調和交渉 Ⅲ
「確かに美しい方だとは思いますが、相手が悪かったとしか言いようがありません」
相手が幾ら美しかろうと、べルティーナより、愛妻より美しい女性など存在しない。
それが、マシディリの中で揺るがない事実だ。
愛妻こそ、世界で最も美しい。
「本人を前にして言うか」
「本人を前に品評会の真似事は非常に気持ち悪いと思いますが、だからこそ忖度してはいけないとも考えています。私に、何を聞こうと、べルティーナの方が美しく可愛く格好良い。内面から滲み出る誇りも、真面目過ぎて不器用になる瞬間も全てが何より愛おしい。
それは、変わりません。誰であろうと及ぶことはございません」
サジェッツァが鼻から息を吐いた。
リリアントは、真っ直ぐに立ったまま。挨拶以来口も開かない。
「これがマシディリだ。父親に似て、家門の当主としては致命的なまでに自分の妻を愛しすぎている。当主の婚姻が最も政治的に有用でなくてはならないはずなのに、それが出来ていない」
マシディリは、目を閉じた。
出来ていなくても構わない。
それが、父から学んだことだ。出来ていなくとも、要するに、公の利益に繋げてしまえば、私的な欲望を貫き通すことができるのだ。
「リリアント様」
はい、とリリアントがマシディリに顔を向けた。足は揃えられており、両のつま先もマシディリに向いている。
「回答の如何に関わらず、対応を変えるつもりはございません。ですので、神々に誓い素直にお答えください。
親の仇を前にして、何を思いますか?」
正確には、トトリアーノ・アスピデアウスを殺したのはマシディリでは無い。アグニッシモだ。
それでも、その時の指揮官はマシディリであるのなら、罪としてはマシディリが殺したも同然である。
「寛大な処罰に感謝しております。
反乱者の一族では無く、アスピデアウスに連なる者として私達の生活が続くことになったのは、エスピラ様の方針をマシディリ様が受け継がれたからであり、養父上は何も働きかけていないと聞いております。
恨むことがあるとすれば、父上に何故アレッシアを裏切ったのかと詰問できなかったこと。
怖いことがあるとすれば、私の美しさを否定することが裏切り者への憤りに関係しているのではないかと疑っていたことになります」
良い性格をしている。
いろんな意味で。
そして、品評会染みたことをしたことを、申し訳なく思わなくても済みそうだ。
「リリアント様が綺麗な人であることを否定したつもりはありません。ただ、妻が上を行くだけです」
「必ず一番に想ってくださっている誰かがいるべルティーナ様を、羨ましく思います」
鈴のなるような声であるが、勝気さに裏付けされた悔しさが隠れている声だ。
両親が娘の美しさを自慢していたのも情報としては把握しており、本人も自覚しているのも把握している。ただ、それらは積極的な自慢では無く、自らの芯としての気持ちなのだとは、相対してしっかりと理解した。
「十分だろう、リリアント。これ以上は、私もリリアントも危うい」
サジェッツァが言う。
リリアントは二つ返事で答え、マシディリ、サジェッツァと挨拶をし、鈴蘭が鳴るかのように楚々とした立ち振る舞いで退室していった。
はっきりと言おう。
マシディリにも、リリアントが多くの好意を寄せられる理由が明確に分かった。
美しい容姿に清楚な振る舞い、その見た目に少し癖を付ける自信からくる勝気さと芯の強さ。
一面だけでは無いからこそ、人々は引きつけられるのだ。
(贔屓目も抜きにしても、べルティーナは対抗馬として挙げられていてもおかしくないと思うのですが)
ただし、マシディリの中に於けるべルティーナの立ち位置に、一切の翳りも無い。
「私がどのような話題から入るか分かっている振る舞いをしてしまうからこそ、サジェッツァ様が父上を公的に暗殺したと言われるのですよ」
そうでなければ、今、リリアントを下げる意味は無いはずだ。
「今日は厳しい言葉が多いな」
「直視してください。ラエテルが「アスピデアウスのじいじにはもう会いたくない」と言っていますので。このまま終わるのは私としても好ましくはありませんし、サジェッツァ様もラエテルとまた遊びたいですよね?」
サジェッツァの態度は、無言。
きっちりと口を閉ざし、どこを見ているのか分からない視線でマシディリを見ていない。不適切な例えかもしれないが、マシディリには怒られた直後の三歳の愛娘の態度に重なって見えた。
「私が、サジェッツァ様に暗殺の意図は無かったと主張しても良いのですが、その際にべルティーナが唆したと噂されてしまえば私がどう思うかは言うまでも無いはず。その上、ラエテルやソルディアンナがどう思うのかもお考え下さい。
二人は、私が此処に行くと聞いてから止めに来ました。今朝も、私の無事を祈りながら送り出してくれています。
リクレスとヘリアンテはまだ分かっていない様子でしたが、理解した時にどう思うのでしょうか。あるいは、二人がどう思われてしまうのでしょうか。
子供達が周りからどう見られてしまうのか。その責任は、当然周りの大人達にもあります。もしも、サジェッツァ様の所為で子供達が傷つけられるようなことがあれば、私は貴方を許しません。絶対に。マシディリ・ウェラテヌスの名にかけてアレッシアを敵に回そうと貴方を崖下に突き落として死体を辱める覚悟が持っています。
私は、私の家族が守られると確証を得られない限り、声を大にしてサジェッツァ様の無実を主張することはありません」
「人質を得ているような交渉だな」
「何とでも。私は、譲らないだけですから」
今のサジェッツァは、マシディリからすれば弱っている老人だ。
それでも英雄である。心苦しさからやさしさを見せるのは良いが、余裕を見せれば一瞬で返されてしまう相手。
「べルティーナとの婚姻を維持するためにも、譲歩はできません。サジェッツァ様も、べルティーナを呼び戻したところで敵対家門の当主に囲われている愛人では、どこの家にも出せませんよね?」
「その場合は、家に帰ってこられるのか?」
「べルティーナの家はウェラテヌス邸ですよ」
何を当たり前のことを、と言わんばかりに付け加える。
頭に思い描いたのは、「馬鹿なことを言うな」と言っている父。これが、当然の常識であると言わんばかりに、サジェッツァに見せつけるのだ。
「隠居をお勧めいたします」
目を閉じ、静かに告げる。
それから、茶に口を付けた。
サジェッツァは無言。マシディリと同じように茶に口を付け、同じ時に机の上に戻している。
「パラティゾ様に当主を譲り、永世元老院議員を含め元老院議員を辞してください。
一年前の今時期は、アレッシアには三派ありました。第二次フラシ戦争に於ける三人の英雄、いえ、二人の凱旋式挙行者とそれに匹敵すると多くの者に認められていた一人を頭とした派閥です。
その内、二つが頭を失いました。最も得をしたのは残った一つ。しかも、黒い噂もある。
サジェッツァ様。やった側とは往々にして忘れるもの。しかし、やられた側は忘れません。忘れていたとしても、思い出すのです。
エスピラ・ウェラテヌスの凱旋式を邪魔し、名前を碑文に残さなかった時の元老院での権力者は、サジェッツァ・アスピデアウスである、と。
その前も、トュレムレに籠ったグライオ様の救援を認めなかったのはサジェッツァ様でありタヴォラドの伯父上であると。
そのような者が再び権力を握り、どうして他の二派が心を安んじることが出来ましょうか。これだけ内乱が続く中で、ささくれだった心のままに武器を握らないと言い切れましょうか。
サジェッツァ様の意図に関係なく、オピーマ派の元老院議員の後釜にアスピデアウス派が多く座ることが、どう思われているかわからないとは言わせません。
お下がりを。
貴方と言う存在そのものが、最早嫌悪の象徴なのです。
私は軍団を解散させません。そして、私が軍団を持ち続けることを期待している者が多く居ります。この会談に於いても、私が主張を通すことを期待している者は多いはず。
もしも、この状況で元老院が軍団に対して解散命令を通せば、どうなるでしょうか。
私で止められるのならば良いのですが」
あくまでも強気な言葉を、はきはきとした発音で。
「話にならないな」
サジェッツァの短い言葉に、マシディリは余裕をもって眉を上げた。




