ピエモン・フースの戦い Ⅲ
その夜も、いつもと変わらない。
時が来れば第七軍団の威嚇行動は寝ずの当番だけになり、音も光も弱くなる。対して、ピエモン・フースに籠るオプティマ側も、夜は襲撃のために一気に静かになった。
息を吐く。
白い。真っ白だ。
兵達の手には布を巻き、足にも巻いている。寒さ対策だ。相手の行動に対し一歩遅くなるのが難点であり、その精神的負荷が兵の行動にも大きく変わってくる。
(今の第七軍団なら、大丈夫だとは思いますが)
息を一つ。
冷静な目で周囲を見る。暗闇の所為で遠くまでは見えないが、それでもヒブリット、コパガ、ユンバ、ピラストロと言った面々は目に入った。他にも多くの高官級の人間を集め、兵の精神安定に努めている。
息を吐きながら、空を見た。
月は無い。星は綺麗に瞬いている。冷えているからか、いつもより余計に綺麗に見えた。
(星を見る占いもありましたね)
レピナが生まれたばかりの頃、フィチリタが父に一生懸命語っていた様子が鮮明に思い出せる。両親の気を引きたくてたまらなかった妹が、また、両親の代わりをしなければならないのか。
わあ、と喚声が上がった。
マシディリは、手をゆっくりと上下させる。
まだ動くな、と言う合図だ。
まだ違う。本命の攻撃では無い。いつも通りの夜と思わせるための攻撃。
そう、判断して。あくまでも音で。父譲りの鋭敏な耳でとらえながら、そう判断し。
次に味方にも目をやる。動きは少々あったが、我慢してくれたようだ。
襲撃音は続く。少数の当番による反撃も、松明の動きも光の動きも。
動きを最小限に堪えつつ、一息。
正念場だ。こちらも安定してもらわねば困るが、あちらも少数で持ちこたえてもらわないと困る。それから、遠く離れた北方、パライナの判断も。
襲撃が、一度止まる。
いつもの流れでもあった。
どこか浮いていた腰が、一つ下がる。マシディリだけではない。周りも兵も、心なしか頭一つ分下がったように思えた。
次の音。
兵の反応も、先より過敏だ。暴走が起こらなかったのは、その音が遠くだったからかもしれない。
(南西)
ペリースの下で、左手を強く握りしめる。
もしかしたら、父もそうしていたのかもしれない。周りに悟られないように、されど、心を落ち着かせるために。反応を隠せるペリースの下で。
静かに深く、息を吐く。
南西の陣を預けたのはヴィルフェットだ。ともすれば不和を撒くような抜擢であるが、ファリチェやヴィエレと言った歴戦の高官は兵の安定に使いたい。スペンレセは元々東の陣を任せていた。山と言えばパライナであり、こちらの安定に他の伝令部隊出身者を使うのならポタティエもこちらに残すのは自然な流れ。
(攻撃が長いのは当然のこと)
いつもより長く揺れ動く南西の光を見ながら、思考する。
無意味な思考かも知れない。でも、考えているだけでも何かをしている気にはなる。
作戦の失敗か。
考えすぎで、南西の陣を攻撃するのが本当の狙いか。
視線が増えたのは何となくわかる。いや。マシディリの心がそう思わせているだけかも知れない。待つだけと言うのは過大な精神的負荷だ。暗闇ならなおさら。落ち着かせるにも、言葉が多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。
(神よ)
腰に付けた神牛の革手袋を取り外し、口づけを落とす。
攻撃が長い。その割に、前方から動いていない。攻撃箇所が言うほど変わっていない。
詰まるところ、本命では無い。
手の冷たさも、鼻の冷たさも、全ては寒さのため。それ以外は無い。そう言い聞かせ、ゆっくりと呼吸を繰り返す。腹を動かし、鼓動をゆるやかに変え、内面を一切悟られないように泰然とした様だけを兵に示すのだ。
「マシディリ様」
兵が一人、近づいてきた。
「敵が、出てきたものと思われます」
この敵は、オプティマのみを指す。
では、どうオプティマと断定するのか。それは数。大軍が出てきたのなら。
大軍かの判別は、陣から出て隠れている兵が地面に耳を付けて行った。そして一度きりの合図を身振りだけで伝え、それを暗闇の中でもどんどんと伝えていき、マシディリの下へと。
つまり、時間はかかる。
それでも間に合った。
今夜三度目の喊声。
これが、本隊の攻撃合図。
「全軍に通達。作戦通りに」
百人隊長が一足先に手の布を外す。その後、十人隊長の最初の一巻きを百人隊長が外し、手を自由にした十人隊長が自身の部隊の一巻き目を外していく。
そうして解放した軍団で狙うのは包囲。
陣深くまでやってきた敵兵を、一気に叩くのだ。
四方から。敵が全軍の三千を連れてきても完全に上回る六千の兵力で。
「パライナも上手くやったようですね」
山地の陣から火の手が上がる。
正確には、陣から上がったのかは分からない。その近くを燃やしているだけの可能性だってある。
ただ、合図だ。
わざわざ攻撃箇所を伝える訳が無い。
火の手を上げるのは、味方に伝えるため。マシディリ側の戦意を上げるため。
即ち、ピエモン・フースに雪崩れ込み始めた証。
今回の作戦は単純だ。餌とした陣地に敵を攻め込ませ、手薄になったピエモン・フースを狙う。そのためにパライナ隊は十全な数を用意し、ファリチェ隊から一個大隊をパライナ隊陣地の守りに配備した。
また、敵が逃げる可能性もある。そのためにマシディリ、ファリチェ、スペンレセ、ポタティエは後方に待機。ヴィエレ隊が陣の守りを担当し、数で負けるまでは踏ん張る。
それだけ。
どちらかと言えば、撃滅に重きを置くと見ての作戦。逃げるのを前提としないだろうと言う想定を厚くした作戦だ。
オプティマが、マルテレスについたのなら。
即ち、生き延びて戦うことよりも思いっきり戦って死にたいのだろうとマシディリは考えた。簡易的な陣を突破しづらかったのも、百人程度でも十分に守れていたのも。死兵だから。付き従うよりは、もう死にたい者。あるいは、マルテレスに殉死したい信奉者。
それを、オプティマがまとめた。
共に死ぬために。
戦いの音が落ち着き始めるとともに、夜が白み始める。
白い布を上に掲げ、オリーブの代わりか葉のついた枝を掲げた二人組が出て来た。鎧は汚れているが、剣や盾は持っていない。
「オプティマ様から、最後の言葉を預かっております」
兵が見守る中で、二人が膝を折る。
マシディリは、威厳を持って頷いた。
二人の顔は下がったまま。慇懃な雰囲気は、敗残兵のそれでは無い。
「『楽しかった』。そう、仰せでした」
二人が、懐から物を取り出す。
指輪と短剣だ。
オプティマの指輪と、ヘルニウスの短剣である。
「同胞の武装解除を。それから、オプティマ様の遺体の防腐処理を行い、同胞達と共に帰国してもらいましょう」
戦後処理は、まだまだある。
それらに対する方針は『寛容に』。
一日だけマシディリもピエモン・フースに残り、簡易的に哀悼を捧げ、ファリチェに任せて街を出る。
まだ、戦争は終わっていない。
マシディリは、プラントゥム以来の精兵と共に、プラントゥムとの境界線へと歩を進めた。




