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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
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姉だもの

 足音が止まる。

 護衛は三人のようだ。アルビタとレグラーレが、動いたのも気配で感じ取れる。


「今日は此処なのね」

 そして、二人を気にしないズィミナソフィア四世の声。


「ええ。やはり、知識の貯蔵量で言えばマフソレイオの国立図書館に勝る場所はありませんから」


 ズィミナソフィアが手を上げる。

 それだけで、付きの者が下がっていった。他の図書館利用者も徐々に引き上げていく。


 マシディリが頷けば、レグラーレも離れた。

 アルビタは、最後の一人となるまでマシディリの傍にいる。


「クイリッタは?」

「娼館に行っていますよ」


 遊びではなく、情報収集のためであるが。

 同時に、ヘステイラの考えを探るためでもあるのだろう。あの女は、マフソレイオの高級娼婦であったのだから。


「そう」


 ズィミナソフィアが再び動き出す。

 長机、マシディリと三つ椅子を開けた場所に。


 やがて、利用者がいなくなるとアルビタも離れた。ただし、アルビタとレグラーレ、そしてズィミナソフィアの護衛は入り口で待機している。


 封鎖箇所も、図書館全域では無い。一部だ。マシディリが父に連れられてきた時に、父と一緒に本を読んだ部屋のみである。


 故に、大きな声は多くの人に届く場所。無論、静かな場所であるので大きな声は必要無い。


「最初にマフソレイオに来た時、父上と過ごせたのは此処でした」


 意識はズィミナソフィアに向けつつ、書物に目を滑らせる。

 メガロバシラスの大王の英雄伝だ。昔、此処で、読んでいた書物である。


「クイリッタがいることもありましたが、父上と二人きりで読みふけることもあり、非常に嬉しかったのを良く覚えてします」


「弟妹が居ると譲ってしまうから?」

「ええ。聞いていましたか」


 やわらかく苦笑しながら、マシディリは書物から目を離した。次に瞳に映すのは、当然ズィミナソフィア四世。


「お父様は、マシディリのことを良く話していたわ」

「らしいですね。皆さんから様々なことを聞くのですが、私自身は見たことの無い父上ですから」


 ゆるり、と書物を撫でる。

 顔は少し上に向けつつ、目を閉じて。味わうように、またゆっくりと手を動かした。


 書物の匂いだ。

 空気は、保存のために少しばかり乾燥している。静かで、気温も適切な場所。


「マフソレイオでの父上は、どのような方でしたか?」


 静かに、一言。

 小さくしたかった訳ではない。小さくなってしまった声だ。


「マシディリの方が良く知っているわ。そうでしょう?」


「そう、なのですかね」


 崩れた笑みを引っ込めるわけにもいかず、かと言って作り直すこともできず。

 マシディリは、唇を巻き込むと顔を元の位置に戻した。目は、下。再び書物へ。今度は読んでいるふりすらせず、ただただ眺める。


「母上といる時、と言うのは極論過ぎますが。私は、大分早くから後継者として明らかに優遇されてきていました。それこそ、父上の凱旋行進の時には既にペリースをかけてもらうほどに。弟妹も、私に対して恨みとまでは言わなくても妬んだり、嫌いだと思ったりしたことはあると思います」


 幼い頃のクイリッタの行動は、まさしくそれに近かったのかもしれない。


 兄だけではなく、自分も見て、と。


 マシディリからすれば、父も母もクイリッタのことをきちんと見ていたのだが、やはり自分を中心に見てほしいと思う時期があるのが子供であり、特権なのだ。



「でも、私もそういう時はあるのです。


 私達の時と違って、フィチリタやレピナ、セアデラは父上とゆっくりと過ごしたことがあります。それが、少し、いえ、少しどころではなく羨ましい。


 私は、父上が畑仕事をしているところをあまり見たことが無いのです。ですが、フィチリタはべルティーナの手伝いを出来るほどに父上と一緒に畑に出ていました。リングアやチアーラは父上と喧嘩をしたことがあります。でも、父上が一番焦ったのはクイリッタの家出でしょう。


 どれも、私ではありません。

 私は、どこまで言っても優秀な後継者でしたから。


 もちろん、それが弟妹にとって羨望の的であったことも分かっています。多くの愛情を頂いたことも、環境整備に於いては私が優先されていたことも。


 私も、きっとそうするべきなのかもしれません。早めに後継者を定め、道筋を作る。それが良いのでしょう。ですが、難しいのです。


 セアデラもラエテルも、方向性が違う優秀さを持っていますし、リクレスは未知数。ならばと後で決めようにも、それで分裂した家はたくさんあります。半ば決めていても定めなければ、伯父上達のような争いになるかもしれません。


 なら、最後まで遺言に隠すべきでしょうか。

 でも、私は備えさせてもらっていたのに、と思うと、それもまた違う気がしてしまうのです」



 ぽつり、ぽつり、と。

 アレッシア語で。


 話している間、ズィミナソフィア四世から物音はしなかった。


「私に言うことではないわ」

 声は、すげない。

 でも、動きはしない。


「弟妹には格好良くありたいでは無いですか。被庇護者には頼りがいのある背中を見せたいですし、やっぱり、父親はなんでもできる凄い人だとも思ってしまうのです」


 背もたれにしっかりと背中を付け、首を後ろに倒した。


 高い天井が見える。この天井も、湿気の対策となっているのだろうが、今ただ黒々として見えた。ぬくもりも確かに感じるが、どちらかと言えば悠久の時の流れをたたえているようにも見える。


 大きな、天井だ。


「権力者が此処まで孤独だとは思ってもみませんでした」


 ため息交じりに言いながら、腕の力も抜く。

 目も細くなった。ぼやけた視界は、精一杯堪える。


「私は父上を本当に見ることができていたのでしょうか。

 きっと、母上を失った父上は、私の思う以上に」


 ぐ、とその先の言葉は堪える。

 次に開けるまでは、数秒かかってしまった。その間も、ズィミナソフィア四世は何も言わない。動きもせず、ただ待ってくれている。


「随分と、身勝手なことを父上に言っていたような気がいたします」


 言葉と共に、目を閉じた。


 ゆっくりと息を吐きだす。腹をへこまし、吐き出し切る。


 続いて吸い込んだ空気は、父も良く吸っていたはずの空気だ。何より、あの父が自分の子を可愛がらないはずが無い。例え嫌な記憶と共にいる子であっても、子には持ち込まないはずだ。


 ぎしり、と横から音がする。

 かなり小さく、一定の間隔の足音と、椅子を引く音。座る音。


「お父様は、此処に座っていることが多かったわ」


 目を開ける。

 そう言えばそうだったか、と思わなくもない位置に、ズィミナソフィアが座っていた。椅子をなぞる手は非常にやさしく、顔は下に。一度巻き込んでから、形の良い唇が再度現れた。


「実は一番丈夫な椅子なのよ。幼い頃の私は、良くお父様の膝の上に座って書物を読んでいたわ。お父様はあまり口を出さなかったけど、一緒に読んでくれて。たまに頭を撫でてくれた。


 お父様の子でも無い弟が私の場所を奪おうとしたこともあったけど。その時に平等に扱おうとするお父様に憤りを覚えたことも一度や二度では無いわ。心のままに本当のことを叫んでしまおうかと思ったこともその度にあるわよ。


 でも、お父様は隠れて私を特別扱いしてくれたの。

 どういう事をしてくれたかは、あなたであっても内緒よ、マシディリ。絶対に言ってあげない」


 苦笑し、座り直す。


「言ってくれませんか」

「秘密よ。私の大事な思い出だもの」


 笑みを浮かべながら、マシディリは書物をまとめた。

 無理に聞き出すつもりは毛頭ない。大事な思い出は、大事な思い出なのだ。しまっておくのが良いことも往々にしてある。


「弱音ばかり吐いてしまい、申し訳ありませんでした」


 きゅ、と唇を引き締め、本日の本題へ。


「いいのよ」

 その前に、ズィミナソフィア四世のやさしい声が図書館に染みわたった。


「私、姉上だから」

 横を見た瞬間だけ見えたそれは、見たことの無い表情で。


「口うるさい宮廷人を飛び越えて民衆の支持を私達につなげる手も見事だったわ。例え、私達が君臨し続けていた方がマシディリにとって都合が良いのだとしても、私も私が玉座に居た方が都合が良いもの。


 無駄な探り合いばかりで疲れたでしょう? 腹を割って話しましょう、マシディリ。姉弟として、マフソレイオとアレッシアの未来を」



 一瞬で隠れてしまった姉の表情を思いつつ、マシディリもやわらかい表情に真剣味を混ぜる。


 汚い姉弟だ。

 ズィミナソフィアもクイリッタの野心に気づいているからこそマシディリに話しかけてきたのだろうし、マシディリもイェステスがいない方が打てる手が多いと此処で待っていた。


 でも、その汚らしさも、また、確かに血の繋がりではあったのだ。

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