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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
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豊作のために Ⅱ

 マシディリだって、最高神祇官の地位が欲しいか欲しくないかで言えば、欲しい。

 ただ、どうしても、では無い。まだ後でも良いとも思っているが、その『後』で手に入る保証も無い。


 なるほど。今は、確かに逃すべきではない好機かも知れないのだ。

 でも、不用意に敵は増やせない。マシディリも、年齢を障壁に感じている一人だ。。


 選挙が来年度になり三十三の年に、と考えても、流石に若すぎる。他の高官も最年少で歴任しているのだからと言う話はあるだろうが、だからこそ、マシディリは二の足を踏んでしまうのだ。


「第三軍団を含む半島外にいる者達の同意はアビィティロが取りつけます」


 マンティンディが、また一歩膝をするようにして近づいてきた。

 今のアビィティロ達の同意は、即ち軍事的な圧力にもなる。当然、それも計算に入れての提案だろう。故に不安なのだ。


「格付けをしておきましょう、兄上」

 クイリッタが声を小さく、されど力強くした。


「私がトリンクイタに最高神祇官選挙に出馬するようにと唆しておきます。そして、最高神祇官選挙に出たトリンクイタを兄上が叩き潰す。

 義伯父と言う立場、まるで功労者かのような振る舞いとディファ・マルティーマの初期統治に於ける実績、セルクラウスへの影響力。兄上と対等であると振舞いかねない危険分子とは早めに白黒つけておいた方が良いでしょう」


「勝てば、の話だよ、クイリッタ」

「トリンクイタの勝利で誰が得をするのですか、兄上」

「立候補者は二人だけじゃない」


「サジェッツァが出ると言う噂を流しつつ、パラティゾ様に抑えを担ってもらえばよろしいのでは?

 父上を害したサジェッツァが出ることに強烈な反発は多いのは想像できます。トリンクイタとしてもこの噂は歓迎すべきモノ。積極的に流し始めるでしょうね。


 その中で、パラティゾ様にはサジェッツァが出るべきでは無いと止めつつ、他の者も牽制してもらう。何なら、べルティーナ伝手にアスピデアウス派を止めても良い。


 存分に使いましょう。

 アスピデアウスとの婚姻関係にあるのは覆し様の無い事実。繋がりの利点は、アスピデアウスにも、業腹ですがウェラテヌスにもございます。


 今こそ、婚姻によって得た最大の利点を使うべき時ではありませんか?」



 マシディリは、白い息を長く吐いた。肩の力も、分かるように抜く。


「クイリッタもべルティーナが好き、と」

「気色悪いですよ、兄上。べルティーナが心身ともに良い女性であるのは認めますが、私の好みではありません」


 クイリッタが両肘を掴み、身震いをした。

 マシディリは苦笑を深める。


「家族愛に好みも何も無いでしょ?」


 クイリッタの否定の言葉は、素直じゃないいつものこと。

 むしろ軽く受け流す方が、クイリッタとしても万が一にも兄に疑われたと思わなくて済むだろう。


「サジェッツァ様には囮になってもらおうか」

「トリンクイタ様を踏み台にする策も、良い策だと思います」


 マンティンディが言う。

 第三軍団も? と言う意味を込め、視線を向けた。マンティンディが頷く。


「シニストラ様。ソルプレーサ様。アルモニア様。グライオ様。

 エスピラ様の四足と呼ばれた方々は、皆、優秀であることに加えエスピラ様を裏切らないと言う確信がございました。加え、エスピラ様もこの中の誰かに裏切られたのなら自分が悪いのだと言って憚ることはございませんでした。


 翻って、トリンクイタ様は如何でしょう。


 内政、特に歓楽に於いては誰よりも優れ、能力的には四足の方々に劣っていることなどありません。ですが、アルモニア様が頼ることは無く、ソルプレーサ様が話し合うことも無く、ヴィンド様も距離を置いておりました。最後はエスピラ様も警戒を深めております。


 このような者が神の傍に立つなどあってはなりません。いえ、アレッシアの神々が認めないでしょう。数多の父祖が、良しとするとは思えません。


 案ずることはございません。

 これは、最高神祇官を決める選挙。


 神々のご意思が最も反映されるのであれば、選ばれるのはマシディリ様以外あり得ません。むしろ、マシディリ様が出馬されないことこそが神々への不敬。


 誰も昇る太陽を止めることは出来ず、太陽の光を幾日も遮り続けることもできません。

 山は動かず、海は飲み干せず、明けない夜を作ることもできません。


 マシディリ様がエスピラ様の後継者であることも、これらと同じこと。誰も遮ることは出来ません。

 アビィティロからも、マシディリ様が渋られた際はと、説得の言葉を預かっています。


『マフソレイオは、豊作のために計画的な洪水を引き起こしている』と」



 無論、アビィティロがトリンクイタ排除に関しても考えていた可能性は低いはずだ。

 それでも、心のどこかにはあったのかもしれない。あるいは、選挙の出馬を渋った時でも、黙って籠り続けることに渋った時でも、どちらでも使える言葉か。


 ただ、と拳を握る。


 期待に応えるのがウェラテヌス。

 愛妻を守るために死力を尽くすのが、父の生き方。


 継ぐと言うのはそう言うこと。何より、マシディリもこの二つはかなえたいと願ってやまないのだ。


「策を、容れましょう」


 二人が一歩離れ、頭を下げる。


「北方諸部族の様子はどうですか?」

「反アレッシア派の者達が再び手を取り合おうとしている様子がありましたが、ウルティムスが謀を用いて分断を進めています」


「第三軍団を動かすことは可能でしょうか」

「問題なく。船の用意も進み、次こそはマシディリ様の傍で、と皆が息巻いております」


 マシディリは、受け止めるように力強く頷いた。


「春に、大攻勢を仕掛けるつもりで準備を進めています。

 グライオ様と第二軍団でフラシの攻略とプラントゥムを西から攻め、私達と第七軍団、ジャンパオロ様で東から攻略を。北方諸部族やハフモニを警戒しなければなりませんし、東方諸部族とも綿密にやり取りを交わさなければならないので、夏までに終わらせたいですね」


「カルド島は?」

「問題ありませんよ」


 安心いたしました、とマンティンディが胸をなでおろす。


「あの島を島単位で抑えられたのは、歴史を紐解いてもエスピラ様だけ。他の者では、結局五年と保つことができませんでした。今となってはウェラテヌスの大事な財源となっているだけに、よもや、と思っておりましたが。杞憂であったのならこれ以上の幸いはありません」


「父上の統治政策が非常にうまく嵌った結果です」


 引き続き同じ政策をとる、とは、エスピラが滞陣中に送った手紙だ。

 そもそも五年前にエスピラから半ば引き継いだ形にもなっている。今日も、この後で遺言の内容と共に再び誓紙を出して属州政府を安心させるつもりだ。


「エリポスは?」

「宗教会議に出るか、それとも最高神祇官が決まっていないことを引き合いに出して断り、マフソレイオに行くのを優先するか。はたまた別の地域に行くか。

 悩んでいる段階ですね」


 声にならない音を出し、マンティンディが口を閉ざした。頭も何度か上下している。


 すぐに答えは出ない問題だ。

 致し方ない。


「マンティンディ」

 マシディリは、声質を変えた。

 上位者としてのそれであり、新当主としての芯を通した声だ。


「はい」

 マンティンディの背が伸びる。


「一度、アビィティロにアレッシアに来るようにと伝えてください。その際、現場に於ける第三軍団全体の調整はマンティンディに任せます」


「アレッシアの神々に誓い、全霊でもって任務を遂行いたします」


(あとは)

 それでもやっぱり、筋は通さないといけない。


 マシディリはそう考えるとともに、今後の打ち合わせのためにもマンティンディをウェラテヌス邸に泊めた。

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