やはりそれは出来ない
布陣したからと言って戦闘になるとは限らない。
グエッラとマールバラがピエタ近くの丘で相対した時も互いに布陣と引きこもりを繰り返しながら様子を窺っているようであった。
もしかするとこのまま戦わずに冬を迎えるのではないか。いや、もう冬だからこそ雪が積もり戦わない時期を迎えるのではないか。
そう言った希望的観測も持ち上がっては来たが、残念ながらそうはいかず。
ついに両軍が布陣したと言う報がもたらされたのはマルテレスがアレッシアに帰ってから十日後のこと。
(丘の上を取られはしたが近くに兵を隠せそうな木々や障害物は無し。一見すると良い場所を戦場に選んだようにも見えるが)
気になるのは先に到着したのはマールバラの方だと言うこと。
そして、エスピラが送った確認の兵は近づけずに終わったこと。
アレッシアにおいては臆病者と罵られる行為ではあるが、エスピラが軍事命令権保有者であれば雪が積もるのを待ちたい展開ではある。
「今更改めて決めることは何も無いでしょう」
サジェッツァが木の板を置いたのを見て、まずはコルドーニがそう切り出した。
そのコルドーニが、ぐるりと集まっている軍団長補佐以上の高官を見渡す。
「私の下にも護民官とやらから『脅し』に似た手紙が届いているのです。基本路線通り、見捨てる他私たちは何もできないのは自明の理。独裁官たるサジェッツァ様ならいざ知らず、副官のエスピラの下にも『独裁官グエッラ・ルフスの名において処罰することもできる』と書かれた手紙が届いているでしょう?」
エスピラに聞いているようで聞いていない。
あくまでも全軍に伝えるための言い方だ。
「臨時の最高職である独裁官を二人任命する、それも最高職である独裁官の意見を無視して決める時点で元老院は迷走していると言えるでしょう。歪みを現場で正すこともやむなし、かと」
と、コルドーニが結ぶ。
「正すべき歪みの根本はそこではありませんが。おおむね同意いたします。独裁官二人という前例が無い以上、例え自分が率いていない軍団でも処罰できると、平民に弱腰の元老院が認めると思って動いた方がよろしいかと愚考致します」
軍団長補佐筆頭の一人、クヌート・タルキウスがコルドーニに同意するように続いた。
そこは私の政治力の無さだけどな、とエスピラは一人心の中でごちる。
これがサジェッツァ独裁官のグエッラ執政官ならば抑えることが容易だった。
サジェッツァもグエッラも執政官ならば会戦に対して強引ではあるが拒否権が存在した。
ただ、独裁官同士ならば相手に縛られることは無い。グエッラもそのことを分かっているのか、こちらに情報を渡してこないのだろう。それどころか情報収集を妨害してくる始末だ。
もちろん、グエッラの指示か他の者が忖度した結果かは分からない。
「ボストゥウミ様からも余計な手出しはするなと常々言われておりますから。何もしないと言うよりは何もできない、と言うべきでしょう」
エスピラの昇格に伴ってもう一人の軍団長補佐筆頭になったスクレッツィオがそう結んだ。
高官たちの視線がサジェッツァに向かう。サジェッツァの口は開かず、感情の無い視線で手紙を眺めていた。何を考えているのかは分からない。
エスピラは少し大きめに息を吸いこんだ。
「基本路線は話した通り。マールバラに決定的な勝利を与えないことで奴のこれまでの勝利の価値を貶める。そのためには野戦を避けるべきなのは此処にいる皆の共通認識だと思います。幸いなことにもうすぐ雪が積もる。雪が積もれば確実にマールバラが止まると言い切ることは出来ませんが、これまでと違って会戦に勝利したのに未だに二万を超えるアレッシアの大軍団が目の前にあるのは十分にマールバラが受けている神の寵愛が無くなりつつあると、そう認識させることが出来ると思います」
ですので、方針は変わらず。
マールバラの動向を注視して陣を堅固に守り、アレッシアの軍団が健在であることを内外にアピールし続けましょう。
とエスピラは締めた。
異論は出てこない。
当然と言えば当然だ。
決まっていた方針であるし、向こうが余計な手出しをするなと口うるさく言ってきているのである。比較的近くに居るのに、補給部隊を分けざるを得ないほどにサジェッツァの軍団は目の前のグエッラの軍団からもアレッシアで主流派になっている者達からも睨まれているのだ。
もう少しセルクラウスの領地が少なく、トリアンフが余計な真似をしなければと思わなくもない。
そうすれば、タヴォラドからの支援がきっちりとあったのだろうから。あるいは、カルド島にメントレー・ニベヌレスが行っていなければ。だが、メントレーはエスピラ達を『英雄』に祀り上げるためにはカルド島に派遣せざるを得ない人材である。
(裏目裏目だな)
神に愛されているならばもうちょっと良い思いをさせてくれよ、とエスピラはカルド島で石遊びを誘ってきた友人へ文句を浮かべた。
会議の雰囲気も終わりを迎え、各々が今日の予定を思い浮かべ始めたのだろう。
空気が緩み始めた。
「朋友が危機に陥るならば出陣し、これを打ち払う」
その緩んだ空気が、一瞬で引き締まった。
全員の視線が一斉にサジェッツァに向く。
想いは様々。されど更なる説明を求める気持ちは同じ。
朋友とは誰だ? おそらく、グエッラ・ルフスらを指している。皆、それは分かっている。
「お言葉ですが」
グエッラの件があり諫言がし辛い雰囲気が陣中に流れているのは知っている。
そのため、エスピラはいの一番に口を開いた。
「マールバラの末弟が最強の騎兵であるフラシ騎兵を中心とした五千の兵でこちらを睨んできております。他にも三千ずつの兵がグエッラ様の軍団と合流する際の障害として配置されており、間違いなく囲まれるでしょう。
それに、彼の軍団の者達に煮え湯を飲まされた者も数多くおります。その軍団を救うために罠に踏み込むなど、兵の士気があがりますでしょうか。食い破ることが出来ますでしょうか」
「私が動かないと言う想定で動いている敵を打ち破るのに時間はかからない」
サジェッツァが静かに返してきた。
エスピラは横目でコルドーニや軍団長補佐筆頭二人を確認したが、口を開く気配は無い。
「マールバラの策にこちらの動きが組み込まれていない保証はありません。その場合、最悪の結果を掴まされることになります」
「知っている」
「グエッラ様は体の良い頭なのかは分かりませんが、確実に今回の不和の中心人物です。そもそも今のアレッシアが割れたのは民会がグエッラ様を副官にねじ込んだからこそ。そのことを理解していない者は一人もおりません」
「副官になった後でも打てる手はあったはずだ」
本当にサジェッツァか? とエスピラは思わず考えてしまった。
他の方法を模索する、相手にばかり責任を押し付けないのはサジェッツァらしいと言えるだろう。だが、グエッラによって、護民官によって作戦を潰され、無能の烙印を押され、臆病者の誹りを受けて怒りを抱えていたのは、一番抱いていたのはサジェッツァでは無いか。
エスピラは、酒の入ったサジェッツァを知っているからこそ、余計にそう思ってしまった。
「士気は上がらず、得るモノは少なく、懸けるモノに対して見返りが非常に少ない戦になります。何より、これまでの方針を大幅に転向する決定です。あまり、よろしい決断ではないかと」
サジェッツァの顔が動き、今日初めてエスピラと目が合った。
「エスピラ。私が守るのはアレッシアだ。そしてアレッシアを救うためには一人でも多くの力が必要だ。グエッラ・ルフスは優秀な人材だと言えるだろう?」
それは、エスピラが軍団結成当初に文句を言う人に言ってきた言葉だった。




