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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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空に浮かぼうと、井戸に映ろうと Ⅲ

 紫のオーラならば、即死まで可能だ。

 しかし、緑ではそうもいかない。普通は殺すことなどできない、病を癒すための力だ。


(なるべく、苦しませずに)


 せめてもの慈悲。

 そのために必要なのは時間。


「私は、マシディリに大事なモノであっても優先順位を付けろ、と言ったことがあってね」

「どうせ妻が一番なんだろ」


「ああ。そこは決して変わることは無い。だが、生者で言えば当然子供達だ」

「聞くまでも無いって言葉ほど適切な言葉は無いよ」

「お前は何だ、マルテレス」


 返答は欲していない。

 必要なのは時間だけ。


「スィーパスか? 栄誉を掴んだ祖国を捨て、妻を残し、嫡男と殺し合う。そうまでして味方した息子だもんな。それともアスフォスだったか? あるいは、ヘステイラに身も心も奪われたか」


「誰もが、エスピラのように割り切れる訳じゃないって」

「サジェッツァも出来ると思うが?」

「はは。そこの違いが貴族と平民の差かな」


「執政官は金を稼ぐことを禁止されている。その意識の違いだ。自分の利益を横に置き、アレッシアにとって最善と思える決断を下していく。ただ一つ、これだけはと言う利益のみは守ってね。


 名誉。名声。財力。実績。女。


 何でも良い。タイリー様はきっと出世だった。だから、愛妻がいても二人目の妻を受け入れざるを得なかった。


 庇いようがない父上も、家族よりもアレッシアを取っただけのことだ。ウェラテヌスの生き方が大事だったんだろうな。


 で、だ。マルテレス。お前の父は何をした」


「エスピラ……っ!」


 一歩踏み込んだマルテレスが、即座に飛びのく。


 気づいたようだ。真相を掴んだわけでは無いだろうが、野性的な勘と言う奴だろう。

 当然、エスピラは距離を詰める。


「でも、私もぶれたことはあるさ」


 強く踏み込み、正面からの一撃を。

 当たる訳が無い。受け止められる。それでもかまわない。近距離で、オーラを流し続けるだけ。

 ぐん、と僅かにマルテレスの剣がマルテレス側に寄った。


「メルカトル、アスフォス、スィーパス。全員にきちんとした罰を与えていれば、こんなことにはならなかった、とね!」


 初めて、エスピラが組み合いの形から一歩踏み込むことに成功する。


「親友の家族だからと情を見せてしまった結果だ。プノパリアの結婚と引き換えに、誰かは全てを没収するべきだった!」


 ぐ、と全力を傾ける。

 マルテレスから押し返す力がやってきたが、離れ行ったのはマルテレスになった。


 距離は大丈夫。まだ、緑のオーラの有効圏内。


「心配するな、マルテレス。結局は我が子可愛さだ。お前が反乱を起こさなければ、マシディリは戦友に刃を向ける必要は無く、アグニッシモは幼い時に遊んできた者達を殺さずに済んだわけだからな」


 握りを変える。

 刀身を多く見せる形から、刀身を細くする形へ。臍の前に手を持っていくのは変わらない。傾きは変える。


 得物が違うのだから、変わるのもそこまで不自然な話では無い。

 無論、違和感は覚えるだろう。


「腰が引けているな、マルテレス」

 なら、その違和感を誤魔化せば良い。


「マールバラとの戦いでお前は野戦を選んだ。正しい選択だよ。自分が得意とする戦場に敵を引っ張り出して、そこで戦うのは良いやり方だ。だからこそ、私は防御陣地群を選び、攻めざるを得ない理由をマールバラに与えた訳だからね。


 そして、今はどうだ、マルテレス。


 私との一騎討ち。有利なのは明らかにマルテレスだ。不利な現状を打開する好機でもある。


 だと言うのに、お前は腰が引けている。

 疑心暗鬼になっているね。私が何かを仕掛けていると。必ず勝ちまでを計算してきていると」


 瞬きを減らし、一言。


「これが、最強の姿か?」


 挑発を。


「エスピラがらしさを残してるって言うなら、俺も遠慮はしない」


 マルテレスの剣は上へ。即座に踏み込んで来た。

 今度はエスピラからは動かない。ひきつけ、見極め、一足にも満たない動きで僅かに剣の軌道から逸れる。受け流すように、剣も動かし、マルテレスの頭へ。直撃の瞬間に出そうとしたのであろうマルテレスのオーラは、手のひら以外ではエスピラの光に圧されてかき消えた。


「遠慮しているじゃないか」


 マルテレスの剣は途中で止まっている。

 振り下ろしが外れたエスピラの剣は、そのまま切り上げる形でマルテレスの首へ。そこでマルテレスの手甲に受け止められた。


 エスピラも剣から右手を離し、すぐにマルテレスの腕を握る。力の押し合いだ。


(無理だ)


 思うと、即座に左の膝を折る。落ちる速度で体を下げると、右足でマルテレスの膝裏を狙った。マルテレスも跳びあがりはしない。しかし、狙われた右足の自由度を増やし、エスピラの一撃での転倒は免れた。


 エスピラは、再びマルテレスから離れる。


「白から青に変えたか」


 自身の死も厭わずに相手の懐に飛び込み一撃を与える相打ち覚悟の剣術から、防御に徹して返しの一撃を狙う剣術へ。

 即ち、多少の傷は癒せる白だから出来る戦術から、精神の安定こそが実力の発揮に影響する青の戦術に。


「まあね」


 今度は、下段に構える。右足を引き、その横に剣先を。

 青の剣術は、防御的だ。時間稼ぎである。それが分かれば、マルテレスも短期決戦を狙うだろう。


 だからこそ、此処で、最大の一撃を見せて警戒心を高めさせる。


 エスピラは、臍下丹田からゆっくりと長く息を吐いた。ただ相手を待つわけでは無い。そのことを、雰囲気からも伝える。


 マルテレスも剣を引いた。下に。左腰、鞘の近くに剣を置き、膝を先よりも曲げている。


 いつ動くか。

 普通ならその読み合いがあったのだろう。


 だが、二人は親友だ。どこかで息が合う。今だと分かる。何か合図があった訳でも無く、直感的に。二人同時に理解した。


 間合いに入るのは同時。腕の振りも一緒。違うのは、相手の剣を外に払ったのはエスピラ側だと言うことだ。


 そのまま、大上段へ。

 右腕の先に剣が来るように持ち、左手を尺骨付近に押し当てる。


 マルテレスが、下に行ったように見えた。表情には余裕がない。足の力を抜き、倒れることを選択したのか。悪くない。これなら、エスピラの剣の威力も弱くなる。マルテレスの剣も引き戻しやすいかもしれない。


 剣を握るエスピラの手に、力が入った。


「ぁあああ!」


 喉を裂く強引な叫びと共に、エスピラは剣を振り下ろした。衝撃。

 ウーツ鋼の剣先は、マルテレスの横に。


 エスピラの視界は、斜めにずれた。マルテレスの目が大きくなっている。先程までは無かったマルテレスの剣が、振りぬかれた形で現れた。剣先が赤い。マルテレスの顔も、先ほどとは違い赤が飛び散っている。


 どこから。

 うえから。


「ぁ?」


 ぐらり、と体が揺らぐ。

 決定的に力が抜けていく。


 大事な栓が抜けてしまったようだ。感覚がつかめず、急速に多くが流れ出していくような気もしてしまう。体に力を入れると言う命令を新たに入れても、それ以上の力が流れ出していってしまうような感覚だ。


 エスピラ、とマルテレスが叫んだような気がした。

 鋭敏さが自慢だった耳は、もう、よく聞き取れない。

 水中にいるようだ。


 ぼんやりと。すいちゅうよりも膜がはったというべき状態か。


 きれいなほどに赤いえきたいは、どんどんと増えていく。


(首かあ)


 色。勢い。量。

 どこを切ればこうなるかなど、エスピラは良く分かっている。


 崩れ落ちるからだが、なにかにぶつかった。

 マルテレスだ。


(さいご、は、ともの、うでの、なか、か)


「わるくない」


 しぼりだしながら、右手をうえに。マルテレスの襟をつかむように。

 からだがなんどかゆらされる。ちからははいらない。


「わるいな」


 それでも、エスピラは最期の力を振り絞り、自身の全霊が流れ出る勢いでマルテレスに緑のオーラを流し込んだ。


 即死には、至らない。

 それでも。


(ああ)


 もう、まっくらだ。

 なにもみえない。そともわからない。きこえない。

 ほんとうにすいちゅうのように。ずっと。ふかくに。


「あら。随分と早いのね」


 そのこえは、はっきりときこえた。

 あきれたような、でも、どこかにねぎらいのうかぶ、最愛のこえ。


「メルア」



 最後の最後に、エスピラの口角は僅かに持ち上がった。


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