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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十四章
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冬夜の誓い

 隘路付近での戦闘に於いて『隘路の出口を抑える』と言うのは、一列に並んだ敵を半包囲の形で袋叩きにするようなモノだ。無論、素早い展開も対人兵器の設置もジャンパオロや彼の監督する軍団の下士官が経験豊富だからこそ可能だったことである。


 その上で、メクウリオによる森への放火。


 全てを灰に変えるようなモノではなく、予め木を伐り水気の多い排泄物を撒き、比較的小規模なモノを幾つも付けたようなものだが、排泄物を使ったことで臭気が立ち込める森へと変貌しているのだ。


 視界の確保も容易になったのも相まって、伏兵を使用するのが難しくなっている。特に、忠誠心に信頼の置けない部隊ならなおさらだ。


 アレッシア軍が何故強いのか。

 それは徹底した隊形の叩き込みとある程度の力は誰が指揮官でも発揮できるように教本化された戦闘型があるから。加えて、部隊を分散させても逃げ出さず、作戦を遂行しようと動いてくれるからである。


 マルテレスの軍団は、残念ながらその部分を捨てている。

 傭兵とはそういうモノだ。分散しての進撃は脱走の危険が大きくなるのである。マールバラでも無い限り、正規軍のようには扱えない。


「さて」


 四日目。マシディリは、クーシフォスの部隊をジャンパオロの陣へと送り込んだ。人選を迷った末の決断である。力量を、では無い。気になったのは見え方だ。


 マルテレスの長男であるから危険な場に送り込まれた、と見えるのか。

 覚悟を持った突撃の場こそクーシフォスの力量が誰よりも発揮されると言う信頼から、と見えるのか。


 全ての人を、同じ見方には変えられない。見たいようにしか見ないのも当然。


 ならば、と、こちらに突撃の意思があると敵に思わせられる方を選択したのだ。外せば、それこそ普段だったらクーシフォスだったのにと思われることも懸念したこともある。


 同日、左翼に陣取っていたティツィアーノの部隊を移動させた。空いた陣地は、クイリッタの軍団が徹底的に破壊する。それこそ過剰に見えるほどに、破壊の痕跡しか残らないほどに。


 フィルノルドの部隊もファバキュアモス方面に引き上げさせた。


 実態は、迂回だ。

 四十キロの道のりを、三日かけて移動してもらう。物資は最低限。目的地は敵陣から見て南西にある集落跡地。


(既にマルテレス様が死んでいるのであれば、脱走兵は増えるはず)


 偽装はした。

 だが、敵も斥候は出しているはず。


 ならば、囲い込もうとしていることには気づくだろう。マルテレスが健在なら、むしろ各個撃破の好機として動き出すのが定石であり、死しているのならば現地部族から逃げ出していくのが普通。


 冷えていく暗闇の中で、マシディリは右手の指を掌底にこすりつけた。

 大分冷えている。だが、それが心地よい。頭にもはっきりと地図が描けている。


(ファリチェ様は動き出した頃でしょうか)


 ファリチェの手元にいるのは、プラントゥム以来の最精鋭一千だ。彼らにも動いてもらい、敵陣西方の街道を塞いでもらう。


 東にいるのは、マシディリ達本隊だ。

 敵陣北に広がるのは山地。慣れた者達なら越えられない訳は無いが、軍団が逃げ込めるような山地では無い。


(各個撃破に動くのが筋)


 ふー、とマシディリは長く息を吐いた。


 夏と違い、虫の声は聞こえない。何も音は無い静かな場所だ。木々に覆われれば真っ暗になり、そうでなくとも僅かな星明りを頼りにしなければならない夜。野犬の遠吠えが聞こえないのは幸いか、不気味な証か。徐々に冷えていく体は、待ちの姿勢を取る者へは恐怖となるだろう。体が動きにくく成れば相手の刃をかわすこともままならないものだ。


 そして、暗闇はよからぬ想像を増幅させる。


 子供が暗闇に異業の化け物を想像するように。想像力を失いつつある大人にも童のように無限に広がる想像を、大人が覚えた恐怖で色付けて行ってしまう。それが冬の宵だ。


 長く、息を吐く。


 味方には松明を減らすように命令していた。代わりに昼間は存分に使って良いと言って、夜はあらゆる明かりを減らしている。


 雌伏の、時。

 焦るのは敵。マシディリの手を勝手に想像して焦り、動かないマルテレスに対して業を煮やすのか。それとも、もう。


 音もなく、気配が増える。


「マシディリ様」


 レグラーレだ。

 エスピラの死から五日目にソルプレーサから正式にウェラテヌスの情報部隊の長を譲りたいと言う話を受け、アレッシア帰還後にソルプレーサの後釜になる男である。


「マルテレス様の動向が掴めました」

「流石ですね」


「エスピラ様の死後二日間は喪に服すと言って誰とも会わなかったそうです」

 褒め言葉を流すように、レグラーレが続ける。


「その間、作戦の責任を取りイエネーオスは謹慎し、スィーパスでは高官達を動かせなかったと言うのが濃厚のようでした。今はマルテレス様が動き、兵達を鼓舞している姿が目撃されていますが、体調が優れないとの話もあります」


「なるほど」


 右手の側面を唇に当て、考える。

 包囲網が完成するのは、明日の夜だ。一晩休んでから、総攻撃を開始する。その予定だが、各個撃破に動くのならその間に本陣を強襲する予定だ。こちらに攻めてくるのなら、守るだけ。


 だが、時間稼ぎをすると言う手もある。

 先の会談をもう一度、と言う流れで、話を蒸し返すのだ。無論、話を進めるつもりもないし、交渉に乗り気になられても困る。


 なら、アグニッシモからのスィーパスに伝える形にするか。

 破綻は確実だが、時間稼ぎと見抜かれる危険性も高くなる。


「マシディリ様」


 声、二つ。

 足音も二つ。


 前者はヴィルフェットとフィロラードの物。足音は、マシディリの傍に立ったレグラーレとアルビタの物だ。


「何か、ありましたか?」


 マシディリが聞くと、ヴィルフェットとフィロラードが互いに互いの顔を見た。頷き合い、板を取り出して指から指輪を抜く。そのまま、懐にある短剣も板の上に乗せた。


 どちらも、意味の大きな物だ。

 特に二人の短剣は、家門に伝わる由緒正しい物である。


 その二つをマシディリに差し出すように、二人が片膝を着いて頭を下げた。

 二人が息を吸う音が聞こえる。


「その必要はありませんよ」

 言葉になる前に、マシディリは板を軽く押し戻した。


「ニベヌレスの当主に、次期アルグレヒトの当主です。二人とも私が兄の兄弟であるような関係ですが、家門の観点で言えば対等ですから」


「いえ!」

 はっきりとした声は、フィロラード。


「何よりも私はマシディリ様の忠実な義弟です。離れることはありません。出会った頃、レピナ様にエスピラ様のために死ねるかと聞かれ、出来ないと答えてしまいました。今回もエスピラ様の近くにいたのに何もできませんでした。


 ですが、せめて、マシディリ様だけはむざむざ失うような真似はしないと。今度こそ全霊を尽くすと、これまでの努力を無駄にしないためにも、必ずやマシディリ様の力になるとアレッシアの神々とアルグレヒトの父祖に誓います」


「私は恩知らずではありません、兄上。父上は、ニベヌレスが恩知らずになってしまったことを嘆いていたと母上から聞いております。だと言うのに、エスピラ様は父上に恩があるからと言って私にたくさんのことをしてくださいました。


 ならば、この恩をマシディリ様に返すのは当然のこと。


 仮にマシディリ様が私の行動に恩を感じてしまったのであれば、それはまだ見ぬ我が子やニベヌレスの将来に返していただければ幸いです。そうすれば、ニベヌレスもまたウェラテヌスに必ずお返しすると、アレッシアの神々と父上、ヴィンド・ニベヌレスの名に懸けて誓います」



 誰かの入れ知恵。

 いや、違うだろう。

 二人の、純粋な気持ちだ。



「であれば、なおさら指輪と短剣は大事にしてください。

 父上達が築いた、いえ、違いますね。


 ウェラテヌスとニベヌレスは元々関係が深い家門のはずでした。アルグレヒトは、母上が繋げてくれた縁。細かった糸を強固に結び直したのは私達の父上です。


 この糸を、未来永劫解けぬ糸にするために。切れぬ糸にするために。


 私はウェラテヌスを。ヴィンドはニベヌレスを。フィロラードはアルグレヒトを。

 必ず盛り立て、死力を尽くしてアレッシアに繫栄をもたらしましょう」



 指輪をつまみ、二人に嵌めていく。

 短剣は各々でもらい。


「アレッシアに、栄光を」

 りんご酒を一口。


「祖国に、永遠の繁栄を」

 ヴィルフェットがりんご酒を受け取り、一口。


「ニベヌレスとアルグレヒトに、処女神と運命の女神の加護を」

「ウェラテヌスに、沈むことの無い太陽を」

 次にフィロラードが一口飲み、マシディリが残りを飲み干す。


 山羊の膀胱を潰すと、マシディリはウェラテヌスの鞘に納まったままのウェラテヌスの短剣を前に出した。ヴィルフェットとフィロラードが、各々短剣を重ねる。


「我らに勝利を」

「我らに勝利を」


「神の御加護を」

「神の御加護を」


「父祖の誇りと民の意思を剣に」

「父祖の誇りと民の意思を剣に」


「我らはその誇りのみを尊び、祖国の滅亡こそを憂う勇士なり」

「我らはその誇りのみを尊び、祖国の滅亡こそを憂う勇士なり」


 今は、夜だ。

 叫ぶわけにはいかないだろう。

 だからこそ、声に、たっぷりと意思の力を込める。


「アレッシアに栄光を」

「祖国に永遠の繁栄を」


 かつん、と鞘同士を今一度ぶつけあった。

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