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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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空に浮かぼうと、井戸に映ろうと Ⅱ

 マルテレスが飛びのく。手応えはエスピラの予想と違う感触。右腕だ。

 気にせず、前へ。蹴りに動くのは見えた。でも、マルテレスは体勢不十分。対してエスピラは想定の一つ。蹴られても、掴んで押し込み、喉元を突いて押し倒せる。


 そこまで想像できていたのに、結果として、走って向かっていったはずのエスピラの体は蹴り飛ばされていた。


「軽っ」


 驚愕の声は、マルテレスからも。

 追撃は無い。


「ちゃんと食べているのか?」


 いや、戦闘を忘れ、本気で心配しているようだ。

 エスピラは、蹴られた部位を確認しながらも静かに距離を取る。


「食べているさ。いつも腹いっぱいになるほどね」


 現に食事は、エスピラが食べきれないほどに出ている。

 だが。


(立場に甘えていたか)


 予想以上に剣が弾かれてしまった。

 そのため腰の抜き具合も想定と変わり、微調整も繰り返したが首を狙った一撃が甘くなる。故に、対応された。


 全ては、力不足だ。


 若い時分なら、無理にでも食べていただろうか。

 食べねばならなかっただろう。


「エスピラ、本当に食べているのか?」

「敵の心配とは余裕だな、マルテレス」


 吐き捨てながら、立ち上がる。

 骨は無事。痛みは衝撃によるモノだけ。既に吐くような内容物は胃の中に無い。


「目論見が失敗したのは、お前の方だろう?」


 余裕ぶり、剣を構えなおした。

 マルテレスが再び剣を上に構える。


「瞬間だったから失敗しただけだって」


 赤い光も立ち昇った。

 味方に勝利を確信させ、敵に警戒と畏怖を抱かせるマルテレスの象徴。


「諦めろ」

 そんな象徴を、簡単にかき消す緑の光。


「緑のオーラの有効圏は最長だ。一騎討ちの距離にいる限り、お前が再び光を展開できることは無い」


 くすり、とエスピラは口角を上げた。


「驚いたか?

 まあ、私が使えないと思ったことは無いだろうし、色にも推測はついていただろうが見たことは無かったからな。私のオーラを見て、今なお生きているのはシニストラとズィミナソフィアだけだよ」


「遠征軍の病率の低さと、応援している戦車競技団の話か?」

「量も推測で来たはずじゃないか?」

「マシディリとアグニッシモか」


 エスピラへの返答だが、エスピラに届くようにと言う声では無い。

 内向きだ。

 マルテレスに、大分頭を使わせている。


「ああ。言い忘れていたが、ズィミナソフィア四世は私の娘だ」

「はっ?」

「忌まわしい記憶と共にある、愛しい娘だよ」


 えっ、と言っているマルテレスに対し、一瞬で距離を詰めた。

 剣を囮に、光を目に。体は斜めに沈むのを意識して視界の外に出る。


 ついてきたマルテレスの剣は、剛撃を維持しているが一撃決殺では無い。避け、上から潰し、首を突く。避けられれば横へ。それを封じるようにマルテレスが思いっきり体をぶつけて来た。


 大木だ。

 押し返せる想像が微塵もできない。

 圧倒的な岩盤は、こざかしい策の全てを圧し潰す。


(くそっ)

 即座に最小限の動きでの金的。すぐにマルテレスの太腿が動き、エスピラの蹴りを止める。代わりに突進が止まった。僅かに出来た空間で次の蹴りを放つと、エスピラはマルテレスの太腿を踏みつけて大げさな動きをして距離を取った。


 敗走だ。

 でも、魅せることで周囲にはあまり悟らせない。


「他に、言ってないことはあるか?」


 命を獲りに行ったと言うのに、マルテレスの態度は普段通り。

 むしろ不服を表すかのように頬が膨らみ、唇が尖っているようにも見えた。


「特には、思い浮かばないな」


「そうか」

 と、マルテレスが明らかに安堵の息を吐いた。

 行くべき。そう思うものの、エスピラの足は動かない。


「良かった。俺も、一つだけエスピラに言ってなかったことがある」

「私は思い浮かばなかっただけだ」


 エスピラも呆れたように返しながら、腰を落とした。剣もゆるく握り、即座に対応できるようにする。心の中では、どこか、マルテレスはこんな卑怯なことはしないと思いながらも。


「初めてメルア——様を見た時、正直嫉妬した。めっちゃ可愛いじゃないかってな」

「そうか死ね」

 腰につけていた山羊の膀胱を外し、投げつける。


「やっぱ怒るじゃん!」

「怒らないと言った覚えは無い」


 音を出さねば良かったと思いつつ、膀胱の後ろから剣を振る。すぐに金属音が鳴り響いた。腕への衝撃は大きく、マルテレスが踏み込んだと同時にエスピラは飛びのく。


「エスピラ」

「ん?」

「悪いが、一騎討ちでは俺の勝ちは揺るがないよ」


 マルテレスが目を下に背けながら言う。

 エスピラも眉を顰めたが、一方で分かっても居た。


 体格で全てが決するとは言わない。現に、エスピラよりも体格に勝る者にもエスピラは勝って来たし、刈っている。


「そうか。で、お前の勝利とは何だ、マルテレス」

「勝利?」


「一騎討ちに勝って、どうする? 私を捕らえるか? 交渉材料にもならないのに? それとも殺すか? それが一番良い。そして、大権を有する私の後継者が誕生するわけだ」


「俺は、殺したくないっ」


 だらり、とエスピラは腕を下ろす。

 完全な脱力。隙だらけの姿勢だ。


「私もマルテレスのことは殺したくなかったよ」

「なら」

「だから、降伏を勧めていたのだけどな」

「それも、できない」

「ちなみに、私が一騎討ちを仕掛けたことでこちらも戦闘準備は終わったかもしれないぞ?」


 マルテレスの目がアレッシア軍の陣へ。

 その隙に、一気に間合いを無くした。右手で剣を振りながらすっぽ抜く。左手は短剣を抜き、マルテレスの腕へ。深々と刺さったが、どちらかと言えばマルテレスが押し付けて来た形だ。そのまま力任せに押し切られ、地面に転がされる。


 投げ捨てた剣は、マルテレスの後方に落下していった。


(あれじゃあ、まだ動くな)


 何を信じているのか、マルテレスは完全に踏み込んでくるのだ。


 紙一重でかわし、攻撃を狙っても、マルテレスが自分の攻撃が外れたと思えば突進に切り替える。それだけでエスピラは支えきれなくなり、距離を取らされるのが落ち。


 エスピラは距離を取りながら立ち上がると、短剣を拭って再び懐にしまった。

 次に抜くのは、ウーツ鋼の剣。奇怪な波打ち紋様と昏い光沢を放つ、銘品。

 実用性に長けているが、先の剣ほどエスピラにとって扱いやすい形状をしている訳では無い。


「もう、後方で戦闘が起こっていることは隠せないかな」


 これは、真実。

 こちらの準備が整っているのが嘘だ。整っていれば、流石に早すぎる。


 だが、信じさせることは出来るだろう。


 マシディリがやってくれたのだ。先にマルテレスに並ばせ、それを上回る速度で整列を完成させて先制攻撃を仕掛ける。それも一度では無い。そして、その中に策を潜ませることもやった。


 ケラサーノでの戦いは、否が応でもマルテレスに刻み込まれている。

 マルテレスにとって、一方的な敗戦はあれがほぼ初めてなのだから。


(マシディリ)


 生まれた時は、良く泣いていたモノだ。

 泣かなくなったのは、何時からだろう。幼い時分から気づけば長兄として立派な姿を見せて来た。それでも曲がらないでいてくれたのは、メルアが無理矢理にでも甘えさせていたからか。


 大きくなったモノだ。

 愛息が覚悟を持って臨んだ戦いを、無駄にするわけにはいかない。


 そのマシディリの覚悟を受け取り、アグニッシモを止めてくれたのはクイリッタだろう。


(お早いお戻りをお待ちしております、か)

 野菜を食べたくない、自分も兄と同じものが欲しい、と駄々をこねていた子が、立派になって。


「春には、孫も増えるからな」


 愛人を減らせとたまには父らしく叱らなくてはならない息子も居るし、夫を連れ帰らねばならない娘もいる。双子は、まだまだ子供だ。それを言うならセアデラはまだ十一。新婚のレピナも甘い時間を過ごしたいだろう。


(フィチリタの晴れ姿も見ないとな)


 子供達が待っている。まだ、死ぬわけにはいかない。死ぬつもりで来たはずなのに、死ぬわけにはいかなくなった。


(悪いな、メルア。もう少し後になりそうだ。ま、フィチリタの晴れ姿は、お前も聞きたいだろう?)


 重ねて、謝る。

 愛妻の秘密を暴きかねない行為をすることを。


 決して妻への愛が薄れた訳では無い。今でも愛している。いつまでも愛している。誰よりも。


 それでも、生きて守るべき者があるのだ。


 息を吸い、大きく吐く。

 薄く長くを意識し、神経を研ぎ澄ませた。


「エスピラ。カルド島での約束を覚えているか?」


 マルテレスが、半歩下がる。

 エスピラは目だけを向けた。


「エスピラを守ると誓ったのに、剣は向けられない」


 鼻による笑い一つ。


「約束の一つや二つ、破られたくらいで何も変わらんさ。なんせ、五十年来の親友だからな」


 言うと、エスピラはその親友を殺すために緑のオーラを切り替えた。

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