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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
1402/1589

金色の

 マシディリは、ペリースを掴むと鼻に近づけた。


 全く分からない。


 遊覧船から漂う香りが強すぎて、どこまで付着しているか、全然分からないのだ。染みつくのかどうかすら理解できていない。


「あら。あなたの妻も一人前に嫉妬するようになったのね」


 匂いの張本人、もとい今回の遊覧の企画人であるズィミナソフィア四世が楽しそうに肩を揺らす。決して口元は見せない。そのために、今日は扇子を口元で広げていた。


「疑われる要素を無くしたいだけですよ。私が、べルティーナにそう求めてしまっていますから」


「お熱いこと」

「正直、会えない今が辛いのです。と言いましても、カナロイアに足を運べるのはもう少し先になりそうですが」


 マフソレイオからの物資供給は確約されたのだ。

 軍団としては、後顧の憂いなく大攻勢に打って出ることができる。六万の大軍を動かしても、食糧が尽きる可能性は限りなく零に近くなった。


 そして、早速動き始めてもいる。

 まずは、再びの海上覇権の確立。その後、オピーマの船団を用いて一気に物資の輸送を進めるのだ。現段階では、ひとまず活きの良い食糧を冬営をした兵に渡していくだけ。


 なお、指示ついでに漏れて来た情報では、マシディリが最高神祇官選挙に出ないのでは、と焦り始めた者がいるらしい。


(どうなってくるでしょうかね)

 果たして、何名が、どれだけの集団がマシディリに最高神祇官選挙への出馬を求めて来てくれるか。それが、勝負の分かれ目だ。


「いきましょうか」

 ズィミナソフィアの言葉と共に、船が動き出す。


 遊覧の旅。表向きは歓迎で、裏としてはマフソレイオを見せること。マシディリ達も正確に理解することが目的の旅路。そして、しばらくはアレッシア本国から情報を切り離される少しだけ危険な旅。


 そこに向け、船が出航した。


 大きな川を、ゆっくりと。さかのぼっていく。遊覧船の数々は豪華な船団だ。兵と言う無粋な存在も、きらびやかな鎧と装飾を纏っており、歌劇団のようでもある。それでいて立派な筋肉があり、船の上でも真っ直ぐに立っているのだから実力も伴っているようだ。


 楽師も多く、音楽は絶えない。香も焚かれ続け、マフソレイオの国力をこれでもかと誇示している。薄い布は風になびき、天女の舞のようでもあった。


 ただし、あくまでもこれらは財があれば出来ること。

 クイリッタなどは成金趣味だとマシディリの耳元で囁くようなことである。


 そのクイリッタも、もちろんマシディリも黙らせたのは、流域の穀倉地帯。収穫期を迎えようとして緑がかった金色の絨毯を作っている小麦の数々。いや、三層構造だ。上は金が中心、その下が緑で、根本は再び金色。実感として現れる、マフソレイオだけではなく広大になったアレッシアを賄え切れるだけの穀物だ。


 見渡す限り、どこまでも。どこまでも。

 先の交渉に於いて奴隷を求められた理由も良く分かる畑が、広々と。


「驚きましたか?」


 ズィミナソフィアが、船の縁に立つ。

 いや、小麦の絨毯の上か。あるいは、頭を垂れる小麦を従える女王か。


「これが、マフソレイオ。お父様が大事にした力。そして、あなたの手にある何よりも強大な力。此処一つで、文字通り世界が変わるわ」


 自信満々に、ズィミナソフィアが口角を持ち上げる。


 背筋を伸ばすような声では無く、奥深く、手を伸ばしてもどこまでも奥にあるかのような存在感だ。


 同時に、否が応でも理解できてしまう。


 気分一つだ。

 アレッシアが戦争を出来るかどうかも。いや、飢えずに済むかどうかも、マフソレイオの気分一つで変わってしまう。


(なる、ほど)


 内心で冷や汗を垂らし、背中も冷たくしながら思う。

 これは、父が農業改革を急いだわけだ、と。この力が、手元にある内は良い。敵に回った瞬間、アレッシアは瓦解する。


 ただし、それはマフソレイオも同じ。戦力を用いれば、いずれはアレッシアが勝てる可能性は高い。


 が、誰も得しない戦いだ。

 そのことを理解させ、誰よりもマフソレイオの価値を知る者をアレッシアの支配者に据える。操る意図が薄くとも、確実に、アレッシアの内政に干渉できてしまう存在だ。


 人民の腹とは、それだけ、大きなモノである。


 恐ろしい。


 ただ、ひたすらに。ズィミナソフィア四世が握っているのが良いのかどうかも分からなくなってくる。この食糧庫の確保は、あらゆる国への内政干渉も可能としているのだ。


 マフソレイオが積極的にならずとも、どこの国に対しても要求を突きつけることができてしまう。


「兄上」

 クイリッタが小声で近づいてきたのは、マフソレイオの者が離れた時。聞き耳にも最大の警戒を払っているのが良く分かった。


「これだけの力が、他国にあるのは危険です」

「逆だよ、クイリッタ」


 話しは終わっていないだろうが、マシディリはすぐに否定した。唇は動かさない。顔も小麦畑に対する驚愕を浮かべたまま。視線も、畑に。


「これだけの力を、アレッシアの権力争いに巻き込む方が危険だ。力関係が一瞬で変わる。しかも、内部に抱えてしまえば内乱だ。外にあるのなら、まだ、アレッシアで団結も望める。でも、内にした瞬間に最高権力者のための強固で大きな土台になってしまうよ」


 両陛下がアレッシアとの良好な関係を望んでいるのなら、そのままの方が何十倍、何百倍も良い。


 完璧だ。


 マフソレイオとしても、この畑の価値を最も理解できる者が指導者で会った方が都合が良い。

 そうである内ならば、アレッシアとマフソレイオは良好な関係が続くのだから。



「マシディリ様!」

 遊覧の旅の終わり。

 停泊中の川岸に、アレッシア人が駆け込んで来た。


「ラドイストがアレッシア人旅行者を殺害。蜂起いたしました」


 口を閉じ、眼光を鋭くする。


 ラドイスト。

 アカンティオン同盟に加わっていたこともある都市であり、父のエリポス懲罰戦争に於いては即座に降伏してきた都市だ。


 大きな都市では無い。ただ、カナロイアに至る道の一つに隣接している。


(今回は、違うはず)

 流石に旅程を手紙に記はしないが、べルティーナから変更するような旨の連絡は無かったはずだ。


「他の都市は?」


「イペロス・タラッティアに近い都市が、怪しいと。ハグルラークの名を未だに使っている者達が集められつつあるとの情報も入ってきております」


 イペロス・タラッティアも東方支配の要だ。

 何より、父がハグルラークから改称した植民都市は、今が一番価値が高い。政略・戦略的価値を上回る付加価値がついている。


 だが、当然、スィーパスもといイエネーオスの策略の可能性もある。


「ラドイスト単体では、アレッシアに勝つことなど夢のまた夢」

 郎、と呟き、堂々と伝令を見下ろす。



「軍事命令権保有者として指図します。


 スペランツァに伝令を。先遣隊合流後に帰還した兵の内、回復し功を求める者を中心に千二百の兵団を作り、すぐにエリポスに送ってください。

 アビィティロはこの部隊を受け取り、ラドイストの攻略を。アグニッシモは騎兵隊長として従うように。アグニッシモ騎兵の中核も送ります。

 それから、ビュザノンテンにも守備兵の内八百を送り出すように、と。残りの兵もすぐに戦闘準備を。事が起これば、初動で後れを取らないでください」


 今、メガロバシラスにはアビィティロとアグニッシモがいる。

 ラドイストの鎮圧だけならば難儀することは万が一にも無い。


(問題は)

 単体か、エリポス全土に波及するか、他の者が隠れているか。


 ふふ、と笑い声が風に乗ってきた。


「お手並み拝見、と行かせてもらうわ」


 艶やかに笑ったのは、ズィミナソフィア四世。

 魔女め、とクイリッタが呟く。


(確かに厄介なことこの上ないですが)

 完全な敵にはなり得ない。あくまでも、マシディリが優秀であるとズィミナソフィア四世が思っている間は。


「ごゆっくり、ご覧ください」


 そう言うと、マシディリは「まずは最高神祇官選挙です」とクイリッタにだけ聞こえる声量で風に乗せたのだった。

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