ。

 釣れた魚は、一人で食べるには大きく、分けるには小さい魚であった。

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