統率会議 Ⅱ
スペランツァが、下手な咳ばらいをした。
誰よりも反応する結果になったのはフィルノルド。無言で、背筋を伸ばしたままだが目ははっきりと動き、二秒ほどであるが誰よりも長くスペランツァを見ることになっていた。
そのフィルノルドの目が、再びマシディリに戻ってくる。
「勇猛な騎兵の働きによって敵の隘路の守りが弱くなっているからこその好機でもある。何もその突撃で決定させる必要は無い。ただ、こちらに戦意があることを示し、敵の士気の上昇を防げれば良い。
姑息な奇襲を仕掛けながらも陣を下げざるを得なかったのは敵だ。此処で一撃を受ければ、敵上層部に打つ手がないと敵兵に思わせることもできる。
多くの厭うべき要因があるのならば、それらとは最も縁遠い私の軍団が先陣を切ろう」
提案者が行うのは当然では?
音にはしなかったが、クイリッタが口でそう伝えてくる。
「敵の戦意は挫きます。火とは、神聖で便利で、何よりも恐怖の象徴ですから」
マシディリは、ひとまずクイリッタの言葉を見なかったことにした。クイリッタも何も言わずに口を閉ざし、重心をやや後ろに持って行っている。そんなクイリッタに睨むような視線を向けたのはティツィアーノ。
「メクウリオ様による火計が実行されるのは三日後。仮にマルテレスの戦意喪失が真実だとすれば、独断で兵を動かした者がいる。その者がまた兵を動かさないとは限らないと思うが、三日以内に動く可能性が高いとは思わないか?」
ただし、発言者は変わらずフィルノルドだ。
言うことも尤もである。軍団の士気を確保するのなら攻撃の意思表示、ないしマシディリ達が戦意を失っていないと言う証拠を示すのも重要なことである。
(どうするべきか)
あまり、フィルノルドの意見を否定し続けるのも、懸念が本当のことになりかねない。
マシディリは、ペリースの下で一度拳を作ると、解きながら口を開いた。
「第一軍団に慰労金を支払い、休暇を与えます」
シニストラ、プラチド、アルホールなどの第一軍団の高官が瞬きなく目を大きくした。
「ジャンパオロ様、メクウリオ様、ティツィアーノ様、クイリッタ。父上の遺言が発表された後に返しますので、財を貸してください。いえ、旗下の軍団の高官全員から少しずつお借りします。その財を、第一軍団の一人一人に配りましょう」
「俺も!」
「アグニッシモを始めとする騎兵はただでさえ財が必要だから。自分のために使ってよ。フィルノルド様やスペランツァも長い滞陣で手持ちが少なくなっていますので、お借りするのは心苦しいモノがございます」
他にも、クーシフォスやカウヴァッロも除外される者達だ。
「でも兄上。俺も、手持ちならあるよ!」
「アグニッシモ様」
マシディリよりも先にクーシフォスが声を上げる。カウヴァッロは、無言で僅かに横揺れを繰り返すばかり。
「マシディリ様は、騎兵は財を使って突撃を敢行する万全の状態を作ってほしい、と仰せなのです」
ぱあ、とアグニッシモの目が大きくなる。心なしか、血色も良くなった。
「する! 頑張る! やってやるから!」
頼もしいね、とマシディリはアグニッシモに微笑んだ。
無論、この言葉はクーシフォスにもかかっている。意外とと言うべきか、やはりと言うべきか。クーシフォスも意図には気づいてくれたようだ。その上で隠しておくべき意図には触れず、別の話でアグニッシモを止め、同時に兵に戦闘意欲があることを伝える行動を実行に移すべく話を持って行っている。
残る問題は、フィルノルドの提案に否定が続いたこと。
「マシディリ様」
ジャンパオロが、小さく手を挙げる。
「マシディリ様の中では、既にフィルノルド様と同じく攻撃を加えることは確定しているのだと考えております。ただし、お二人の意見の違いは、マシディリ様は次の攻撃で決着までを想定し、フィルノルド様は士気高揚のためが第一義としていることではありませんか?」
特段、フィルノルドと同調するつもりは無い。だが、ジャンパオロの意見通りだとして方が聞き心地は良いはずである。
そんな打算の基に、マシディリは頷いた。
「士気高揚だけでは無く、決められるのであれば一撃が良いとは私も思っている」
フィルノルドが表情に気を付けているかのように言った。
ジャンパオロは口元をやわらかくし、されど目は笑わず真剣過ぎずを保っている。
「であるならば、やはり、エスピラ様がいつマルテレス様を連れて行くかによって作戦の日時が変わる、と言うことになりますね」
「疑わないのか?」
発言者は、フィルノルドの下にいる高官。
「エスピラ様はご自身の考えを信じるようにと言ったことは、私の記憶にはありません。それは、マシディリ様も継承されている自身への批判的な意見も耳にしておきたいと言うほかに、言うまでもないことだったからだと思っています」
何かを掲げるとは、即ち出来ていないことである。
反論も多い、極論に近い言葉ではあるが、真理の一つでもあるはずだ。
狼藉を働かないようにと掲げると言うことは、即ち狼藉がまかり通っていると言うこと。
美しい都市を維持する、と言うことは、努力無くして美しくなることは無い、本質は汚いと言うこと。
信じてくれ、と頼むのは、信じられていないからこそ出てくる言葉。
「詳しい日時の指定は求めません。実行の一日前に全軍に伝達してくだされば準備を整えます。そして、全軍の士気の低下と規律の乱れが懸念であるのならば、私が前進した地に陣地を構えましょう。
隘路の目の前、合流前の決戦の地に素早く陣地を築き上げ、緩衝材となります。如何でしょうか」
広げられた地図上で数カ所を指したのは、アダルベルト・カプチーノ。古くからジャンパオロに従っている、ナレティクスの被庇護者にして今回の軍団長補佐の一人だ。
エクラートン攻略戦で起きたブレエビらの命令違反の略奪行為をエスピラに伝えに来た兵でもある。
「危険な役目になります」
呟くように言う。
「心配ご無用。私も建国五門が一つナレティクスの当主であり、エスピラ様と共に第二次フラシ戦争を走り抜けた一人であり、ウェラテヌスに深い恩を感じている者です。加えて兵は精強で、北方諸部族との諍いやイフェメラ様の反乱への初動対応など経験も豊富。
是非とも、マシディリ様にとって仕切り直しともなる戦いの先陣を切らせていただきたいと、願っております」
力、強く。ジャンパオロが言う。
マシディリもしっかりと受け止めてから頷いた。
以後は、詳細を詰める。持っていく物資、どうやって陣を作るか。想定は。どこからは全軍で動かすのか。後方の守りは。糧道と各都市への説明は。
多くの議題を話し終えれば、「しばらくは常通りでお願いします」として、軍議を閉めた。
マシディリ自身は、父の遺品を整理するため三日ほど籠る、とも宣言する。それが、簡易的に喪に服す期間だとは言わずとも誰もが思ったことだろう。
「マシディリ様」
人と離れた時に、一度別れたはずのジャンパオロに呼び止められる。
「エスピラ様の遺骸の傍にあれば、第一軍団は守ろうと必死に働きます。それを踏まえて陣地内部を少々変更すれば、私達が破り勢いに乗る敵軍でも十分に受け止められると、献策させていただきます」
幾つか、場所の候補が出てくる。
同時に、死してなお父を利用することへの嫌悪感も湧き出て来た。
「第一軍団に関することは、万事、任せます」
返事には、一拍。
何を思っての間かと考えるのはやめ、マシディリはジャンパオロと別れて父が使っていた小屋に入った。
扉が、静かに閉まる。
陣中で作った物だと言うのに、大分設計がきっちりとしている証拠だ。
(あとは、ソルプレーサとリャトリーチの再掌握、ですね)
信用はしている。でも、情報と言う大事な部分を担っている人物だ。ある程度言葉にしつつ、疑っていないと言う信頼を示さねばならない。加減を間違えれば、やらない方が良かった事態になることだってあるのだ。
手をついて、ため息。
「腹が痛いよ」
腹の上部、胃のあたりが締め付けられるようにきりきりと痛む。考えることだって多い。多すぎる。だが、それもまた父が生きようとしていたからこそ備えが足りていなかったのだと、良い方向に捉えて。
情けない声音になってしまったが、聞かれたのはアルビタとレグラーレだけなのも、幸いだ。
「レグラーレ」
机に手を着き、しゃがんだ状態で幼馴染の名を呼ぶ。
「はい」
レグラーレも、すぐに近づいてきた。
「ピラストロとパライナとイーシグニスを、後で呼んできてもらえる? 友人と過ごしたくなったとか、そんな理由で。もちろん、二人も残ってね」
「薬湯もついでにいただいてきますので、マシディリ様も休むよーに」
布! と離れながらレグラーレが言う。
直後に衣擦れの音がして、扉が開く音がする前にマシディリの背中に布がのしかかった。
「立て、る、か?」
「なんで片言なのですか?」
「友」
不器用にアルビタが笑う。
マシディリも力なく笑い返してから、アルビタに手を伸ばした。




