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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
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調和交渉 Ⅳ

「本当にわかりませんか?」


 机に手を置き、両手を見せる。

 サジェッツァの能面は、相変わらずだ。


「武力を脅しに使い、勝手に後継者を定め、アスピデアウスが持つ権力を分割しようとする提案を呑むことが出来ると思っているのか?」


「権力を保持したいと? これまでのアレッシアを理想とするサジェッツァ・アスピデアウスが? 遺領は普通は分散するモノであり、父が得ていたモノや兄弟や子供達で分け合うのが、伝統的なアレッシアではありませんか?


 まるで、父上の考えを肯定するかのような発言に聞こえたのですが。気のせいでしょうか?」


「本当にエスピラに似て来たな」

「サジェッツァ様以外にもそう思っていただけたのなら、幸いです」


「なら、ますます隠居はできないな」

「自らの理想のために父上を排除した。そう思われる覚悟が決まったのですね」


 陶器に手を伸ばし、茶を一口。


 喉を潤わせた後に置く場所は、先ほどまで置いてあった場所よりも脇に寄せた。背筋も伸ばし、尻の位置も少し前に。足裏にかける体重も増やし、重心も踵寄りからつま先に動かしていく。


「最高神祇官選挙への協力でどうだ」


 サジェッツァの声の調子はいつも通り。

 早くなることも無く、意識しすぎて遅いことも無い。発生に至るまでの間も、特段変わった様子を見せることは無かった。


 それでも、マシディリの尻が浮く直前にしっかりと声を投げかけてきている。


「私は最高神祇官に立候補するとは言っていないのですが。アスピデアウス派からは誰も出さず、私に出馬を要請する、と言うことですか?」


「出ると決めている者を改めて推す必要は無い」


 その通りだ。

 どのような推移でその結論に至ったのかを、マシディリには知る術は無い。術は無いが、マシディリが必要なのはトリンクイタに対する確実な勝利。


 サジェッツァの持つ票田がトリンクイタに流れてしまえば、全てが水泡に帰してしまう。


「まるで、私のことを分かっているかのような発言ですね」


 それでも、マシディリは引くわけにはいかなかった。


「そう言えば、アスピデアウス一の美女が誰かについても、私が抗議に来ると父上が予見していたと言っていましたね。だと言うのに何もしていないのは、耳を貸していなかった証。


 サジェッツァ様の見ている私とは、誰のことですか?


 いえ。そもそも、噂の払拭など本当の目的では無いのではありませんか? そうなれば良い。ただそれだけ。本当の目的は別。普通に考えれば裁判についてですが、それすらも交渉の道具では?」


 サジェッツァの鼻から、吐き出す息の音が聞こえて来た。

 笑ったのかもしれない。ただ、サジェッツァならやらないと言う思いが強くある。この思いは、マシディリで無くとも強く持つはずのものだ。


「裁判はやり過ぎだ。議題の遅延など良くあること。灸を据えたから良しとした方が良い」


「良しとした瞬間、私の首を嚙み千切ろうとしてくる獣のように思えてなりません。いえ。獣なら構いません。しかし、畜生であるならば私ではなく私の大事な人に牙を向けるのも不思議ではないでしょう。そして、畜生であるならば、躾に用いるのは言葉では無いのではありませんか?」


 少々、言葉が過ぎたかと思う。


「恐れから弾圧を行っても、報復が先制攻撃に変わるだけだ。報復攻撃ならまだ読める。だが、相手が怖がっている状況なら先制攻撃は必ず奇襲だ。


 マシディリ。君のためを思って言っている。

 裁判はもうやめた方が良い。あの処罰は、重すぎだ」


(恐れている?)

 子供じみた心が、ちっぽけな男としての矜持が、そんな訳は無いと騒いでいる。

 一方で、大きく息を吸った後に顔をのぞかせた当主としての覚悟が、その通りだと認めていた。


 報復行動をさせないためにはどうすれば良いのか。

 それは、徹底的に叩きのめしつつ、次に行動すれば危うい者をそのものにとって大事な者に設定すれば良い。そして、次は記録抹消刑もありうると考えさせられれば万全だ。


 果たして、それが罪に対する正しい罰なのか。

 そんな訳は無い。そんなこと、マシディリが一番良く分かっている。


 熱に浮かされた周囲が、ともすればマシディリの声だけを切り取りマシディリの求刑通りになりかねないことも、同時に。


「退くには手土産が必要です。私のことを想っているのなら、ただで退けばどうなるかは良くお分かりのはず」


 声が、少々低くなりすぎた。


 感情を抑制しろ。

 この情報は、出しても不利になるだけ。


 そう、心の中で自身に言い聞かせる。


「リリアントをアグニッシモに嫁がせる。二人目のアスピデアウスの娘だ。不服か?」


(ああ)

 マシディリの感情を揺さぶるのが目的なら、完敗だ。


「べルティーナを愚弄するのも蔑ろにするのも、いい加減にしてください」


 冷静な思考とは裏腹に、マシディリは顎を上げた。

 手の中ほどに痛いほどの爪の感触を感じる。第二関節が籠る力に痛みを訴えた。

 それでも、微塵も緩む気配は無い。


「べルティーナでは、ウェラテヌスとアスピデアウスの仲を取り持てないと言っているのと同義だと、何故気づかないのですか。そう思う者が多く出ると、何故想像できないのですか。

 アレッシア一の賢人と言っても構わないと言ったのが本心なら、そのような提案などで無いはずだ!」


 歯肉を剥き出しにして、吼える。

 机も叩いてしまった。


 音は、どれほど外に聞こえるだろうか。


 冷静に考えつつも、腹でしっかりと呼吸するのを試みて、言葉の速度も落とすように心がける。目は、横へ。そして、戻して。


「賢いなどと思っていないから、役目を果たせないと思っているからこそ出た言葉ではありませんか?


 本心とは細部にでるものです。少なくとも、そう思っている人は少数ではありません。だから、サジェッツァ様は勘違いされるのです。父上を殺そうとしたとも捉えられる。事実、一度暗殺を試みたと言う事実を軽く見過ぎた行動の結果、父上を公的に暗殺したと言われているのだと、まさか微塵も理解していなかったのですか?


 サジェッツァ様は元々言葉の足りないことも多い方。その上、行動がずさんになれば、良いように解釈され続けると、生意気ながら私もサジェッツァ様のためを思って言わせていただきます」


 拳を机に押し込め、立ち上がった。

 見下すようにサジェッツァを見下ろす。


「サジェッツァ様ではべルティーナを守れない。何度彼女に、苦痛を与えるのですか。いばらの道を行く決断をさせるのですか。


 べルティーナは私の妻です。私にとっていなくてはならない存在です。もちろん、私の子供達にとっても代わりなどいない母親です。


 ラエテルは焦っていました。あと四年で、財務官に推される人間にならないといけないと。私の最年少記録を意識し、自分に負荷をかけ、そして兄として弟妹の面倒も見なくてはならないと追い詰めていました。


 そのラエテルに、べルティーナは言ったのです。

 焦る必要は無いと。才能だけではなく機もまた大事だと。


 私の時は第二次フラシ戦争があり、上の席がごっそりと減っていました。今は違います。そして、席が埋まっていることは幸せでもあるのだと。若いうちから席が空かないと言うことは、悲しい思いをする人がそれだけ減った証なのだから、と言って、ラエテルを納得させたのです。


 賢い女性です。

 その裏で、自分の不器用なところと頑固なところが受け継がれてしまってラエテルが自分自身を追い込んでしまったのでは無いかと悩んでいました。


 サジェッツァ様の行いで子供達が嫌な思いをしないように、アスピデアウスと距離を取る行動もとっています。その裏で自分は親不孝者だと思い詰めていないと、どうして思えるのですか。


 スッコレト・マンフクスがべルティーナの名誉を傷つけた時、サジェッツァ様は何もしてくれませんでした。それでも、べルティーナがそのことについて恨み言を言ったこともそのことで嫌ったこともありません。


 だと言うのに。サジェッツァ様は。


 リリアント様をアグニッシモに?


 ご遠慮願います。

 ふざけないでください。


 どれだけべルティーナを傷つければ、貴方は気が済むのですか」



 熱くなった息を、静かに吐き捨てる。

 サジェッツァは能面だ。何を考えているかわからない。堪えているのか、どうかも。全く以て何も感じていないとも思えてしまう。


 あるいは、建国五門の当主としては、娘一人よりも家門を大事にする姿勢の方が余程相応しい姿なのかもしれない。区別をつけることなく、家門を引っ張りアレッシアの舵を取る者として、より多くの者が利益を享受できる決断をすることこそが、正しいのかもしれない。


 だが、マシディリはそんなことを父から学んだことは無かった。


 エスピラの姿勢は、一貫してメルアを守るためにアレッシアが必要だからアレッシアを守ると言うモノ。根幹に常にいたのは、愛妻だ。


 故に、マシディリの指針も。


「リリアント・アスピデアウスをアビィティロ・ルーネイトに嫁がせてください。それが、私にとって納得のできる条件です」


 できうる限り、愛妻を大事にするモノである。

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