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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
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神か神ならざるか

(さて。どちらでしょうか)

 イェステスは素だとして、ズィミナソフィア四世はどうか。


「ではこちらは、お土産としていただいていきます」


 測りかねているのなら、と弟は動いてくれたのだろう。

 クイリッタが乳香を箱に仕舞うと、そのまま懐に入れた。ズィミナソフィア四世の目もクイリッタへと動く。


「十年ほど前は、クイリッタ様がマシディリ様にとって一番のじゃじゃ馬とみられていたのに、今や忠実な犬。じゃじゃ馬はスペランツァ様かしら?」


 絶妙に嫌な質問が多い。

 答えに神経を使い続けるのだ。


 これが愛情からなのか、マフソレイオの首領としてなのか、その割合も含めて判別がつかないのが余計に事を難しくしている。


「女王陛下は、我々のことを様付けで呼んでおりましたっけ?」


 クイリッタが小さく首を傾ける。

 ズィミナソフィア四世の表情は変わらない。むしろ、固定されていると言うべきか。



「おっと。失礼いたしました。ついつい疑問が先んじてしまいまして。


 陛下の質問に対しては非常に単純です。私にも私の支持基盤がありますから。それに、私の心は常に兄上と共にあります。


 尤も、それが兄上の望みと同じかは分かりませんが、ね。


 ですが、優秀な兄が居て、明らかに両親が目をかけていて、実績も完全に上回っているとあれば、どうしてその地位を狙おうと思うのでしょうか。

 そもそも、私が兄上より勝っているのは顔の良さと女性からの好感度。どちらが当主向きですか?」


「カッサリアは、顔で?」

 くすり、と冗談染みた笑みをズィミナソフィアが初めて浮かべる。


「能力と時勢で。


 私の両親はエスピラ・ウェラテヌスとメルア・セルクラウス・ウェテリ。祖父はタイリー・セルクラウスですよ。しかも、師匠としてトリンクイタ・ディアクロスとサルトゥーラ・カッサリアがいる。


 そこらの野郎どもが私に勝るはずが無い。


 そして、元々敵も多いサルトゥーラは、法に従うとなった時にどう動いても二枚舌と責められる状況でしたから。父上の権限をそのまま兄上に移そうとしても、兄上に渡る権限を制限しようとしても。


 故にティベルディードに中継ぎさせて、私の子がカッサリアの当主に相応しいかを見極めることにして隠居したのです」


 ティベルディードは、どちらかと言うと武の人間。

 カッサリアの維持にはクイリッタの力が必要であり、次期当主の父親となるのであれば関係を切ることもできないのだ。


「でも、結局、マシディリはお父様が軍事命令権に付随させていたアレッシアの統治権は手に入れられなかったのでしょう? 相婿も、失敗したとか」


「申し出は来ていますよ」


 答えつつも、ほとんど変わらないズィミナソフィアの表情、手指の些細な動き、姿勢の変化から情報を探る。


 本当に知らないのか、あるいは知っているのか。他の目的は何かを。


「ですが、このまま受け入れてしまえば私達が頼み込んだ形と同じ。それでは意味が無いので、一向に話が進んでいないだけです」


「サジェッツァは、欲張って全てを失ったわね」

「サルトゥーラ様の隠居については、クイリッタがサルトゥーラ様を助けたいと思ったからかもしれませんが、ね」


「兄上」

 クイリッタが声を低くする。


 図星だ。

 兄弟としての付き合いから、すぐにわかる。


「サルトゥーラ様の分の議席の凍結は、互いの譲歩の証です。裁判に関してもその内決着がつくとの見方はアレッシアに広がっているでしょう。

 その機を掴めるかどうかは、サジェッツァ様次第ですが」


「アスピデアウスを切り従えると言うことかしら?」


 ズィミナソフィア四世の言葉に、イェステスが表情を引き締めた。背筋も伸びている。クイリッタは憮然とした表情のまま。足を伸ばしてはいるが、閉じてもいる。


 奴隷は、少し遠くに。

 ひりついた空気は、誰もが感じているモノだ。


 その中で、マシディリは堂々とした姿勢を作り、朗々と声を張る。脳裏に描くのは、先制して態度を示す父の勇姿。


「アレッシアは共和政の領域国家です。ただし、広大な領域を支配下に置きましたので、元老院による話し合いで決め続けるには限度があるでしょう。故に、誰かが大権を握り即断を下していかねば後れを取り続けてしまいます。大勢での討論など、時間があることに対してだけで良い。


 誰が決断を下すべきかなど、簡単なことです。

 その問題について造詣が深く、アレッシアに忠誠を誓っており、私腹を肥やさない人物。あるいは、肥やした私腹をアレッシアのために惜しみなく解放できる人。


 それがアスピデアウスに居ればアスピデアウスでも構いませんし、ニベヌレスに居ればニベヌレスでも構いません。

 アレッシアの中で、誰が下とか、上とか。そのようなことにこだわるつもりはありませんよ」


「そう」

 言って、ズィミナソフィア四世がやや深く腰掛けた。


「まるで兄上みたいですね」


 大きく息を吐いたのはイェステス。

 ほぼ間違いなく安堵の息だ。


「父上の後継者ですから。父上の方針を継いでいると思っていただけるだけではなく、父上を重ねていただけるのならこれ以上嬉しいことはありません」


 ですが、と笑みのままその質を一転させる。


「私は、国王陛下や女王陛下を叔父上や姉上のように思いたいと考えています」


「実際に兄をしている兄上に言われると、要求されるモノが非常に高くなるのであまりお勧めは致しません」


 冷めたことをすぐさま言ったのはクイリッタだ。

 マシディリは苦笑をクイリッタに向ければ、イェステスも同じようにクイリッタに向けている。


「私も、そこまでお父様とマシディリを重ねることはできないわ。明らかにお父様の方が苦労しているもの。何より、貴方がたには常に愛情深い両親がいたでしょう?」


(失言だ)


 聞きながら、マシディリはそう判断した。

 ズィミナソフィアの明らかな失策である。珍しいとも言うべきか。


 つまるところ。


(私達は嫉妬されている)


 ならば、焦るのは悪手だ。


「ええ。重ねることは難しいでしょう」

 クイリッタが三人の耳目を集める。

 唇を濡らすような目の動きは、まさに畳みかけるための蛇の溜め。


「父上は、神に列しても違和感の無い方であれば、我らはその神の子孫であっても神そのものでは無いのですから。ただし、その神々の威光を感じ、その末端で以て国家を安んじることが出来るのであれば、誰もが分かる長寿国家になるとは思いませんか?」


 祖を神々とし、故に近親婚を繰り返す。


 それが、マフソレイオの王族だ。

 正確に言えば、今の王朝のずっと前から始まった風習であり、今の王朝も円滑にマフソレイオを統治するために同じ方法を取ったのである。


 ただし、その歴史は、隠されているも同然だ。


「父上は神になることなど望んでいない」

「あり得る話だわ」


 マシディリの強い声と、ズィミナソフィア四世の通る声が重なった。


(なんて?)

 マシディリの声に込められた強い意思すら、ズィミナソフィアの涼やかな声が貫通してくる。


 クイリッタの発言の行きつく先を、ズィミナソフィア四世は何だと思っているのか。

 そのズィミナソフィア四世が笑いながら、使用人を全員下げていく。


「お父様もまた神であらせられた。故に、愛を以て親友との死を受け入れた。そのような戯れも良いかと思いまして」


 この言葉までは、使用人がいる内に。

 ただ、戯れに発した言葉などでは無いと、マシディリには理解できている。


「父上は人です。神ではありません。人故に、誰よりも迷い、孤独と戦い、母上と共にあったのです」


 声を強く。

 追い払われた使用人にすら届くように。


 だと言うのに、ズィミナソフィア四世の余裕の色は変わらない。

 瞬きの少ない目で、マシディリの奥底を覗き込むように視線を合わせてくる。


「いいえ。神であったから、その罪科すら流し清め、優秀なる子孫を残されたのよ。

 そうでしょう?

 メルア・セルクラウス・ウェテリのオーラの色が紫だなんて知られれば、貴方がたもただでは済まないとは思わないかしら?」


(何故知っている)

 他の指は自然に見せつつ、マシディリは薬指だけを掌底に突き刺した。

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