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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
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エスピラの遺言

 神殿の外にいる野次馬は、非常に多い。


 誰もが一刻も早く遺言の内容を知りたいのだ。野次馬精神によって、あるいは今後の家門の判断に影響を与えるために。


 サジェッツァですら、近くの建物に見えた。ただ、サジェッツァの場合は他の人達よりも複雑な事情があるはずである。無論、見た人は、かなり単純な捉え方しかしないのだろうが。


 馬が止まる。

 サジェッツァは簡単には見えない位置になった。


 アスピデアウスの短剣がエスピラに贈られたことは、今や誰もが知っている。誰が送ったかも、既に大衆の知るところ。どこから漏れたかなど、判別できるはずも無いのだ。


 だから、義父には申し訳ないが、今は見えないに越したことは無い。


「ありがとうございます」


 奴隷に声をかけ、台車から降りる。

 地面に降り立てば、すぐに手を伸ばした。あまりよく眠れていないのか、少々瞼の腫れているフィチリタが手を取ってくれ、力なく降りてくる。セアデラは「大丈夫です」と言って、自らの力だけで降りた。


 ラエテルは連れてきていない。

 べルティーナも、念のためウェラテヌス邸に残してきた。

 他の弟妹および叔母は既に神殿の中にいる。ただし、ユリアンナだけはカナロイアから動くわけにはいかなかった。


「人が多いね」

 言って、堂々と立ち続ける。

 動きはしない。人ごみは道を無くしているが、すぐに神殿から出て来た神官が守り手たちに指示を出して道が開けていく。


「行こうか」

 それから、ペリースを揺らして堂々と歩きだす。

 多くの視線は無視。何も気にせず、堂々と。神殿の中まで入ってしまえば、野次馬は入ってこられないのだ。


「お手数をおかけいたします」


 返事は、厳かな礼だけ。


 クイリッタ、チアーラ、スペランツァは見た感じはいつも通り。レピナはフィロラードにしがみつく形で立っている。アグニッシモは、険しい顔で唇を波打たせ、うつむいていた。拳は固く握りしめられている。


 リングアは、端で小さくなっていた。隣に立つカリヨは完全に堂々としている。表情からは何も読み取れない。


「全員、揃いました」


 マシディリも、列へ。

 母の時も行った儀礼が執り行われる。嫌な慣れだ。手順が分かるのは、良いことでは無い。


 儀式は、粛々と進む。


 冷たすぎる空気も、太陽の光などほとんど無く火の明かりだけの薄暗い室内も。誰が心情を反映しろと頼んだのか。


「では、個人の遺言を発表いたします」


 神官の言葉の後、神官の横に持ってこられたのは台。

 数枚の粘土板と、多くの紙。あまりの多さは遺言発表ではありえないほどの量。


「父上らしい」


 感情を、マシディリは素直に吐き出した。

 クイリッタ、チアーラ、スペランツァ、フィチリタの肩が揺れる。


「長くなりそうですね」


 クイリッタも、少しふざけた一言を。

 アグニッシモの顔が上がり、不器用な笑みを浮かべていた。


 神官が、静寂を待つ。


 たっぷりとした間だ。


 持ち上げられたのは、一つの粘土板。

 全員が、粘土板に注目した。



「『全てを、マシディリに』」



 母上が真似をされたのか。

 発表の順で言えば父が真似をしたはずなのだが、先に浮かんだのは順序が逆のことであった。


 ことり、と一つの粘土版が台に戻される。


「『ウェラテヌスの後継者はマシディリであり、政治的な後継者もマシディリである。他の者に残すモノは何一つ無い。


 ただし、クイリッタで言えばカッサリアの財、スペランツァで言えばセルクラウスの財、アグニッシモで言うところのタヴォラド様から貰った土地はそのまま本人の物である。


 また、以後はマシディリの判断に従うが、私はマシディリから弟妹達へのこれまで通りの支援を望み、クイリッタ以下の弟妹達もマシディリを良く助け、支え合って欲しい。


 聡明なお前達に対しては言うまでもないことであるが、間違えても、マシディリを退けて当主になろう、マシディリの権力を削ろうなどと思わないように。

 兄弟の対立は必ず家門の衰退を招く。分裂は他の者の介入を許し、争いを激化させることしかしない。


 マシディリは弟妹を始めとする家門の者を慈しみ、他の子は皆でマシディリを支えるように。くれぐれも頼む。また、子供達の争う様は私だけではなく、ただひたすらにメルアを悲しませることである。


 良く良く仲を深め、協力し、これからの困難にあたり、平和な喧嘩に終始し、皆がいつまでも食卓を囲むことのできる兄弟であることをただひたすらに望んでいる』」



 簡潔に済ませたのに、結局は長くなる。

 これもまた父らしいとマシディリは思った。


 粘土板は、三枚目へ。

 無論、わざと分けているのだろう。粘土板自体にはまだ余裕があるはずなのだ。


 神官が、一つ、息を吐く。緊張感に満ちた息だ。この息だけで、手に汗が滲んできている様が想像できてしまうような息であった。


 神官の硬い視線が、粘土板に注がれる。


「『これは、遺言であり命令であり、旗である。


 リングアを当主にしようとする動きや対抗馬に仕立て上げようとする動きがあった場合、その者を必ず誅殺せよ。誰であろうと構わない。それは、ウェラテヌスの敵である。


 同時に、マシディリ以外の者を当主に据えようとした者がいた場合、その者も必ず誅殺せよ。

 マシディリの中には、敵が誰であろうとも追放出来るだけの情報はあるはずだ。容赦なくその情報を用い、その者だけではなく手を組んでいると思わしき者も全て抹殺するように。


 当主はマシディリ以外あり得ない。

 少しでも怪しい動きをすれば、即ち敵である。


 例えカリヨであっても容赦はするな。リングア自身でも、先の粘土板とは話が違ってくるだろうが、容赦するな。何人たりとも認めない。私の死後から遺言発表までに動いた者がいた場合、その者らの首を必ず私の墓に飾れ。


 マシディリに対抗馬を持ち出し、あるいは権力を削ろうとした者は誰であれ敵である。多少やり辛いと思う相手であっても、私の遺言、命令として必ず討ち取れ。


 私の継承はマシディリ以外には認めない。

 主張すら敵である。


 些細な罪もまた裁き、必ず盤石な体制にするように』」



 マシディリは、リングアに視線を向けないように注意した。

 クイリッタは容赦なく向いたようである。リングアがさらに小さく縮こまってしまったのは、容易に想像が出来た。


 粘土板が、三度変わる。


「『これよりは、多くのアレッシア人にも関することを三つ遺す。


 一つ、奴隷を除く動産の類の内、半分を一軒家(ドムス)を持たない民に配ること。詳しいことは、別紙に記載する。


 一つ、私の葬式は質素なモノにすること。ウェラテヌスの財はアレッシアのためにある。アグニッシモとスペランツァを始めとする者達は貧乏をあまり感じなかったかもしれないが、ウェラテヌスは元来、建国五門の中で最も貧乏な家門だ。過度に豪華な暮らしなど必要ない。

 ただし、体裁もあるだろう。私の葬式は三日までは許可する。四日以上はやらないように。


 最後に、カリヨ。

 生きていれば、最後に残してしまって申し訳ない。ただ、兄はお前を愛していた。最後までそれは変わらない。多くのアレッシア人がいて、様々なことがあって、様々なことを言われてきた。でも、お前だけは特別だ。最初の特別にして、最後まで特別だ。


 遺言によっては厳しいことも読み上げていると思うし、それ以上に厳しいことも書き残している。許してくれとは言わない。ただ、これほどまでに警戒せざるを得ない才女に育ち、ウェラテヌスにとって大きな存在であり続けてくれたことを誇りに思う。


 子供達がアレッシアを大事にしてくれるのは、カリヨの力に依るところが大きい。


 どうか、これからも子供達を支えてくれ。これが、私の一生に一度のお願いだ。死しているが、折角ならば使わせてくれ。


 以上で発表自体は終わる。後は、他にも書き残したこと、頼みたいことがあるが、全て新当主であるマシディリの下で実行の是非を判断してほしい。


 マシディリが、ウェラテヌス最高の当主になることを信じている。



「アレッシアに、栄光を」』



 以上と、なります」


 神官が静かに言って、粘土板を置いた。

 すすり泣く音が、静かな空間に静かに広がる。


(最後、か)


 マシディリに、実感は、無い。

 考えたくないからかもしれない。理解していないのかもしれない。


 大きく変わる。それだけは、確かだ。


「また、故人よりの言葉となりますが、他家門に入っていない方、即ちマシディリ様、チアーラ様、アグニッシモ様、フィチリタ様、セアデラ様およびマシディリ様の御子様のみにこちらの遺言を渡すようにと仰せつかっております」


 ず、と崩れそうなほどに積まれた紙が、少しだけ前に出た。

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