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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十三章
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友と親友 Ⅱ

「勝負は時の運。強い方が必ず勝つとは限らない。


 マルテレス。戦場に於いてお前ほどの猛者はいないよ。誰もが警戒し続けた。見えずともマルテレスの存在を探し続け、動きに応じて対策を練らねばならないほどだ。


 でも、マシディリは戦場でも場外でも快勝した。

 互いの軍団を比べてみてくれ、マルテレス。これが答えだ。私が来るまでの間にマシディリとマルテレスが戦ったことの結果が、今の状況だ。


 アレッシア最強の将軍はお前で良い。

 でも、勝者となるのはマシディリだ。


 これが答えだよ。お前の欲していたモノの一つへの解じゃないか」



 マルテレスの顎が僅かに引かれる。

 拳も硬度を増した。


「だから降伏しろ、と」

「ああ。子供達を守るためにも、ね」


 マシディリには及ばないと言われることも降伏勧告も、マルテレスにとっては心地良い言葉では無いはずだ。無論、その他大勢に比べてマルテレスは受容してくれる可能性が高いことも知っている。それでも、小さな木の棘が指に刺さったような痛みはあるものだ。


 だからこそ、先の言葉の後でマルテレスの勢いが明らかに落ちたことに意味がある。


「私達の年齢には、あと少しで執政官に成れると手を伸ばし続ける有力者もいる。普通の、順調なアレッシアの出世街道を行った者達だ。

 だが、私達は違う。複数回執政官を経験し、三十代で地位も名誉も登り詰めた。二人で執政官になったカルド島から数えれば既に二十年だ。次代のことをしっかりと考えて動いた方が良い年齢だとは思わないか?」


「俺が、子供達を預けるのはスィーパスが負けると思っているからだとでも言いたいのか?」


 苦しげな声は、半音低い。

 事実なのだろう。そして、普段のマルテレスならばある程度明け透けに認めることでも、子供達のことになれば口にしにくいのも予想通り。


「勝負は時の運だと言っただろう? 運命の女神がどのような賽を振るかはその時まで分からない。

 でも、私はマシディリが勝つと信じているよ。父親だからね」


 しっかりとマルテレスの目を捉え、エスピラは言い切った。


 もちろん、軍事命令権保有者等の公人としても、マシディリを信じている。でも口にする必要は無い。大事なのは父親としてどうなのかを示すこと。


 エスピラは、疑いなど一切ない表情で、マルテレスに向き合い続けた。


 マルテレスが一度唇を巻き込む。

 眉も波打ち、手も握り締められ、視線はやや下だ。


 やはりマルテレスは交渉には向かない。正直すぎる。商人の家系でもあるはずなのだが、なるほど、これでは父親のメルカトルが実権を握り続けるわけだ。


 その思考も隠し、ただひたすらにマルテレスに視線を送る。


 やがて、マルテレスの顔が上がってきた。


「俺も、スィーパスとマシディリが戦えば、マシディリが勝つと思う。弟子だからな。しかも一番出来の良い弟子だ。他にも師匠がいるとは言え、マシディリは俺の弟子だ。だろ?」


 常に近い、明るい様子で。

 悩みなど無いのかのように、既に拳は解かれ、眉も元に戻っている。膝も少し開き気味の上に正中線も完全にエスピラから見える状態だ。


 なるほど。これだからこそ、多くの者がマルテレスに従うのである。

 何より、本人の意識かどうかは微妙なところだが、言葉選びも上手い。エスピラの動きを完全に制限する言葉を使ってきている。


「そうだ。マルテレスはマシディリの師匠だ。それとも、弟子に苦渋を強いるのが師匠の教えか?」


(誰が言っているのか)

 一番に自分を「師匠」と慕ってくれた弟子を思い出しながら、内心自嘲する。


「いや。だが、生き様は見せる。そうだろ? エスピラだって、イフェメラやジュラメントの時も最後まで自分のやり方を通してたよな。

 俺も同じだ。これが、俺の生き方だ。海運に従事している家の生まれとして後ろ指をさされながら生まれ、反乱者として囁かれながら終わる。でも、芯は通す。俺は諦めちゃいない。


 俺の生き方とアレッシアへの忠誠はクーシフォスが必ず守る。

 俺の生き方と思いは弟子であるマシディリの中で生き続ける。


 だから、降伏はしない。俺は俺の生き方を通し、曲げずに背中を見せ続けるつもりだ。エスピラがどうしても俺に降伏して欲しいのなら、完全に屈服させられてからの話だな」



(意思は固いか)

 知っていたことだ。マルテレスは降伏などしないと。それを承知で、殺す覚悟で軍団を編成したはずである。


「野戦の誘いか?」


「ああ。野戦の誘いだ。必要ならば、こちらが隘路を捨てて前進する。質でも数でも劣るのなら、エスピラだって防御陣地に籠る必要は無いだろ?

 場所はそっちが指定しれくれれば良い。その代わり、今の防御陣地は出てくれ。頼む」


「呑むと思うのか?」

「これが俺の俺らしい戦い方だ」


 頼む、とマルテレスが打ち付けんばかりの勢いで頭を下げた。

 エスピラは、口元に当てかけた手を、無理矢理下ろす。


「わざわざそのために兵に死ねとは言えない。これが、私の戦い方だ」


「でも、エスピラもどこかには野戦を望む気持ちがあるんじゃないか? 防御陣地はエスピラにあった戦い方かもしれない。でも、エスピラの性格にあった戦い方でも無いだろ」


「人は変わるものだよ、マルテレス」

「一生のお願いだ!」


 口に、手を当てる。


 愚かな決断だ。誘いに乗るなど、あってはならないことである。


 そんなことは、理解していた。

 フィルノルドやスペランツァは反対するだろう。ティツィアーノも苦言を呈してくるし、クイリッタも天幕にやってきてから厳しい言葉を投げてくるのは目に見えていることだ。


 ジャンパオロはやんわりと釘をさしながらも準備を進めるだろう。メクウリオは文句を言わずに動くはずだ。カウヴァッロも感情は違えと同じく動く。

 アグニッシモは、むしろ喜びそうだ。


 マシディリも良い顔はしない。でも、次々と手配を行い、決戦に備えてくれる。

 ならば、言葉を尽くすのはジャンパオロに対して。マシディリにはエスピラ自身は下がることを伝えれば他の者の説得もしてくれよう。


「エスピラ様」

 シニストラの鋭い声。

 エスピラは、少しばかり姿勢を崩した。


「何を考えているのか」

 小さく、こぼす。

 心の内から強引に引っ張り上げたのは、当初の予定。


「マルテレスが子供達を預けた場合は、私もマルテレスの心が折れた合図だと喧伝させてもらう。あるいは、マシディリが勝つとマルテレスも信じている証拠だとね。

 それに、お前の子供達の多くを殺したアグニッシモを誰よりも愛しているのは私だ。マルテレスの子供達の中にアグニッシモに殺意を抱いている者がいたら、先に殺すかもしれない。それをきっかけに不信感を抱いた者も殺し、全員が死ぬ可能性もある。

 そのことも良く考えてから、もう一度提案を持ってこい」


「エスピラはそんなことしねえよ」

 即答。

 思わず、エスピラからもため息が出る。


「再三の警告があったことは俺からも伝えておく。オピーマを悪く言う者にいら立ったとしても、同じことを兄達がやってしまったんだって言い聞かせる。


 だから、今、引き受けてくれ。


 頼む。


 あの時の子供達と同じなんだ。川で無邪気に遊んで、アレッシアの勝利と輝かしい未来を疑わず、俺達に将来の夢を話してくれた子供達と、同じなんだ」



 ああ、と思う。

 色々、マルテレスの言葉に対してこういった交渉術を、と理屈をつける。


 でも、分かっているのだ。

 そんな訳は無いと。マルテレスは本心から言ってきている。真摯な頼みだ。


「これ以上、苦しんで欲しくないんだ」


 これ以上ない、苦し気で泣きそうな声。


 今度はエスピラが唇を巻き込むと、目を閉じた。

 瞬間に、目が開く。

 馬の嘶きと喧騒。後方から。まだ小さいのではなく、隠すつもりが無くなったから音が大きくなり、遠いから小さく聞こえるだけ。


 エスピラの鋭敏な耳がはっきりと捉えたそれは、どうした? と覗き込むマルテレスの耳にもやがて届く大きさへと変わって。


 当然、前方に動きは無い。敵陣は前に多くの人が集まっている。いや、張り付けていたのか。


 マルテレスを止める者が少なかったのも、あるいは。

 憎悪の矛先は、ともすれば。


「交渉は決裂だ」


 エスピラは、冷たく言い捨てた。

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