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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
1376/1589

落星

 緋色のペリースを揺らし、最前線となる陣を進む。


 止める者はいない。堂々と、ただし、基本的に兵には動きを止めることなく準備を進めるように言い含めている。そして、彼らはしっかりとその命に従い、戦闘準備に勤しんでいた。


「クーシフォス」


 その奥地。

 馬の体調を確かめている軽装騎兵副隊長に声をかける。

 様、と付けるかどうかは、少しだけ迷った。


「マシディリ様」

「残念なお知らせがあります」


 ぐ、とクーシフォスが口を閉じた。

 目にも緊張の色が宿っている。


「スィーパスの才覚では、プラントゥム一つすらまともに治めることは出来ません」


 クーシフォスが顎を引いて首肯した。


 マシディリも頷き返し、あえて無言で見続ける。数秒の、間。風が僅かに吹き、馬が鳴く。あちこちで鎧の奏でる金属音と戦いの前の談笑が聞こえて来た。


 クーシフォスの目が、一度左右に動く。


「それだけ、ですか?」


 戸惑った声。

 はい、とマシディリは簡潔に返した。


「えっと、それは」

「仮に、幼い弟妹を助けた時にスィーパスも投降してくれば、許して構いませんよ」


 マシディリは、分かるように肩の力を抜いて伝えた。

 幾分か表情のやわらかくなったクーシフォスが、目を閉じて首を横に振る。


「投降しないと思います。スィーパスが良く一歩引くふりをしていたのは、意固地にならないための自己防衛なのです。一歩引かなくて良くなったスィーパスは、仇討ちに燃えていますよ」


 マシディリは手を上げ、周囲の者を下げた。無論、レグラーレも下げる。ただし、アルビタだけは一歩下がるだけ。


「良いのですか? 私もまた、貴方の仇ですよ」

「マシディリ様と同じです」


「同じですか?」

「はい。マシディリ様が私のことを恨んでいないように、私もマシディリ様のこともアグニッシモ様のことも恨んでおりません」


「それは違いますね」

 にやり、と口角を上げる。

「私はクーシフォスを信じている。恨みがどうの、と言う次元ではありませんよ」


 ぽん、と肩を叩き、離れる。

 私もです、とのクーシフォスの言葉が聞こえて来た。


 背筋を伸ばし、他の者へ。

 声をかけ、信頼を伝え、士気を上げる。


 隘路の突破。

 一番危険で無謀とも思える策の先陣は、クーシフォスの騎兵隊だ。その次にカウヴァッロの重装騎兵が突撃し、ジャンパオロ、メクウリオ両軍団が制圧していく。


 第七軍団は後詰だ。

 クイリッタの軍団は、第七軍団とアグニッシモ、カウヴァッロの騎兵の動きに紛れるようにして北上し、物資輸送には使えない道では無い道を行く。敵陣までは二十キロかかる道のりだ。悪路である以上、今日中の到着はほぼあり得ない。でも、それで良い。


 目的は、逃げる敵を待ち構えることだけ。


 全ての方向が埋まったと思った者が逃げる道に、一個軍団を用意しておくのだ。あるいは、どこかが突破されても翌日には無傷のクイリッタの軍団が妻子の残る敵本陣を襲うことができるのである。


 まだ木々のある右の山で、幾度か光が明滅する。

 マルテレス本陣を監視していた者からの連絡だ。

 その光が幾つかの地点から発せられ、マシディリの下へと情報がたどり着く。


(出陣準備無しなれど、敵陣慌ただしく)


 マシディリは目を閉じた。

 祈るのは冥福。

 敬愛する師匠に、どうか、アレッシアの神々の慈悲のあらんことを。


「父上が降臨された。今こそ、天上の父祖が安心できるよう、各々の勇姿を見せる時だ!」


 叫び、マシディリ自ら全軍突撃の合図を放つ。

 大地が爆発するような雄叫びが轟き、どかり、と大量の軍馬が地面を抉り駆け出した。


 真っ先に行くのはクーシフォス。多くの者が追いかけ、抜かし、守ろうとする。

 その勢いは、一瞬にして最初の関所を打ち破った。

 馬体をぶつけて板を破ったのかと言うほどの勢いである。


 第二、第三と突破していった騎兵の姿は最早見えない。土煙が立ち込め、雄々しい漢達の叫びだけが高い空から聞こえてくる。


 遅れて進みだすのは、歩兵部隊。

 中央の隘路を行くのはジャンパオロ隊。

 メクウリオ隊は先日焼いた山を突き進む。


 その山の後方、西南西の方向からは青いオーラが打ち上がった。ティツィアーノ隊からの合図だ。それも、敵陣が移動していなければ四キロ圏内に捉えている。


「パライナ隊に合図を。山中で、騒いでください」


 燃やさなかった右の森で枯れ木が揺れ、オーラがちらちらと揺らめく。打楽器の音も鳴り響き、幾つかの部族が用いている合図の笛も鳴り出した。


 ジャンパオロ隊もメクウリオ隊も、もう姿が見えない位置まで動いている。順調な証だ。


「本陣を前に出します。シニストラ様、ソルプレーサ。この場は任せました」


 残していくのは、不思議な気分だ。

 二人も間に丁度一人立てるような位置関係で頭を下げている。自然と、そうなってしまったのだろうか。


(そうだと、少し、嬉しいですね)


 口元を引き締め、前へ。


 大将を失った軍団は、非常にもろい。

 当然の話だ。頭を失った結果、数に勝る軍団が負けた話などそこら中に転がっている。


 その中でもアレッシアが戦い続けられるのは、失うこともまた前提で訓練が組まれているから。


 動揺は広がる。

 いつもよりは弱くなる。


 でも、一人一人が戦うことに変わりはない。アレッシア人の忠誠の先は、基本的にアレッシアそのものなのだ。


 では、敵はどうか。

 忠誠の先はもうアレッシアでは無い。マルテレスに着いて行った者達だ。


 そして、オピーマを継ぐのは誰かと言う話にもなる。正妻はアレッシアに残ったまま。嫡男は今、敵として槍を振るっている。次男への忠誠は、エスピラ死後の最も脆いアレッシア軍へ攻撃をできなかったことから薄いと見て良いし、薄くない者達も周りは薄いと考えてしまう。


 そこに始まる、大包囲攻撃。

 数も敵が上。これまでの食生活も、武器の質も、睡眠時間も。


 平均的な、兵の質も。


 元々質で劣っていたマルテレス側がそれでも互角に戦えていたのは、インテケルンが最精鋭を率いて前に出ていたからもあるのだ。


 彼らが前線で踏ん張り、互角に戦う。つまり、逃げようとする兵を見ることが少ない。前で戦っていると思え、前で戦おうと出来る。軍団全体への恐怖が減るのだ。

 そこで繰り出されるマルテレスによる一撃は、まさに勝利へと繋がる蹄跡。


 だから、戦えた。

 今は違う。


 マルテレスも奥に置くような作戦では、僅かに残る最精鋭騎兵も後方。すぐに動けない位置。あるいはすぐに動いても多方面攻撃を受けているため、見ることができない。そもそもマルテレスがいないとなれば逆転の一手は無い。インテケルンがいないのだから、最初の防御も無い。


 結果、戦意の低い者が戦意の高いアレッシア軍とぶつかる可能性も増える。

 そして、戦意の低い者は逃げ出すか、退却して味方とぶつかるモノだ。しかも、かなり早い段階で。そうなれば恐怖が伝播するのである。


 立て直すのは、難しい。

 大軍となればなおさら。


 人の声は届く範囲があり、命令の光も他部族連合ならどこまで徹底できているのか疑問が残る。経験豊富な高官も少なく、若手が多いマルテレス軍ならばなおさら難しいはずだ。高官の言葉がどれだけ兵に伝わるのか、と言う話もある。


 此処は半島でもエリポスでも無い。

 自分達が使う言語がアレッシア語で、最も公用的な言葉がエリポス語とは言え、此処にいて現地民と関わる以上は、現地の言葉こそが最も大事なのである。


 その言葉を即座に使える高官は、敵方に何人いるものか。


「ヒブリット」

「はっ」

「前方に伝令。今なら、五歳以下の幼子だけは助けます、と」

「かしこまりました」


 ヒブリットが馬に飛び乗り、五十人の部隊ごと前方へと走り出す。

 マシディリ達第七軍団も、ゆっくりと前方へ進んだ。


 剣戟の音はあまり多くは無い。人の騒ぎ声は非常に多い。逃げ惑う者と、追う者。

 最早戦いでは無く、虐殺の段階へと進みつつある。


(いえ)


 西。プラントゥム方面。

 あちらへ逃げる者は多いようだ。剣戟の音が、左から聞こえてくる。


「第二軍団は西へ。北方軍団は広がってください。パライナ隊は下山。狩りを」


 少しして、集団服毒の連絡がマシディリの下に届く。

 その女性陣の中に、ヘステイラの死体だけは存在しなかった。

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