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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
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迂遠なやり取り

 酒と豊穣の神。

 一種、独自のとも言える葬式が行われている神殿である。


 遺言通り、三日しか行われなかったエスピラの葬儀は、規模も妻であるメルアとは比べ物にならないほどに小さかった。無論、配る財は多く、その点はメルアの葬式よりも為政者らしかったと言えよう。

 エスピラの葬式の直後に一日だけマルテレスとオプティマの葬式を行ったため、エスピラの葬式の延長線上として騒ぐ者も居た。ただし、この一日は基本的にはオピーマとヘルニウスの色を濃くしている。



 そう。此処、酒と豊穣の神の神殿以外では。



 酒と豊穣の神は、エスピラの妹であるカリヨが信奉している神だ。


 エスピラの葬式をマシディリがやるようにと遺言があるが、この神殿での騒ぎは個人で悼んでいるだけ。そういう名目で、エスピラの追悼が続いている。財も、ティベリウスの物を使っているから遺言での懸念とは関係ないとも言い訳を付けて。


「だよね。あまりお話したことは無いと思ってたんだ」


 騒がしい神殿の、壁を挟んだ一室で、伯母(クロッチェ)がいつもの笑みを浮かべた。


 扉が閉じる。それだけで、また、音が少なくなった。


「それとなく気づいていてくれていたのなら、幸いです」


 立ち上がって出迎えながら、マシディリもおだやかに笑った。

 握手を交わす。クロッチェの手は、乾いていた。冬場の手だ。温かいのは、神殿で行われている騒ぎを楽しんでいるからだろう。


「カリヨさんは『ディアクロス』とは一言も言っていなかったもんね。リングアくんとルーチェちゃんも何も知らない様子だったし」


「ええ。私からは二人に何も話していませんから。その様子ですと、叔母上からも二人には何も話さなかったようですね」


「あまり良い話題では無いのかなー?」


 クロッチェの口元の皺が濃くなる。

 されど、実年齢よりも若く見える女性だ。母も、あり得ないほど若く見えたが、努力あってこそのモノ。そして、あまり笑わないからこそ母は皺が少なかったのかもしれない。それを思えば、若さの方向性が違うと評するのが妥当か。


「スペランツァくんですら、兄上に疑われている、と言って自粛しているくらいだものね」


 人の好い笑みだ。

 そのはずなのに目の奥が笑っていないように見えるのは、マシディリの心が見せる幻影か。


「自粛しているのは、軍令違反を犯したからですよ」

「フィルノルド様は、何もしていないような」

「私の軍事命令権に於いては使わない、と言うだけです」


 ふんふん、とクロッチェが頷く。

 演技も多分に混ざっているとは、先の会話で良く分かった。少しだけ外れていたマシディリからスペランツァへの評価も、これで正しいモノに修正できただろう。


「スペランツァくんにも、密使です、ってらーちゃんが来たのかな?」


 らーちゃん、とはラエテルのことだ。

 クロッチェは、姪孫(てっそん)のことを大分崩して呼んでいる。


「その節はラエテルがお世話になりました」


 マシディリも相好を崩す。愛息のことを思い浮かべながらの心から湧き出るやさしい笑みだ。


「いいえー。こちらも癒されましたから」


 にこにこと笑いながら、クロッチェが自身の前に出された茶にドライフルーツを落としていく。

 雑多に、では無い。入れる果物を選び、つまみながら茶に落としていた。一度弾いた果物も、順番があったのか後で入れる様子も見える。


「密使なのに、秘めてないもの。にこにこと笑って、遊びに来たみたいに」


 にこやかなまま変わらぬ顔が、茶からマシディリに戻ってくる。


「いつもと変わらない様子で、驚いたわぁ。エスピラくんが消えた可能性が高いと私達も把握していたのに、誤報だと疑ってしまったもの。マルテレス派が流せる可能性は低いのに、嘘なら誰が流したと言うのかしらね。

 でも、ふふ。行きの馬車の中でもらーちゃんは寝ていたと聞いてしまえば、もう。帰りも御者の奴隷に楽しかったと話してくれていたらしいわ」


「偏にクロッチェ様のおかげです」

「そう? ウェラテヌスの血のような気もするのだけど」


 クロッチェは、折角ドライフルーツを入れた茶にはまだ口を付けていない。

 そして、まだ、つける気もなさそうだ。


「マシディリくん以来の俊才と謳われているセアデラくんでは無く、らーちゃんが後継者になっても、外交を担当してきたウェラテヌスと考えれば妥当な話になりそうね」


「俊才の間隔が短すぎませんか?」


 困ったように眉を下げ、マシディリは自身の茶に口を付けた。

 ドライフルーツは、雑多な物が入っている。


「否定しないのねぇ」


「私の才覚に関しましては、父上に『ウェラテヌス最高の当主になることを信じている』と言われてしまいましたから。後継者につきましては、まだ定まっていませんよ。確かなことは、今、私が死ねば中継ぎの当主としてアグニッシモを就かせることと補佐にクイリッタを据えることだけです」


「アグニッシモちゃんは、これまでウェラテヌスの財として借りていたモノの返却を、ウェラテヌス邸にいることも含めて伺いを立てたのよね。タヴォラド兄さんから貰った土地の所有権も一時的にマシディリくんに渡そうとしていたとも聞いているわ」


「ええ。ご存知の通りですよ」


 アレッシアの誰もが知ることのはずだ。マシディリが一笑に付し、ウェラテヌスによるこれまで通りの支援とアグニッシモの財はアグニッシモのモノだと宣言したことも。その線引きも。


 そうなるように、情報を流している。


「誰がアグニッシモちゃんに囁いたのかしら」


「クイリッタ」

 少しだけ、考える。もう一人をきちんと言うかどうかを。

「とスペランツァに騙されたようですね」

 そして、伝えることにした。


「騙されたの?」

「二人も同じことをするから、一番管理が楽なアグニッシモからやってくれと言われたそうですよ」


 何で俺だけ、とアグニッシモは嘆いていたが、そういうところが政治力の無さだ、とクイリッタに断じられればすぐに黙ってしまったのだ。ただ、この問題に関してはきちんとアグニッシモ自身で真意にたどり着いたので、クイリッタは裏では及第点を与えていたこともマシディリは知っている。


「でも、似たようなことはしているわよね」

「ええ。特にエリポス人技術者は損得勘定で動く方々。これまでの研究成果を認めるとともにこれからの研究資金の提示、環境の整備も話し合い、合意に至りましたよ」


「大変ね」

「過密な日程でしたが、ディファ・マルティーマに行けてラエテルもソルディアンナも気分転換になったようでした」


 下の二人は、残されたことに文句を言っていたが、流石に幼すぎて厳しいのである。代わりにと、最近は一緒にいる時間を増やしているが、どこまで許してもらえたかは分からない。


「財政面も、よ」


「そこは御心配なく。父上は、唯一の汚点と言っても良いほどに母上に対して財をかけすぎていましたから。収入が多少は減っても、抑えられた支出を思えば余裕はたっぷりとあります。カルド島、ディファ・マルティーマとウェラテヌスの監督体制は揺るがないですしね」


 間を詰め過ぎず、無駄に声を張り過ぎず、何でもないことのように。それでいて、自信満々に紡ぐ。

 クロッチェも、ようやく茶を口にした。


「それは、建国五門会議の結果?」

「そう思いますか?」


 返答は、互いの笑み。


「技術者はその能力のみによって財を払っています。世襲では無いことはご理解いただけていますよ」


 話しを、前に。


「技術者だけかしら。ソルプレーサも、役職を外れたそうじゃない」

「正確には移行準備です。リャトリーチも無下にはせず、ソルプレーサの引退後は役職が上がりますよ」


 そして、話が別方向も整備する。

 クロッチェが両手を膝の上に置いた。足は閉じられ、揃え、少し斜めに。


「アグニッシモちゃんの話は、本題に関係あるかしら」

「いいえ」


 涼やかな顔で返す。

 なお、返答は、肯定と否定、どちらでも正しい。


(ですが)


 筋を通しに来たのだ。


 先に、マシディリが言うべきだろう。


「最高神祇官選挙について、トリンクイタ様が出馬されることに対しては否定いたしませんが、私は推薦人になることはありませんし、ウェラテヌスから協力することも協力を呼び掛けることも致しません。

 そう、先にお伝えしておかねばならないと思い、お呼びたていたしました」


「あら。護民官選挙のために才人を集めているから、と、言う話では無いのよねぇ?」


 クロッチェの顔に、驚きの色は一切ない。

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