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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
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誰のための誰による我慢か

「憶測で母上の名誉を傷つけるのはやめていただきたい」


 マシディリは、今日一番の低い声を出した。


 笑みの一切も排する。ねめつけるように視線をぶつけつつ、正中線はズィミナソフィア四世から逸らす。急所の全てを守る形だ。それでいて、右手は机の上、何時でも伸ばせる位置に。


「あら失礼。これでも、私、お母様と呼ぶほどにメルア様をお慕いしているのよ?」


 確かに笑みに分類される顔だ。

 でも、マシディリは今のズィミナソフィア四世の表情を真顔に分類した。


「私は、私の両親が不当に貶められるのを見過ごすくらいなら甘ったれた子供のままで構いません」


「良いのかしら? 今の、立場を考えて」


「大事なのは何か、と言う話です。父母を貶めねば手に入らないのなら、私には必要の無いモノです。そうして得たモノを、私は妻に誇ることも次代に残すこともできませんから」


 発言の間、瞬きは一切しなかった。

 ズィミナソフィア四世の視線が、先に切れる。無論一瞬で、すぐに戻ってくるが、先に逸らしたのはズィミナソフィア四世だ。


「お父様が神となれば、最高神祇官選挙にも有利に働くわ」


「イェステス陛下。故人を神に列することがまかり通れば、いずれアレッシアの野望はマフソレイオの直接統治に向かわないとも限りません。許してはならないと、進言させていただきます」


「あら。貴方は誰かしら」


 誰か。

 決まっている。


「アレッシアの建国五門が一つ、ウェラテヌスの当主マシディリ・ウェラテヌスです。父は、エスピラ・ウェラテヌス。母はメルア・セルクラウス・ウェテリ。断じて神の子などではありません。私は二人の子です。誰が、何と言おうと」


(どうしましょうか)

 熱く吐き、今にも退室してしまおうかと言う勢いの中で冬の川のように思考する。


 父の意思は大事にしたい。母の秘密も、知られるわけにはいかないのだ。

 一方で、父の神格化は、ズィミナソフィア四世が本当の父親を公表する布石であったかもしれないし、親に対する感情なのかもしれないのも事実。


 だが、此処での譲歩の姿勢は母のオーラの色を認めたと取られかねない行動。


 指揮官とは、誰よりも情が深く冷淡であり、誰よりも自分に酔いながら自身の決断を疑い、誰よりも利を分配し己の利益に強欲でなくてはならない。


 優れた外交官が軍団と同じだけの働きをするのなら、今こそ必要な言葉だ。



「親を変えられる人は誰もいません。誇れるかどうかは、自分ではどうしようも無いこと。故に、誇れる親であった場合は自分もそうであろうと決意し、次代に、さらなる未来へ繋げていくモノだと思います。


 幸いなことに、私は父上も母上も誇れる人物でした。

 そして、女王陛下も父上のことを『お父様』と呼ぶのであれば、最早我ら兄弟と同じ。どうか、父上にとって誇れる子供であり、父上のことを誇れる親と思い、自らの子に対しても誇れる親であってほしいと、願っています。


 いえ。姉上に対しては願うまでも無く誇れる存在であると知っています。だからこそ、父上が何を一番厭うのか、今一度考えた上で発言をお願いしたいのですが、よろしいですか?」



 真っ直ぐ、目の力を少しばかり弱めながらマシディリは言い終える。


 どこまで届いたかは未知数だ。それでも、マシディリとしては最大限の提示が出来たとの確信がある。

 だと言うのに、ズィミナソフィア四世の口は閉ざされたまま。


「ズィミナソフィアが完全に言い過ぎて申し訳ありません」


 代わりに、イェステスが頭を下げる。


(頭を)

 呆けたのは、一瞬。

「そのようなことはおやめください」

 マシディリは、現状を認識するなりすぐにイェステスに手を伸ばした。


 しかし、イェステスも頑固だ。頭を上げようとしてくれない。力で勝るのはマシディリのはずだが、ぐぐぐ、と頭を地面に埋めるように押し込んできている。


「やめません。

 ズィミナソフィアの言葉は、兄上を怒らせるには十分すぎる言葉です。もしも交渉相手が兄上でしたら、もう終わっていたことでしょう。それだけの言葉だと分かっています。

 ですが、上げられないのはそれだけではありません。

 ズィミナソフィアがそこまで言ったのは、ズィミナソフィアも兄上を神格化したいから。

 どうか、むげに断らずに検討してはいただけないでしょうか」


 国王陛下の頭だ。

(価値が無いと言えば、それまでですが)


 朋友の言葉であれば、その意味は大きく変わってくる。


「休憩をはさんだ方がよろしいかと」

 クイリッタが言って、立ち上がる。


 二秒後、マシディリも頷いてクイリッタに続いた。ズィミナソフィアも椅子を引き、再び鈴を鳴らしている。イェステスは最後に頭を上げた。


「クイリッタ」

 庭で人と離れ、ようやく弟の名を低い声で呼ぶ。


「父上は神などなりたくないと仰っていたのは、知っているよね」

「ですが、私達には必要です」


 ひょうひょうとクイリッタが言う。

 マシディリは、鼻筋をひきつらせた。クイリッタ以外からマシディリの表情を観察することはほぼ不可能であると、弟の名を呼んだ時点で確認済みだ。


「流石はズィミナソフィア四世。魔女と言われるだけはある。圧倒的に少ないはずの情報で、私と同じ結論に行きつくとは恐ろしい女です」


「クイリッタ」


「母上が神を殺す紫のオーラであるとは、私も想像がつきました。他にも何名か頭をよぎった者がいるでしょう。生まれた直後に殺さねばならない理由も二種類とも。母上の早すぎる死は、労苦と言うよりは自壊だと、兄上は分かっていたのではありませんか?」


 ぐい、と胸元を掴まれ、引き寄せられる。



「兄上ともあろう人が、この結論に至らないはずが無い。様子を見るに、確信に足る何かをお持ちなのではありませんか?


 何より。兄上。母上のオーラの色からウェラテヌスを守るには、父上が神であったと言う話が必要なのです。神であるからこそ、紫のオーラと寄り添えた。そして、オーラは神殺しでは無かった。あるいは、神殺しを超越する神であった。



 故に、我らに正統性がある。


 これからのアレッシアを率いるのは、エスピラ・ウェラテヌスの血を引く我らこそが相応しい。



 その先は、全世界に及び統治です。兄上。私達ならば、いえ、兄上がその気になればそれが出来る。親を失って哀しい? その根本の要因たる争いすら無くす、大国の完成ですよ」


「子猫ですら親の乳を求めて争い、カラスと狐も餌を巡って互いを攻撃し、幼子も玩具一つで喧嘩を始める。争いが無くなるはずが無いよ、クイリッタ」


「おっと。余計な部分が混ざってしまいましたね。必要ない言葉でした。

 兄上。必要なのは、前半部分です。母上を守り、弟妹を守るためにも、父上が神であった方が都合が良い。


 そうでしょう?」


 口を、閉ざす。

 その部分に関しては、では、とより良い意見など思い浮かばないのだ。



「母上は仰せでした。

『子供達を守って』、と。


 私達を守るためであれば、父上もお許しになられるでしょう。何なら、私が強引に話を進めても良い。父上にとって一番大事な存在は母上。子供達の中で一番守らねばならないと思っていたのは兄上。愛情は、甲乙を付けようとすれば父上は一生答えを出せないで終わるでしょう。


 私は、これで良いと考えています。

 ズィミナソフィアにとっても都合が良いのなら、これぞまさに『神のお導き』では、ありませんか?」


 そうでは無い。

 そうでは無いのだ。


 その言葉も、父を思えば言う訳にいかず。


 結局、再開した会談では全く違う話題から始まり、ついぞエスピラの神格化について議論が戻ることは無かったのだった。

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