行ってくる
「ま、深く考える必要は無い。戦場の恐怖と飢えを幼い内に経験し尽くせば、将来的には戦いたくないと思うようになるかも知れないからね。
反乱者の子供達と言う点に於いては、完全に戦場嫌いになってくれるのが最善。
これからのアレッシアを担う存在としても、きちんとした理由を付けられるのなら制止役も必要だろう?
厳しい冬を厳しい環境で過ごすのは、マルテレスの子供達にとっても良いことさ」
「では」
「ああ」
暖炉から離れるように背筋を伸ばし、マシディリを見る。
マシディリも背筋をすっと伸ばした。
「大攻勢は春。その前にマルテレスの子供達の引き渡しがあるからね。ゆるゆると引き延ばして、相手の脱走兵をさらに増やしてしまおうか。
冬の間、マシディリは後方地一帯の安全確保を頼むよ。この防御陣地も、他の都市もね。それから、マルテレスに協力した部族も洗い出しておいてくれ。
此の地はアレッシア軍をきちんとは知らないからね。思い知らせてやろうか」
「お手柔らかに」
「もちろんだとも」
一呼吸、空く。
ぱちり、と爆ぜる音がした。小屋の中はまだ寒いが、外に比べれば十分に温まり始めている。
「父上」
「ん?」
「少しでも怪しい動きがあれば、すぐに会談を中止し、陣に戻ってきてください。理由はどうとでもなります。交渉の場はマルテレス様に比べて父上が圧倒的に有利だからこそ止めないだけですから」
「そうするよ」
「春にはユリアンナのとこにも孫ができる訳ですから」
「ユリアンナに似てかわいい子だろうね」
「べルティーナもユリアンナに会いに行くのを楽しみにしていますので、遅れないように願います」
「おや、愛妻を他の男との旅に出して良いのかい?」
エスピラは左の口角を上げ、肩も少し上げた。
マシディリからは冷たい目がやってくる。怒り、では無い。どちらかと言うと呆れに近いモノに感じられた。
「流石に、母上の機嫌を取ることは出来ないと思いますよ?」
「冗談だよ」
「冗談でも、既に母上の機嫌が非常に悪くなっていると思います」
「違いない」
「しっかりと。それこそ年単位で言い訳を考えてから臨まれた方が良いかと思います」
「……そうだね」
別の話題が、すぐにエスピラの頭に浮かぶ。
ただ、それを今口にするのは、逆にマシディリの心配を加速させるだけだろう。
エスピラはそう考えると、ふむ、ともう一度頭を働かせた。
「マシディリは、甥にすぐ会いに行かなくて良いのかい?」
「まだ会ったことの無い甥よりも、出産と言う難事業に臨むユリアンナの力になってやりたい気持ちの方が強いですね。ですが、べルティーナがいますから。出産経験も四度もありますし、ユリアンナにとっては心強い味方になると信じています」
「二人は親友だしな」
「時折、べルティーナを返してとユリアンナに言われます」
渡す気などさらさらありませんが、とマシディリが当然の如く口にする。
アスピデアウスが、ウェラテヌスよりもずっと前から敵対を想定していたのではないか、と新婚時に言っていたのが嘘のようだ。
「粛清はマシディリに任せるよ。悪逆については遠慮なく私の名を使うように。そこだけが心配だからね」
実際、植民都市群を作るにあたり、マシディリは部族の一つを壊滅させている。
無論、敵対部族だ。現地部族と協力して作り上げた畑に攻撃を仕掛けて来た部族を、マシディリは百名のアレッシア人と現地人との協力により歴史から消したのである。
「私の名の方が、今後を考えても良いかと思います。
身の美味しさと内臓の苦さを併せ持つのが魚。これが、苦いのは別の魚だからと言ったところで、内臓は隠せるモノではありません。隠せるのは、その者が食卓以外で魚に触れない者だった場合のみです」
「そうだね。でも、軍事命令権保有者は私だ。良いね」
先ほどまでの即答は無い。
「かしこまりました」
それでも、言うほど間は無く返事は来る。
エスピラは、おおげさに一息ついた。重心も少し変え、力も抜く。あからさまに違う話題に移ると全身で伝えてから、口を開いた。
「小屋はどうする? アグニッシモとスペランツァは此処で良いと言っているけど、マシディリは遠いところも行くだろ? 後ろにも必要かい?」
エスピラの小屋は一際立派な物だが、風雪を避けるための建物はある程度作り始めているのだ。ただし、六万を収容できるほどの物が完成することは無い。土を掘り、布をかぶせるような形も多くなる。
「物置小屋は必要となりますので、後方で泊まる際はそこを利用しようと思っています」
「前は、此処で良いってことかな」
「ええ。まあ、アグニッシモとスペランツァが夜もうるさくなければ」
「クイリッタも同じことを言っていたよ」
エスピラは腹を揺らして笑った。
要人が固まりすぎることによる危険は、この際無視する。
「何はともあれ、今日から泊まると良い。きっとクイリッタも寝具一式を此処に運んでくるだろうからね」
而して夜になると、寝具を携えたクイリッタが仏頂面でやってきた。
アグニッシモとスペランツァの反応も「やっぱり」と言うモノ。揶揄いも含めて騒がしくなり始めた時にはクイリッタが出て行こうとしたため、それからは少し静かになった。
楽しい夜だ。
彩りが増えていく。
ただし、戦局も進む。
「父上。くれぐれも」
「分かっているよ。少しでも怪しい動きがあれば陣に退くように、だろう?」
疑うような目を向けつつ、愛息が頷いた。
いつも通り。
それが、マルテレスとの会談の日にエスピラが全軍に通達した内容だ。当然、誰もが警戒は続けるだろう。でも、その警戒や警戒心による突発的な行動が敵が野戦に踏み切り事由になってはいけない。
それ故の命令であり、それ故にマシディリは今日も後方に行ってエスピラの監督が届きにくい場所を統括してもらうのである。
「大丈夫だって、兄上。いざとなったら俺がすぐに駆け付けるからさ」
「お前の軽率な行動が余計に父上を危機に晒さないと良いな」
冷たく言ったクイリッタに、アグニッシモが噛みついた。
クイリッタが左右に大きく揺れながら、アグニッシモの口撃をいなしている。
「騎兵は相手の方が多いし、準備も整えている可能性があるからね。クイリッタもアグニッシモが心配なんだよ」
取りなす発言は、もちろんマシディリ。
アグニッシモがにんまりと口角を吊り上げ、「は?」とクイリッタが眉をしかめる。
「恥ずかしがるなよあーにきー」
「うざ」
「かわいい弟が心配だって吐いちゃえって」
「セアデラは確かに心配だな。セアデラは」
「私のことは野垂れ死んでも良い、と」
今日のスペランツァはアグニッシモに乗ることにしたらしい。
クイリッタの顔が余計に険しくなる。厄介なことになった、と言わずとも書いてあった。
「クイリッタは優しいからねえ」
「兄上」
マシディリまで乗れば、クイリッタに勝ち目は無い。
子供達のじゃれ合いを微笑ましく思いながら、エスピラは今日もアグニッシモに残りの食事を渡した。
食事が終われば、絨毯が敷き終わったとの報告が入る。
アレッシアの旗を四方に差し、机と椅子だけを準備した簡易的な会見場だ。
「では、先に行っております」
シニストラが頭を下げ、まだ誰もいない会見場へと向かう。
途中で槍を地面に突き刺した。
目印だ。
流石に、エスピラを一人で向かわせるのは、と言う結論になってしまったので、あの槍の位置まではフィロラードが護衛として着いてくる。
もちろん、マルテレスが一人で来た場合は。
そうでない場合は、エスピラは前に出ず、シニストラも下がってくる予定だ。
「まあ、そういう奴だよな」
そして、これも当然であるが、マルテレスは一人で出て来た。
護衛も連れず、堂々と。衣服によれが見え、髪も少々だらしなくなっているが、一軍の将としての貫禄を携えている。
「クイリッタ」
「はい」
愛息を見て、面影が重なる。
「行ってくる」
「お早いお戻りをお待ちしております」
言おうと思った言葉を変え。
エスピラも、陣を出た。




