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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
1386/1590

豊作のために Ⅰ

 父上らしいやり方だ、とマシディリは思った。


『民に財の五割を配る』


 正確には様々な制限がかかっているが、大衆に広がっていく言葉はこれだけ。しかも、ばらまくのだ。輸送のための手段や人の割り出し、実際に配るための人手。それらを指示通りにやれば、半分以上をウェラテヌスおよびウェラテヌスの被庇護者の中に回収することは可能である。

 戻ってきた財を使って父の葬式を執り行うことも余裕だ。


「にわかには、信じられませんね」

 ぽつり、とセアデラが言った。


 子供達に残された手紙。その多くはウェラテヌス邸に隠してあるとのことだが、セアデラとフィチリタの分だけは神殿にあったのだ。父の気遣いに他ならないはずである。


(気遣いか)

 非常に、難しい問題だ。

 それが出来るのなら、死なないで欲しかった、と父に言いたいほどに。


「人が減ってから、父上の遺言の数々を運ぼうと思います」

「かしこまりました」


 神官が頭を下げる。

 それから、周囲を気遣うようにしながらマシディリに近づいてきた。


「最高神祇官選挙は、如何するおつもりでしょうか」


 何も決まっていない。


 それに、急かすべきことでも無い上に本来なら聞くべきことでも無いのは神官も承知だろう。

 静かに、ただ、己の主張を言うべく口を開いている。


「アレッシアの神々がエリポスの神々の下にあると思ったことなど、私達は一度もございません。しかし、エリポス人は下に見てくるのが常。宗教会議に呼ばれるほどの方が、再び最高神祇官に就いてくだされば、と、不謹慎ながらも願っております」


 即答は駄目だ。

 あらゆる言葉が言質となってしまう。

 故に、口にできる言葉は。


「元老院は執政官選挙の時期と近づけることで、どちらかだけにしか立候補し辛い状況に持っていきたいようです」


 声量を落として告げる。

 兄上、と部屋の外からクイリッタの声が届いた。


「愚妹から、遺言発表に間に合うように送りたかった手紙が来ております」

 ユリアンナから? と聞き返しにくい言葉だ。


「チアーラ。三人をお願い」

「アグニッシモ。泣いたら蹴るから」


 チアーラが冷たく言う。アグニッシモが反発した。フィチリタが、懐かしいね、と笑う。

 チアーラも、ようやく父と以前のような仲の良い関係に戻れたばかりだ。喧嘩していた訳では無いが、子供が生まれ、成長し、角が取れてきたところだったと言うのに。


(駄目ですね)

 マシディリは目を閉じ、神官に対して礼を取るとその場を離れる。


 部屋の外では、クイリッタが柱にもたれかかっていた。頭まで布を被った男らしき人物が、片膝を着いて控えている。


 クイリッタの態度を見る限り、信頼の置ける人物なのだろう。


「父上は、私が死んだ場合も想定されていたよ」


 だからこそ、まずは共有と伝達を。

 クイリッタも、羊皮紙を一枚差し出してきた。


「さもありなん、と言っておきましょうか」


「その場合はアグニッシモを中継ぎの当主として据えて、べルティーナがラエテルとセアデラの後見人になるように、とさ。婚姻が最善だけど、本人の意思に任せると書いてしまうあたりが父上らしいよね」


 受け取った羊皮紙を広げる。

 書かれている文章は、短い。


『婚姻する家が敵対することは、嫁いだ者に無能の烙印を押すことになるの。

 べルティーナちゃんは残さないと駄目よ。べルティーナちゃんも残るつもりだと思うし。子供達のこれからもそうだけど、きっと、べルティーナちゃんは兄上を一人にすることは出来ないし、兄上のこと大好きだから。

 だから、絶対にべルティーナちゃんを大事にすること。良い? 私の親友を泣かせたら殴りに行くからね。兄貴を』


 多分、文章の硬さに迷っていたのだろう。

 兄妹故に、その心が良く分かった。気遣いも染みわたる。


「クイリッタ」

「はい」

「ごめん。ユリアンナに殴られるわ」

「とんだ愚妹だ」

「クイリッタが」

「はい?」


 クイリッタが羊皮紙に手を伸ばす。

 ひょい、と上にやれば、クイリッタの手が空ぶった。


 クイリッタの憮然とした目がやってくる。

 されど、何も言わずにクイリッタは手を戻していった。苦笑しながら、マシディリは羊皮紙をクイリッタに渡す。


「泣かせたんですか?」

「何があってもべルティーナとは離婚しないよ。アレッシア中が敵になってせざるを得なくなったとしても、愛人として私の傍に置くとも」


「はいはい。好きなだけいちゃいちゃしていてくださいね」

「冷たいね」

「大分寛容な方だと思いますよ」


「それは、クイリッタはディミテラの傍にいれないのに、と言う意味かい?」

「関係ありません」


 ふい、とクイリッタがそっぽを向く。羊皮紙は押し付けられてマシディリの手元に戻ってきた。愛妹からの手紙であり、愛妻にも見せたい手紙である。


 マシディリは、おしつけられた羊皮紙を綺麗に丸め、懐にしまった。

 クイリッタが、とん、と柱から離れた。控えていた人物の方へと二歩動く。


「マシディリ様」


 男の声。いや、マンティンディの声。

 布を外すと、そこにはやはりマンティンディがいた。髪は綺麗だ。油は浮いていない。髭も剃り切ってはいないが整えられている。


 第三軍団に何かがあったわけではなさそうだ。


「新当主就任、執着至極にございます」


 低く落ち着いた声は、恐らくはマシディリの心情を慮ってのモノ。

 マシディリも鷹揚に頷きつつ、もう一度周囲に気を配った。


 人はいない。だからこそ、マンティンディが顔を露わにしたとも言えるのか。


「何かありましたか?」


 ただ、念のためマシディリはマンティンディに近づいた。

 マンティンディも一歩、マシディリへと踏み出してくる。


「まずは、アビィティロから謝罪を頼まれております。次いで、これもまたアビィティロから、策を預かってきたのですが、丁度遺言を聞けたのは神の思し召し。これぞまさに天恵。そう言わずして、何と言えば良いのものか」


「遺言と関係が?」

「動き出す前に、と言う意味では、まさしく神の寵愛を受けた機でしょう」


 マンティンディが両手を広げ、ばさりと音を立てた。

 懐から取り出すのは、一枚の粘土板。


「こちら、第三軍団からの署名にございます。改めてマシディリ様に忠誠を誓う証文。

 加えまして、アビィティロよりの伝言が。

『最高神祇官選挙に関しまして、しばらくは何も言わず、ただ家に籠られますように』、と」


「もったいぶらずに続きをお願いしても?」

 受け取った証文は、軽く目を通すだけですぐに脇に抱える。



「エスピラ様の後継者として受け継ぐには、やはり、最高神祇官も必要だと考えております。世襲では無いにせよ、エスピラ様の後釜と名乗る者を増やさないためにもマシディリ様の就任が最善。何より、最高神祇官には身の安全を保証する法がついております。


 ただ、幾らエスピラ様の遺言で全ての後継をマシディリ様に指名しても、先ほども申し上げた通り世襲では無い役職を世襲することに反発も大きくなりましょう。年齢も問題です。エスピラ様の時でさえ若すぎるのではと物議を醸しました。マシディリ様は、それよりも四つ下。マシディリ様が積極的になれば、その分反対も強固になるのは自明の理。


 そこで、他の者に推薦してもらうのです。


 あくまでもマシディリ様は推薦されたから選挙に出ただけ。推薦した者も、マシディリ様を推薦したからには最後まで推し切る。


 最高神祇官の投票権は常駐神官と元老院議員が持っています。我らの行動だけでは票田には直接は繋がりません。ですが、旧伝令部隊の者が軍団の骨になっている今ならば、普段よりも説得力が増しているはず。


 大勢からの推薦の声で、一気に押し切りましょう」


 声を張り上げることなく、ただ力強くマンティンディが締めた。

 マシディリは、口を閉ざしたまま。先に動いたのはクイリッタである。体の向きをマンティンディと並ぶかのように変え、マシディリと正面合わせの形になったのだ。


「兄上。私も、兄上が最高神祇官になるべきだと考えておりますし、出馬表明期限の際まで兄上が態度を保留にしておいた方が都合が良いとも考えております」


 多分、作戦は少しばかり違うのだろうが。

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