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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
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調和交渉 Ⅰ

 アレッシア帰還後のマシディリの動きは、水面下での排除予備行動こそあれども基本は受容と継承であった。


 遺言の喧伝に頼り切らず、自ら葦ペンを手に取り、わざわざ待遇を表記する。反乱者となった家門に対しても、処罰は加えるが基本的に取り潰しは無い。後継者を定め、改めて直接会い、約束を重ねてアレッシアへの忠誠を再度誓わせる。


 元老院に対しても同じだ。

 手続きを取らずとも、多くの者がマシディリの引継ぎに納得しただろう。それでも、マシディリは正式な手続きも踏もうとした。


 そして、当然のことながら、軍事命令権の引継ぎに対して遅延が生じてしまう。


 厄介な問題だ。


 やる側も、エスピラの用意した道がある以上、本当に止められるものだとは思っていない。故に、遅延ばかりが繰り返される。ある時は書類での提出を求め、ある時は確認のための時間が欲しいと言い、ある時は病欠で。


 そして、少し舐めた者達は病欠しておきながらその時に行おうとした採決を邪魔してくる。


 ただ、それでもマシディリはまだ敵対的行動には移らなかった。


 軍事命令権保有者として、まずは父と反乱に与した各宿駅の長との講和内容を見直し、多くの場合は緩和する。捕虜の解放時期も少し早めた。処刑も行ったが、その後にきちんとアレッシア人としての埋葬も付与している。


 無論、攻撃材料だ。

 正式な手続きを求めておきながら、正式に付与される前に何をしているのか、となじる者も現れる。


 そのような者達への攻撃も控え、マシディリはただ待った。

 正式な許可が出るまでを。


「お久しぶりです」


 クーシフォスのその声に、マシディリはすぐに太陽の位置を確認した。手に持つ葦ペンは、静かに横へ。下手に色がつかないようにだけ気を付ける。もぞり、とマシディリの足元で丸まっていた四歳の愛息と三歳の愛娘が動いた。


「申し訳ありません。時間に気づきませんでした」


 リクレスとヘリアンテの背をやさしく叩き、起きた二人を優しく押す。

 寒いとむずがる二人は、しかし乳母の登場によって連れ去られていった。


「お忙しそうですね」

「クーシフォスもでしょう?」

「今のオピーマとウェラテヌスでは、比べるのもおこがましいことです」

「私の場合は父上が道を作ってくださいましたから」


 遺言と共に残されていた紙は、数多くの場合の想定が書かれている。

 今の状況がその想定にあるのかを確認するのにも時間がかかり、半ば本末転倒な代物でもあるが、なるほど、思った以上にやることの多い現状では意外と頼ることも多いのである。


「それに、養子縁組も行いながら新たな関係を構築し、船も作り直しているのでしょう? ウェラテヌスはすぐに動けていますが、オピーマは収入も大きく減って余計に大変だと思いますよ」


「マシディリ様には、娘の婚約の維持も宣言していただいております。反乱者の家系、それもエスピラ様の怨敵の直系となれば大変なご苦労があったのではありませんか?」


「婚約解消なんて言えば、チアーラに首を絞められてしまいますから。それに比べれば苦労なんて幾らでも。それに、父上と母上の教育が良く、ただ反対するだけではなく自分で実現するためにも動いてくれますからね。

 クーシフォスこそ、婚約の維持は大変だったのではありませんか?」


「マシディリ様ほどでは」

「頼もしいですね」


 マシディリの言葉に嫌なモノを覚えたのだろう。

 クーシフォスが背中を少し引き、失敗したなあと言わんばかりに口角をひきつらせた。


「マルテレス様の後任として、クーシフォスを元老院議員に出来そうです。これから頼みますね」


「ありがたいことのはずなのですが、怖いのは、マシディリ様がエスピラ様に似ているからこそでしょうか」


「嬉しい言葉ですね。もっと頼ってしまいそうです」


「私に、出来る範囲であれば」

 クーシフォスが顔を引きつらせていたのは、此処まで。


「私のことでまで手を煩わせてしまい、申し訳ございません。母上にも、何故スィーパスの首を持ち帰ってこなかったのかと激しく叱責されてしまいました」


 スィーパスはクーシフォスの同母弟だ。そして、彼らの母親は鬼では無い。愛情もしっかりとある人だと認識している。

 これもまた、クロッチェのように、子供を思ってのことに他ならないはずだ。


「クーシフォス様は大功がありますし、ずっとアレッシアにいた人物です。そう難しい話ではありませんでしたよ。まあ、元老院議員の平均年齢は引き上がってしまいましたけどね」


 マシディリは、少しふざけた調子で肩を竦めた。

 今回除籍されたオピーマ派の者の後釜。そこに座ったのは、実績はあるアスピデアウス派の人間だ。ただし、エスピラによって訴えられて退いた者や選挙に負けた者ばかり。


 それでも、オピーマ派の残党は文句を言えない。

 ウェラテヌス派も、実績で上回る人員を推薦できないのだ。


「厳しいですか?」

「厳しいですね」

「軍事命令権も」

「元老院がそこに手を出せば、横暴として無事では済みませんよ」


 クーシフォスが一つ息を吐く。目に見えて腹も動いていた。


「ひとまず、第三軍団の高官を全員元老院議員にねじ込もうとは動きました。結局、アビィティロ、グロブス、マンティンディしか通りませんでしたが、アピスやルカンダニエも通そうとしたことが大きいですからね」


 ルカンダニエはマルテレス門下生の一人。

 アピスに至っては、アスピデアウス派の出であり、エスピラが用い無さそうなサンヌス出身の、しかもサンヌスの言葉の方が堪能な男だ。


 マシディリの方針を示すにも、やはり役立っている。


「第三軍団は一時解散ですか?」

「いえ。主力として動いてもらいます。来春には、船を使って一気にグランディ・ロッホ上陸も作戦の一つとして検討していますよ」


 プラントゥム最大の都市、グランディ・ロッホ。

 この港街を落とせば、いよいよスィーパスは逆転不可能になってくるはずだ。



「マシディリ様。陽動でも構いません。陸路から、攻撃する機会をいただけないでしょうか」


 言葉の最中、クーシフォスに瞬きは一切無かった。握りしめられた右手は、みぞおちの前に。背筋はまっすぐに伸びて、体の横にある左手も握りしめられている。


 覚悟を持った一言。

 そう伝わるには十分だ。


「アビィティロ」


 クーシフォスに瞬き一つ。それ以上の動きはほとんど無い。

 そして、隠し扉が開き、アビィティロが静かに現れた。


「来春の攻勢に向けて、話し合いは進めています。参加されますか?」


 質問ではあるが、ほぼほぼ参加は確定だ。


 主計画のピオリオーネ攻略から徐々に進めていくやり方。フラシ攻略に全力を注ぐやり方。先程話した、グランディ・ロッホを強襲する作戦。もっと多くの箇所を同時多発的に攻める戦い方。


 多くの計画を立て、利点と問題点を洗い出し、物資等から実現可能性の高いやり方に全てを洗練していく。


 そうした話し合いを重ねる最中で、ようやく軍事命令権が正式にマシディリに与えられた。


 既にウェラテヌスの被庇護者全員との関係維持と関係諸都市との話し合いは終わっている時期。それどころか戦車競技団への支援や劇団への支援、闘技場の整備や新たな剣闘士の演目まで話し合えているだけの時間が流れている。


 故に、マシディリはこれまでの温厚さをひとまず置いた。


 軍事命令権が付与されたその日の夕方、マシディリは即座に裁判を起こす。


 対象は、四人の元老院議員。軍事命令権の付与を不当に遅らせた利敵行為によるモノ。アレッシアの潜在的な敵。あるいは、反乱に加担していたくせに他の者に擦り付けて逃げようとした者。


 そう訴え、財産の没収と代々続く一軒家(ドムス)の破壊および退去命令を求める。

 マシディリの求刑が全て認められれば、訴えられた者達は生きてはいるが二度と下には戻れなくなるのだ。しかも、警戒は続き、恨んでいると思われるからこそ子孫は僅かでも権力基盤を継ぐことは出来ない。他の家門の者も厳重な取り調べを受ける。


 死罪であっさりと終わるのと、どちらが良いのか。それが不明なほどの扱いとなるのだ。


 加えて、他の罪状や醜聞も小出しにして伝えていく。エスピラの遺言にあった通り、誰でも飛ばせるのだ、と相手に思わせるように。



 その事態を防ぐために被告人達が頼るのは、当然サジェッツァ。



「父上が無事に帰ってきますように。父上が無事に帰ってきますように。父上が無事にかえってきますように」

「父上が無事に帰ってきますように。帰ってきたら、兄上も一緒に父上とおままごとをします」

「ちーうえ、遊ぶ」

「ちーうぇ! ちーうぇ!」


 めいめいに子供達が祈る、ラエテル以外は祈っているとは言えないが、それでも無事を祈る中、マシディリは呆れた顔の中に微笑みを残している愛妻と口づけを交わし、アスピデアウス邸へと足を運んだのだった。

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