既に敵
監視と、確保。
マシディリが小屋に籠りながらも進めたことだ。
特に、後方支援部隊をしっかりと。食糧を握り、水を握り、布を握る。そうして軍団の生命線を信頼の於ける者達を使って握り切り、もしもを抑制する。
加えて、アビィティロにも公的な使者とは別に密かに人を送った。冬ではあるが、すぐに動けるように準備を進めておいてほしい、と。ただし、密かに。露見することの無いように、とも言い含めて。
この重要な使者の人選にはソルプレーサとリャトリーチをかませている。無論、二人には形見分けとして父の遺した物の一部を分け与え、信頼とこれからの忠勤への期待を伝えた。
「全軍を敵に回したとして」
へその上を温めるように手を置き、マシディリは静かに切り出した。
「二週間ぐらいは、持ちこたえられるかな」
口を閉じたままのレグラーレが目を大きくする。ピラストロは手を止め、目を上に動かした。アルビタは何も変わらない。イーシグニスは噛み千切ろうとしている干し肉を加えたまま、ふやかす方向に舵を切った。
返答のために口を開いたのは、パライナ。
「二週間かけてテルマディニまで撤退し、そこから一週間以内に第三軍団が到着するのなら勝てると思います。撤退に関しては、離脱式防御を取り、マシディリ様が逃げるのを優先しましょう。
マルテレスに往時の力は無く、オプティマはやってみないと分からない。アグニッシモ隊、ヴィルフェット隊、スペンレセ隊は脱走者も出てくるでしょうが他隊からの脱走者を加えて再建することが可能でしょう。クイリッタ様も自部隊の兵からは慕われております。
ジャンパオロ様も、様子を見る限りは裏切ることは出来ず、メクウリオ様も行動を大きくは変えられません。第一軍団も命令不遵守は多くなるでしょうが敵対まではいかないはず。
空席になった最強を手にするのは、マシディリ様が率いた時の第三軍団となるのですから、一か月後には勝利は確定していると考えております」
「再編第四軍団に本気を出されない限りわなー」
イーシグニスが干し肉を口から放した。
「不敬?」
「違えよ!」
口から放された干し肉は、イーシグニスが引いた布の上に置かれた。真面目ぶった咳払いが次に行われ、イーシグニスが人差し指を立てる。
「自慢じゃないが、軍団長補佐としての力量で言えば俺はコクウィウム様と良い勝負だ。パライナとスペンレセは両タルキウスと互角か? ってことは、だ。ヴィルフェット様でボダート、スキエンティ、トクティソス様を抑えないといけないって話になってくる。
勝てるか? 無理だと思うな、俺は」
「一番信頼できるのがティツィアーノ様って言うのが、困った軍団ですね」
言いながら、ピラストロがイーシグニスの顔に肘を埋めようと動かした。自分も高官に名を加えてくれ、と言う話らしい。
「コクウィウムは敵にもならない。問題は、二人のタルキウス。タルキウスとアスピデアウスが組めば、本国に帰ってからも大きな脅威になる」
「おいパライナ。俺とコクウィウムは良い勝負だって言ったよな」
「はっ」
目じりを下げ、憐みの笑み。そのまま顎だけを下げるようにしてパライナが笑う。
まあまあ、とピラストロがとりなした。イーシグニスの強みは軍団内部に対して発揮されるものだって、と。
「そもそも」
レグラーレが、普段よりも大き目な声を出した。音程も少し低い。
「そのような戦いに発展すれば、全員が敗者となります。元老院に居座る者は全員を反逆者として始末する口実を得る訳ですから、そのまま強大になり過ぎたウェラテヌスの削減に動くのが濃厚では無いでしょうか」
「そう、ですね」
高官ごとの交戦意欲と戦い方、そして道を加味した各個撃破策。
脳内で完成させていた策を修正しながら、マシディリは力なく返した。
「実際はクーシフォス様も裏切らないと思いますし、もっと仲間は増えますよ」
「いざとなれば呼び出して殺しちゃうか。パラティゾ様の名前でも、べルティーナ様の名前でも使って」
「不敬」
ピラストロ、イーシグニスと続いた発言の後に、ぱん、と言う何かを蹴り上げた良い音が鳴り響いた。直後にイーシグニスの絶叫が響き渡る。
なお、蹴り飛ばされたのはイーシグニスが余らせていた太腿の布であり、イーシグニスは無事だ。無事のはずだ。マシディリが目にした蹴られた場所では無く尻を抑えていることから、無事のはずである。
「その手を検討に移した時点で、失うモノが多すぎます」
レグラーレが冷たく見下ろせば、イーシグニスが尻を抑える手を放し、もぞもぞと元の位置に戻っていった。冷たい視線もその行き先も変えずに、レグラーレが口を動かす。
「やるならば、誰かを罰して気の引き締めと『これまでの』特別扱いが無いことを示す方が良いのではないでしょうか」
「フィロラード様を抑えられるなら、シニストラ様を、とか?」
ピラストロの発言に、マシディリは眉間に皺を寄せた。
レグラーレも、何やら同意したような発言をした気がする。
(できる訳がありません)
右の拳は固く。口も堅く。
発言をしなくてはいけないのは理解しているが、開くことは出来なかった。
(シニストラ様は)
この思考こそ、人でなし。
信を失う行動である。
「できもしないことを考えるのは、最悪を想定するとは言いません」
静まり返った小屋の中に、レグラーレの声だけが響く。
「先代の功臣が次代の腫瘍になった例も数多あります」
「臣ではありません」
「同じことです。私達も同じ。第三軍団も」
即座の否定にも、すぐに言葉が返ってくる。
それでも、シニストラは大事にしなければならない。
人としても、エスピラ・ウェラテヌスの息子としても。これからアレッシアを引っ張る者になろうと言うのなら、なおさら。
「コクウィウム様も、私の従兄です。必要とあれば、生贄に捧げましょう」
言葉を、選びながら。
「正直に言えば痛くも無い人選です。やる価値があるとは思えません」
言葉を選ばなかったのはレグラーレだ。
イーシグニスの苦笑も、ピラストロの目を下に逸らす動作も、パライナの無言もレグラーレと意を共にしている証だろう。
「トリンクイタ様を敵に回します」
「既に敵です」
「既に敵じゃないですか?」
「敵でしょう」
「とっくに敵でしょ」
「敵」
五人の言葉が重なる。
マシディリが一人一人の言葉を正確に捉えられた訳ではないが、皆の言うことが一致したのは理解できた。
(…………まさか)
トリンクイタは、食えない男だ。
ウェラテヌスにとって害になるモノを持ち込んで来たこともある。でも、それは、あくまでもディアクロスの利益のためにであり、率先して敵対するためでは無い。
「トリンクイタ様はクイリッタの師匠の一人です。父上からも、義兄として頼りにされてきました。今もスペランツァを支える後見人の一人として、最後の、一人として」
最後の、一人。
スペランツァももう二十六だ。後見人が無くともセルクラウスを切り盛りすることは可能である。
(そもそも)
と、振り返る。
タヴォラドの遺言には、『トリンクイタ』の文字は無かったはずだ。クロッチェの名前はあり、だからこそ支えるのは当然だと思っていただけ。
セルクラウスのことは義母になるカランドラとシジェロ。
政治的な助けは実父エスピラと実兄マシディリ。
神殿関係は最高神祇官預かり。劇場関係がクロッチェ。
そして、今は、最高神祇官が空白となった。
シジェロはいない。カランドラは、申し訳ないが百戦錬磨の女傑では無い。
「まさか」
マシディリの呟きにも、誰も反応しない。
皆無言のまま。それが、何よりの答え。
マシディリは、口元を引き締めて顔を上げた。
「クロッチェ様に連絡を。母上の名を出し、何としてもこちら側に来てもらいます」
「誰に頼みますか?」
眉間に皺を寄せ、目を動かす。
迷いは、数秒。
「精神が落ち着いていれば、レピナに。無理なら、ラエテルから、やってみますか」
愛息はまだ十一だ。
でも、勤勉であり何よりも人の輪の中心にいることが多い。末弟と比べても顕著なため、ウェラテヌスだからと言うことでは無いはずだ。その末弟の方が勉学は出来るのだが、必要なのはクロッチェの心を動かすこと。
「それから、叔母上との接触をべルティーナにやってもらいます。叔母上にはリングアを連れてアグリコーラに来るように伝え、チアーラにリングたと接触してもらいましょう。
あと、レピナにも、アルグレヒトの者に当たらないようにきつめに注意しておきます」
「サジェッツァ様にエスピラ様の死亡を確信されてしまいます」
「何をしても悟るでしょう。なら、動いておくほかありません」
祖父の死の後、父は行動が遅れたことを後悔していた。
ならば、自分は急ぐしかない。
「アレッシアに攻め上ることになった場合、誰がついてくると思う?」
真顔で、一つ。
「第三軍団全軍」
即答はピラストロ。
「以上、かな。流石に、無理だ」
「何を考えているんです?」
イーシグニスが言葉を受け継ぎ、再びピラストロが締めた。
マシディリは酒宴用の笑みを貼り付け、肩を竦める。
「最悪の想定にすぎませんよ。もしも、です。もしも。そんなことには、多分、なりませんから」
拳を、固く。
アレッシアの敵は、目の前。スィーパスとイエネーオス、ヘステイラ。
これらを打ち破るのが先。
いや、彼らの拠り所を砕ければ、優先順位が変わる。
「アレッシアの敵は、既に定まっています」
四日目の朝。
マシディリはその言葉と共に演説を行い、全軍に命令を発し始めた。




