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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
1383/1590

勝利の凱旋か、沈黙の帰還か

 勝利の凱旋か、それとも沈黙の帰還か。


 それは、分からない。

 確かなのは、出発時とは全く違った光景に見えること。そして、凱旋式並みに人が集まりつつも活気はあまりないことだ。


 帰国した軍団は、第一軍団とフィルノルド隊、マシディリが率いているプラントゥム以来の精兵と再編第四軍団。この内、第一軍団とプラントゥム以来の精兵がマシディリ達の帰還と行動を共にしている。


 スィーパスへの備えと冬場であるために帰国できなかった者は第二軍団、ジャンパオロの北方軍団、第七軍団、クイリッタが率いていた第八軍団だ。この軍団は、グライオが陸に上がり、総指揮を執る。第三軍団は、今はまだクルムクシュに待機。


 それから、帰国した軍団の末尾にはマルテレスとオプティマの棺桶も同行させている。こちらは人の近づきは禁止しているが、英雄の帰国として加えた形だ。戦果報告の意味合いも籠っている。


(これで、確信を持たない者はいなくなりましたね)


 父の死の伝達。

 此処からも、また勝負所だ。


 冬の間にある程度目途を付けてから、プラントゥムに引き返してスィーパスを討伐する。そのためにもやることは山のようにあった。相手の出方が少し違うだけで大きく変わることも、たくさんある。


(やることが多い)

 今の救いは、悩みごとの多い顔をしていても許されること。


 父親が死んだのだ。暗い表情も許されよう。

 群衆も、誰も咎めるようなことは言わず、行動を起こさず、ただ見守ってくれている。


「べるてぃーな」

 その群衆の中に、愛妻を見つけた。後ろではリクレスが一生懸命手を振っており、乳母に落ち着くように言われている。


「マシディリ様」

 後ろから掛けられる諫めるような小声を無視して、列を乱す。

 前方にいるべルティーナには、咎めるような色は無かった。ただ、疑問は抱いたようである。


 そんな愛妻に馬上から手を伸ばし、頭を撫で、頬を撫でる。

 軍団は静かに停止してしまった。なおも無視して、愛妻に触れる。


「マシディリさん」

 きゅう、と手が掴まれた。

「皆さんが困っていますよ?」


 名残惜しい。

 が、離れるしかない。


 馬首を返し、再び列へ。軍団もゆっくりと歩みを再開した。


 儀礼を繰り返し、父を神殿に安置する。処女神の神殿でも良かったが、信奉する運命の女神の神殿にした。無論、処女神の神殿への説明や配慮も怠ることは出来ない。


 対応するのも神殿関係者だけではなく、弔問客や元老院議員とも話をしないといけないのだ。しかも、彼らは利害を図ろうともしてくる。この後もウェラテヌスとの関係を続けるか。それとも、無傷に近いアスピデアウスへと尻尾を振るか。


 面倒くさいあれこれが終われば、すぐに母の下に足を運んだ。


 まずは謝罪。たくさん。父を死なせてしまったことも、真っ先に会わせられなかったことに関しても。尤も、父の最期の言葉と表情を見る限り、もしかしたら会えたのかも知れないが。


 そして、父の最期の様子を呟いたのは、同じく墓参りに来ていたフィチリタとセアデラのためでもある。


 マシディリは、下唇を一度噛みしめると、覚悟を持って二人に正面を向けた。

 二人の顔は、暗い。太陽のよう、華のよう、ヒマワリのようと言われていたフィチリタは、本当にもう立っているのが不思議なくらいの顔だ。


「申し訳ありません。私が、父上の傍にいたのに」


 フィチリタの肩が揺れる。顔は下に。手で顔を覆い、しゃくりあげる声だけが聞こえて来た。

 幼い時のように姉と手を繋いでいるセアデラは、首を横に振っている。


「私達は、父上の死を人の所為に出来ます。ですが、兄上達はできません。一番苦しいのは、手の届く距離で届かなかった兄上達。

 私が恨むのは、手を伸ばす距離にも居られなかった自分自身だけです」


 きゅ、とセアデラが唇をかみしめた。

 真っ赤な目だ。でも、下を向こうとはしていない。力強く、マシディリを見てきている。


「人の所為に出来ていないじゃないか」


 上手く、笑えなかった。

 ただただ妹弟の頭を撫で、霊廟を出る。


 その後の音は、聞かないふり。


 全てが終われば、午前中に帰還を始めたはずなのにもう太陽は沈んでしまっていた。

 当然、子供達は寝ている時間である。子供達どころか、奴隷もほとんどが眠る時間だ。


 だからこそ、マシディリは静かに帰宅した。

 一応使いは出すが、出迎えは不要とも伝え、忙しい明日からにも備えるように、と。


 ただし、一抹の期待はあった。

 そして、期待は報われる。


「おかえりなさい」

 玄関で、愛妻が両手を広げる。


「ただいま」

 吸い寄せられるよう、ほぼ何も考えずに愛妻に抱き着いた。ゆっくりと手を回し、しっかり抱きしめる。


 力が抜けそうだ。

 だが、やるべきことはまだある。

 この温もりを失わないことも、また、大事なことだ。


(どうしましょうか)

 帰還は良いことだけではない。軍事命令権を守らねばならないし、外国への発表も待っている。時期的に宗教会議にも出席できてしまうのをどうするべきか。最高神祇官選挙に誰を候補者に立てるか。トリンクイタやカリヨの動きはどうなのか。


(父上の遺言発表までに、ある程度事を進めて)


 思いながら体を離そうとするも、熱源はくっついたままだった。背中に回された手が、少し強くなる。


「べルティーナ?」

「何を考えていたのかしら」


 芯の通った、はっきりとした声。

 甘えている訳では無い声だ。


「今後について、ですね」

「その顔で?」

「その顔でって」


 マシディリは左手を持ち上げ、自身の頬を触った。

 良く分からない。いつもと変わらない気もする。そのマシディリの手の上に、べルティーナの手が重なった。


「無理をするのと踏ん張りどころは違うものよ。


 お義父様が亡くなって、マシディリさんがやらないといけないことは本当に多かったと思うし、これからも多いと思うわ。ウェラテヌスの者として、やっていかないといけない責務だもの。逃げてはいけないし、逃げない貴方を誇りに思っているわ。


 でも、私の前でも同じことをするのかしら。


 私の前でも踏ん張らないといけないの? 私が、それほど気の抜けない伴侶に見えて?

 私の前でマシディリさんが頑張ることは、無理をしていることだと思ったのだけど」


 指先が最後に残るように、力が抜けるように。

 マシディリは、左手を自身の顔から放した。くるりと回し、愛妻の手と、指と指で結ぶ。


「父上が、死んでしまいました」

「そうね」


 もう一度、愛妻を抱きしめる。


 やわらかい。

 あたたかい。

 やさしいぬくもりだ。


 生きているからこそ、全てを実感できる。


「ウェラテヌスの、当主になっちゃいます」

「ええ」


「アレッシアの今後も背負わねばなりません」

「重いわね」


「疲れました」

「それでも、あなたが生きて帰ってきてくれて、私は嬉しかったわ」


 背中に回された手が、また強くなった。

 愛妻の顔が横に来る。頬がくっつき、小刻みに揺れて。あたたかい何かが頬にあたった。小さくしゃくりあげる声も聞こえてくる。


「べルティーナ?」

「あなたっが、泣かない、から」


 あなたのせいよ。あなたのせいよ。と、べルティーナが震える声で繰り返す。


 ああ、と思う。

 愛妻が、泣いたことがあっただろうか。


 あまり記憶にない。いつも気丈で、背筋を伸ばしていて、根っこは不器用な、そんな自慢の妻だ。

 そして、もう一つ。今日の姿もまた、妻の自慢できるところだ。


「べルティーナ」


 愛妻の後頭部に手を回し、より強く抱きしめる。


 言葉は、何もない。

 ただ抱きしめるだけ。


 冬の寒さも分からないほどに、抱きしめ続けて。


 次の朝陽は、徐々に近づいてきていた。

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